2018.11.14

今日のみ言葉【秋休みのお知らせ】

山形ジョイフルチャーチの丸山芳浩です。

冬に備えるため、今週後半は秋休みとさせていただきます。

また来週の月曜日から発行致します。

皆様、どうぞお体をご自愛ください。

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今日のみ言葉【No.1881】(2018年11月14日)「 神の守りを宣言する」

主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
(詩篇91:4-5)

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「あなたのことは好きだけど、あなたとはもう一緒にいないほうがいいと思うの」

と彼女から言われて

「ガチでへこんでいる」

と言う男子学生の相談を受けました。

つまり失恋したのです。

それは大変だったね、つらい中をよく話してくれた、と慰め励ましながら話を聞かせていただきました。

災いは突然やって来るものです。

私たちはその時、どうすればいいのでしょうか?

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まず、災いが来てもいいように備えておくことです。

人生の大波・津波の防波堤は、御言葉に信頼し、神の守りを宣言することです。

人に災いをもたらそうとするサタンは、旧約聖書ヨブ記でこんな愚痴をこぼしています。

「あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか」
(ヨブ記1:10)

神様が垣根を設けていたので、サタンはヨブに手を出せなかったのです。

今日の御言葉が信仰の防波堤です。

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない」
(詩篇91:4-5)

親鳥が雛を羽で覆い守るように、神は私たちを覆うので、その下にいる人間は災いを避けることが出来ます。

また、大盾は現在で言うなら機動隊の盾を思い浮かべていただけると良いでしょう。

あの盾で身を隠し、敵の火の矢を防ぐことが出来るのです。

「その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう」
(エペソ6:16)

そして、夜の恐ろしい物、昼に飛んでくる矢とは、不意に襲ってくる不安や心配です。

私たちは神に信頼を寄せる時、これらの災いから守られます。

私たちがすべきことは、御言葉を宣言し、神の守りを告白することです。

これがサタンを容易には寄せつけない垣根作りとなるのです。

クリスチャンの国際弁護士佐々木満男氏は、このような話を聞き、それ以来、就寝時には詩篇第91篇の一部を唱えてから寝るようになったそうです。

「第二次世界大戦の頃のことです。イギリス軍にウイットゼイ大佐という人物がいました。彼の率いる連隊は全員が毎日朝晩、この詩篇第91篇を朗読して神に安全を祈ったそうです。彼の連隊は5年間激戦地で戦いつづけました。他のほとんどの連隊は全滅したり、多数の死者を出していました。ところが彼の連隊だけは一人の死者も出なかったのです。」
(https://www.christiantoday.co.jp/articles/5338/20100630/news.htm)

神の守りがあると積極的に口に出して告白する作業が、あなたを守る心の垣根となるのです。

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ただし、それさえやっていれば絶対安心かというとそうではありません。

神様ご自身がその垣根を取り払う時があると聖書は言っているからです。

サタンが神に訴え出た後、神はサタンにこう言います。

「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」
(ヨブ記1:12)

神が垣根を取り払って、サタンに許可を出したのです。

ヨブが張り巡らし、また神ご自身が備えられたはずの垣根でしたが、一つ、二つと神は外され、それに乗じてサタンはヨブに次々と災いをもたらしました。

ですから、いくら祈り、どんなに聖書を読み、御言葉の宣言をし、神の守りを告白しても、災いから完全に解放される人生はありません。

この人生の真実を知ると、

「神の約束は嘘か?神は私を見捨てたか!」

などと混乱することはありません。

どんな人も災いと思えるような出来事に遭います。

ヨブ記を読んでわかるように、あえて神様は私たちに災いが来るのを許可されることがあるからです。

しかし、その背後には必ず意味があります。

その意味を見出そうとしてもわからないのでヨブは苦しみましたが、自分にはその意味が分からなくても、神は自分よりも遥かに大いなる御方で、自分には理解できない大いなる御計画があるのだと知り、ヨブはストンと腑に落ち、納得するのです。

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古来から信仰者はヨブのような試練に出会い、その人なりの納得の仕方でその試練を糧とし、さらなる信仰の深みへと進んでいきました。

