2018.07.20

今日のみ言葉【No.1806】(2018年 7月20日)「 ゆるされない罪(2)」

だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
(マルコ3:27)

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テレビのコメンテーターという仕事があります。

一般主婦やお笑い芸人の人たちの感想の中には、庶民目線から出た「オッ!」と言わせる斬新なものがあります。

専門家の方が歯切れが悪く聞こえるのはなぜかというと、彼らは全体をよく知っているからです。

裏方の部分や、今までのいきさつ等を総合的に組みして、慎重に、正確さを期して、話していいことだけ話すので、何だかボヤンとした意見として聞こえることがあるのです。

一方、正論を真っ向から説く専門家なる人は、私たち一般視聴者からすれば爽快な気分を与えてくれ、とてもわかりやすく、正義の味方のように思えますが、実は出来事の全貌を知らず、一部のことだけ取り上げて話しているだけなのだそうです。

全体を知った上で、その出来事を評価する態度が必要なのはどこに行っても同じです。

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ゆるされない罪があると語る聖書箇所を正しく理解するための2番目のポイントは、文脈です。

ある特定の一部分だけを取り上げてどうこう言うのではなく、全体の中の部分として見るのです。

「この聖書箇所はどのような流れの中で語られているのか」

この取り組み方は正確な聖書解釈をしていくためにとても重要です。

ですから、

「しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」
(マルコ3:29)

というイエス様の言葉も、どのようないきさつの中で語られたのか、その文脈を知って判断しなければなりません。

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これは律法学者たちがイエス様がなされている力あるわざを

「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」
(マルコ3:22)

と誤って解釈したことに対して出た言葉です。

彼らにとってイエス様はただの大工の息子です。

神から来た救い主だとは思っていません。

ですから、悪霊がイエス様によって追い出される現実を見て、

「ああ、神の御わざだ!」

とは考えず、彼らの理論の中で成り立つ解釈を考えました。

その結論が、イエス様を悪霊のかしらとみなすことです。

悪霊のかしらなのだから手下の悪霊だって追い出されるだろう、という考えです。

そうなると、イエス様は聖霊によって力を奮っておられたのですから、聖霊が悪霊となってしまいます。

これでは聖霊を汚していると言わざるを得なくなります。

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イエス様は律法学者たちの解釈の誤りを指摘します。

「だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる」
(マルコ3:27)

ここでの強い人とはサタン、家とはサタンに支配されている人間、縛りあげる人が聖霊です。

悪霊が追い出されているのは聖霊によるのだとイエス様はおっしゃいます。

その聖霊の働きを拒む者は、いつまでたっても強い人なるサタンの支配下に置かれたままです。

ですから、

「しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」
(マルコ3:29)

となるのです。

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今日とは、長い人生というジグソーパズルの一片です。

神は愛であり義の方であるという全体から今日起こる出来事を見て参りましょう。

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2018.07.19

今日のみ言葉【No.1805】(2018年 7月19日)「 イエス・キリスト(5)」

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
(詩篇23:1)

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私たちの教会の会堂の正面に、木彫の詩篇23篇1節の御言葉が掲げられています。

山形ジョイフルチャーチがスタートする際に、ある方が捧げてくださったのです。

私はこの御言葉を信じたました。

以来25年、本当に乏しいことはなかったと断言できます。

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詩篇23篇の牧者とは良い羊飼いであるイエス・キリストのことです。

「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる」
(ヨハネ10:11)

これに関しては事前に証明がありません。

神の側から一方的に示される真理。

これを「啓示による真理」と言います

真理だと信じ、その通りに行ってみて、やはり正しかったのだと経験によって知られる真理です。

「イエス様は良い方であって、この方が私の人生を導く牧者。この方に従っていったら乏しいことはない」

と、まだお金も食料も具体的保証も何も無く、ただ、そうなるという約束の言葉だけをいただいて、そう信じて歩みを進めること。

それが信仰によって生きるということです。

「わたしは道であり、真理であり、命である」
(ヨハネ14:6)

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カルト宗教はこれを上手に悪用します。

「考えないで言われた通りやれば真理に到達できます」

そうやって犯罪者になってしまった人たちは本当に可哀想です。

ですから、先に信仰を持った先輩クリスチャンの話を聞き、信仰を持って教会に来ている人の生き方を見ることはとても大切なのです。

「神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい」
(ヘブル13:7)

理論を聞いて納得することも大切ですが、先人の人格を信頼し、自分の行き先を決定するのです。

これが生きた信仰のあり方です。

信仰の先輩は、その生き方を通してイエス・キリストとはどんな御方かを示してくれます。

そしてイエス・キリストは、その言葉と行いを通して、天の父なる神はどのような御方か、神の姿を示して下さいます。

「わたしを見た者は、父を見たのである」
(ヨハネ14:9)

神はキリストを通してご自身を人間に示されたのです。

これが神の啓示です。

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私たち夫婦の証しをひとつ。

教会をスタートした当初、妻からの恐怖の一言がありました。

それは食事の後、

「あなた、このご飯でお米がなくなりました」

というものです。

私はびっくりして、昨日一緒にスーパーに行った時にどうしてお米を買わなかったのか、と問うと、

「お米は与えられるものですから」

と涼しい顔。

牧師夫人から厳しい訓練を受けた人なので、その点は徹底しており、もはや鼻歌で讃美歌を歌っています。

青い顔をしているのは私です。

今日中に買いに行ったほうがいいな、と考えていると、

「ピンポ〜ン」

と玄関に宅配便が届きます。

開けてみると、なんとお米!