大阪で英語講師をしていたJ.V.Martin宣教師は、たまたま東京で関東大震災に遭遇しました。

Martinは被災者が身を寄せあう明治学院のグラウンドで、夕闇に浮かぶ十字架を発見しました。

それはどうやら蚊帳(かや)の中で光るろうそくの光だったようです。

大災害のただ中にもキリストが共におられるという感動から生まれたのが「とおきくにや」(聖歌397番)です。

また、長崎の原爆投下で被爆したカトリック信者の永井隆医師は、

「その犠牲を贖罪の燔祭(ホロコースト)であるとさえ解釈した。それによって戦争を終わらしめ、『一億玉砕』から日本人を救ったからだと言う。長崎は、明治維新に至るまでキリシタン弾圧の殉教の地である。彼は医者であったが、かくの如く「現実」を神学的に捉えた。」
(http://shinozaki-baptist.jp/modules/kyuyaku/index.php?content_id=542)

という考えに行き着きました。

人は皆それぞれ、納得できるまでには様々な経路を通り、苦しみながら自分の答えを出し、その答がそれからの人生を支えていくのです。

神の慰めは皆違います。

他者が慰められたからといって、それがあなたにも慰めとなるかというと、そうは言い切れません。

また逆も同じです。

あなたが完璧だと思う答が他者に対しても有効な答となるとは限らないのです。

ですから神に向かって祈り、私にしか当てはまらないオーダーメイドの答を神からなんとしても引き出さねばならないのです。

神はそのようにして、祈りの交わりの中へと私たちを導いてくださっていることを知りましょう。

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さて、先ほどの失恋した学生さんの話に戻りましょう。

このような場合、

「きっとまた良い人と巡り会える時が来るさ。元気出せよ!」

と、こちら側の答えを押し付けてもあまり意味がありません。

人にはその人なりの論理回路があり、自分にピタッと当てはまった答を見出した時に初めて動き出せるからです。

そこで、その男子学生に、

「君は今までどんなことをしてイライラを解消し、リラックスしてるの?」

と尋ねると、

「友達と話している時です」

と言った瞬間、はたとひらめいたようです。

「そうか、俺、やっぱり、誰かといっぱい話さなきゃいけないんですね」

自分なりの答を見出したのです。

私が

「そうか、信頼できる友人に頼んでたくさん話を聞いてもらうことなんだね」

と確かめると、彼は笑顔で

「はい、そうです。先生、またよろしくお願いします」

と言って、友達の輪の中に入って行きました。

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神の守りがあることを口に出して宣言しましょう。

それがあなたの一日を守ります。

神の防波堤が崩れたように思う時は、あなたにしか与えられていない神の答を見出す時です。

さらなる信仰の深みへと邁進して行きましょう。

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2018.11.13

今日のみ言葉【No.1880】(2018年11月13日)「 十二弟子の派遣(2)」

彼らにけがれた霊を制する権威を与え、
(マルコ6:7)

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経営の神様とまで称された松下幸之助さんが、ある時、

「君、風の音を聞いても悟る人がおるなあ」

とつぶやきました。

それを聞いていた松下さんの側近の江口克彦さん(元PHP研究所所長)は、最初何を言われているのかわかりませんでしたが、まもなく、

「ああ、これは私に対する注意だな」

と悟りました。

つまり、

「わしの言うことをよく聞き、もっと深く理解するように」

という訓戒だったのです。

どの部門の責任者であれ、自分に責任を与えた上の人の真意を探り、常にそのことを意識しながら仕事をしなければなりません。

リーダーとなるべく選ばれた十二弟子たちが心に留めるべきことは、自分たちは悪霊を制する権威を与えられているということでした。

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イエス様は十二弟子を遣わすにあたり、彼らに「けがれた霊を制する権威」を与えられました。