「ほら、やっぱり。神様はご存知なのよ」

とニッコリ微笑む妻。

この現象を認められない私…。

こういうことが一度や二度ではありません。

間違いなく5〜6回は起きました。

そこで私は傲慢にもこう考えました。

「なるほど、こうなっているのか。じゃあ、次回もそうなるんだ。米なんか買うな。待ってれば来る」

しかし、私がやっているのは「計算」で、家内のは「信仰」です。

私が待てと指示した時は、一向に何も来ませんでした。

1週間、パンとうどんで過ごした後、とうとう私は音を上げてお米を買いに行きました。

今はそういう時代は終わり、定期的にお米を買うようになっていますが、神様は私たちの信仰を堅くしてくださるためにそのような奇跡を起こしてくださったのです。

振り返れば、詩篇23篇の言葉通り、乏しいことはありませんでした。

本当に食べられなかった、という期間はありませんでした。

あえて断食した時はありましたが、それ以外食べられないという時はなく、お米を与えて下さる神の存在を私たちは知らされた伝道生活です。

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神の啓示であるイエス・キリストを今日も体験する一日として参りましょう。

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2018.07.18

今日のみ言葉【No.1804】(2018年 7月18日)「 神の祝福を受けるための訓練『しもべとなる』(1)」

人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである
(マルコ10:45)

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医師になるためには、難関の医学部に入り、卒業後に医師国家試験に合格して医師免許を取得し、さらにその後2年間の臨床研修を行います。

美容師になるためには、美容専門学校に入り、こちらも国家試験に合格して後に美容師免許が交付されます。

何にでも正式コースというものがあります。

キリストの弟子学校があるとしたら、正式にキリストの弟子と認定されるためには何が必要なのでしょう?

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神の祝福を受けるためとして、

(1)手っ取り早いのが「従う」

(2)一番やさしい方法は「言葉を変える」

(3)考え方として「神は愛という視点で見る」

(4)現実的には「続ける」工夫

という訓練を紹介してきました。

そしていよいよ5番目にイエス・キリスト認定の正式コースをお知らせします。

それは「しもべに徹する」ことです。

なぜなら、しもべとして人に仕える生き方をすることは、イエス・キリストの地上生涯と同じだからです。

「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」
(マルコ10:45)

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イエス・キリストが次回この世に来られる時(再臨)は、世界最高位の「王」として理想の統治をするために来られます。

私たちが知る最初の時(クリスマス)は、世界最低位の「しもべ」として人々に仕えるために来られました。

ですから、「だれが一ばん偉いかと論じ合っていた」弟子たちに

「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」
(マルコ9:35)

と教え諭されたのです。

キリストの弟子学校では「しもべに徹する」ことが必修科目です。

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ただしこれは一番厳しいコースです。

簡単にできる裏ワザとか、試験で山を掛けて大当たり等の抜け道はありません。

地道にコツコツ。

それ以外ありません。

その分、最高の祝福が待っているかというと、そうでもありません。

あなたが思い描く祝福と、このコースが与える祝福とは全く別次元と考えていたほうが良いでしょう。

それでもチャレンジしたいあなたはこの学校に入学して下さい。

以下、次回に譲ります。

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しもべとなって生きる祝福を見出して参りましょう。

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2018.07.17

今日のみ言葉【No.1803】(2018年 7月17日)「 ゆるされない罪(1)」

しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる
(マルコ3:29)

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警察庁の発表によると2017年の交通事故死者数は3694人で、統計を開始して以降、最小となったそうです。

それでも1年365日ですから、平均して毎日10人の方が交通事故で亡くなっていることになります。

さて、私たちは

「今日その10人の中に入るかもしれない」

と心配して夜も眠れない日々を送っているわけではありません。

そんなことになるはずはないという意識すら持たずに過ごしています。

ところが同じ10人でも、もしこれが

「毎日必ず10人に1億円が当たる宝くじがあります。お申込手続きは不要です。当選の際はお知らせします」

となると、何だか当たりそうな気がしてきます。

「今日その10人の中に入るかもしれない」

と期待に胸踊らせて、夜も眠れない日々を送るかもしれません。

人は大なり小なり、考え方に片寄りがあります。

ある一部分がクローズアップされて大きく見えたり、重要なことが全く目に入らなかったりするのです。

今日の聖句もそのひとつです。

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「しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」
(マルコ3:29)

この聖書箇所を持ちだして、

「私は絶対に救われません」

と訴える人、あるいは、本当はゆるされていないのではないかと不安に思う人は少なからずおられます。

まず第一に知らなければならないことは、聖書の中には罪のゆるしの約束の方が遥かに多くあることです。

ですから、マルコ3章の御言葉は特殊なケースと考えるのが適切です。

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医師の言葉にたとえてみましょう。

薬に関して詳しい説明が必要な時に、

「これは100人のうち2〜3人、めまいや吐き気の副作用が出ることがありますから、その場合は服用をやめてすぐ連絡して下さい」

と言われることがあります。

しかし私たちは、大丈夫だと思って薬を飲み、その効果の恩恵の方にあずかって癒されます。

また、手術を受ける前、患者さんには必ず説明がありますが、

「○○の麻酔をしますが、4万件に1件の割合で××の症状が出ます」

等のことが言われ、患者はそれを知った上で手術を受ける承諾をします。

ある社長さんは手術を受ける際、死亡例はないのか、と尋ねました。

すると医師は正確な情報を伝えました。

「この手術は10万件に1件の死亡例がありますが、それくらい安全な手術です」

彼は、一瞬、やめようかと思いましたが、すぐに思い直して手術を受ける決心をしました。

99.999%の確率で死なないと計算できたからです。

会社では社運を賭けた五分五分の確率の修羅場を何度も乗り切ってきた人だったので、50%に比べれば99.999%など成ったも同然と思えたのです。

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神はあなたの罪をゆるし、救おうとしておられます。

その基本的御心の方に目を向け、罪から離れ、ゆるしの確信をいただく日々として参りましょう。

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2018.07.14

今日のみ言葉【No.1802】(2018年 7月14日)「 神の祝福を受けるための訓練『続ける』(7)」

あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。
(詩篇55:22)

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認知症は今や日本人の国民病となりつつあります。

65歳〜69歳、70歳〜74歳という具合に5年毎に区切っていくと、認知症になる人は2倍の割合で増加しているという調査結果が出ています。

つまり、60代後半では100人のうち1〜2名だったのが、次の5年間で3〜4名に増えます。

なんだ大したことないな、と思ってはいけません。

倍々ゲームと同じですから、90歳代に入ると二人に一人、つまり半数が認知症です。

この時代に入っても教会生活を続けるためにはどうしたらいいのか。

その答は意外な所にあるものです。

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神の祝福を受けるためには「続ける」という訓練が必要だという話を続けてきました。

最後に究極の継続法をご紹介してこの項を終わりにしたいと思います。

それは、ゆだねるということです。

つまり、「自分はもう続けることができない」と自分の限界を認めて、他者の力によって続けさせていただくことです。

「続けられないから、やめる」のではなく、「続けられないけど、続けさせていただく」という、一見矛盾した道が最後に残されているのです。

できません、と無力さを認めた人ほど続けられとは、神様が用意した不思議なパラドックスです。

「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる」
(詩篇55:22)

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先ほどの認知症を例にとると、料理・洗濯・車の運転を人まかせにすることです。

物忘れだけが認知症の症状ではありません。

段取りをする、という脳の機能が衰えますので、

「玉ねぎを切って、水にさらして、その前にジャガイモの皮を剥いておいて…」

ということができなくなります。

同様に、洗濯物を洗って、干して、たたんでタンスの中にしまう、という今まで当たり前に出来ていた動作が

「あれ、どうしてたんだっけ?」

といちいち思い出さなければならなくなります。

真っ直ぐ行って突き当りを右に曲がって、という道順が頭に浮かばなくなり、

「ここ、どこ?次、どう行ったらいいの?」

と道に迷い出します。

これら一切をゆだねると、生活が続きます。

たとえば、ヘルパーさんに料理を作ってもらうと、高血圧対策の減塩醤油を使った栄養十分でおいしい料理を食べさせていただく生活となります。

洗濯物でも、大半は人に委ねて、一部の自分ができるところだけさせてもらえばいいのです。

どこかに行く時は、誰かに一緒に行ってもらうようにと、行く方法をゆだねることを考えておきます。

そうすると続きます。

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続ける訓練の最後は、「手放す」「ゆだねる」ということです。

頑張ることではありません。

しかし、自分の無力さ、できない自分を認めることはつらいことです。

ですから、これは訓練なのです。

人生の早い段階で、ゆだねる訓練を施された人は幸いです。

そしてそれには遅すぎたということはありません。

今、持っているものを手放し、ハイと従うこと。

人生は最後の最後まで成長に限りはありません。

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ゆだねて、続ける。ゆだねて、続ける。ゆだねて、続ける…。

この訓練を全うする今日として参りましょう。

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 ・水曜と土曜…上級(信仰生活の訓練)
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