けがれた霊とは悪霊のことで、「霊と心とからだ」(第1テサロニケ5:23)でできている人間に悪影響を及ぼす存在です。

すなわち、肉体的(体)にも道徳的(心)にも宗教的(霊)にも汚し、混乱させる霊です。

伝道に遣わされる弟子たちは、霊的に打ち勝つ道はここにあると知らされ、また、人々にこの神の力と愛を伝えました。

この世にはたくさんの混乱している状況を見ますが、その現象面だけに目をとらわれるのではなく、クリスチャンはその背後で支配する霊的存在に目を向けなければなりません。

目に見えない背後の世界を意識するようになると、最初は恐れます。

あなたの知らない世界だからです。

しかし、「けがれた霊を制する権威」が与えられているのだと知ると安心です。

神の力によって最終的には勝利が与えられることがわかっているからです。

霊の戦いは意識の戦いです。

私たちは常に思いを新たにすることにより、信仰によってけがれた霊を支配していくことが出来るようになります。

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先ほどの松下幸之助さんの口癖は

「君、何か用事はないか」

だったそうです。

一日に何度も各部署の責任者に電話をし、

「君、何か用事はないか」

と尋ね、会社の現状や仕事の進み具合、部下から何を聞いたかを報告させます。

ある時事業部長がうっかり「何もありません」と言ってしまいました。数時間前に綿密な報告をしていたからです。

すると松下さんが厳しい口調でこう言いました。

「君、こんなに世の中が速く動いているというのに、たとえ一時間でも何の変化もないということはないやろ」

江口氏はこう書いています。

「もちろん、数時間で事態がそうそう変化するはずはない。それは松下さんも百も承知である。松下さんが言いたかったのは、『常に考え続けていないから、君は何も答えられらないのではないか?』ということだった」
(『猿は猿、魚は魚、人は人』、江口克彦著、講談社、P28)

自分に与えられている力と自分がいる位置を常に意識していること。

それが霊の戦いの最前線にいる人たちに最も必要なことです。

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聖霊と共にいる意識を持つ一日として参りましょう。

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※御言葉メールのスケジュールは、
 ・月曜と木曜…キリスト教入門講座
 ・火曜と金曜…マルコ福音書講解説教
 ・水曜と土曜…慰めと励ましの聖句シリーズ
となっております。

2018.11.12

今日のみ言葉【No.1879】(2018年11月12日)「 教会(4)」

そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
(マルコ3:14-15)

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教会の使命は、教えるため、宣べ伝えるため、そして第3番目は「悪霊を追い出す権威を持たせるため」です。

これは広く「癒しのため」と解釈したほうが良いでしょう。

教会は慈善事業を主目的とする集まりではありませんが、神の本質は愛なので、神がいらっしゃるところではその愛のわざが溢れ出ます。

イエス様が町々村々を巡り歩かれた時、病の者を癒やし、悪霊に苦しめられている者を解放し、貧しい者をあわれみ、悲しんでいる者と共に涙を流して慰め、空腹なものに食物を与えられたのは、神の愛の発露です。

ただし、イエス様はこう言っておられます。

「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」
(ヨハネ6:27)

驚くべきことに、これは5千人の給食の奇跡をされた翌日の言葉です。

イエス様本人が前日の素晴らしい働きを否定するような言葉ですが、それくらい警戒しなければならないことがここにあります。

キリストの弟子・教会は、「人の生活を良くする働き」だけのために全生涯を捧げてはいけないということです。

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イエス・キリストが地上に来られた目的は、十字架によって人の罪を贖うためでした。

神と人間の関係をパイプに例えるなら、その間に罪というものが詰まっているので、人は神のことが分からず、神からの愛も罪に妨害されて人に届きません。

神の愛が正当に人間に流れるためには、神と人間を隔てている罪の問題を解決しなければなりません。

ですから、キリストの十字架による罪の赦しが優先順位第一位であり、それに伴って一般的な神の愛が実現されるのです。

つまり、教会は信仰の立場からこの世に奉仕するのです。

特に、人間の経験や知恵では処理しきれない、人生を揺るがすような問題に出会う時、教会が信仰を通しての癒しをそこにもたらすなら、それは最高の奉仕と言えるでしょう。

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不登校の問題を一例に取り上げてみましょう。

教会にそのような相談が寄せられた時、私たちは学校に行けないお子さんとそのご家族全体に関わりました。

その心の痛みの癒しのために働かせていただきましたが、それは

「キリストを信じてクリスチャンになったら助けてあげよう」

という交換条件的なものではありません。

イエス・キリストの罪の赦しの福音を土台とした神の愛でもって接し、あくまでその応答は自由なのです。

その過程で、罪の赦しの福音を伝え、命は神から与えられたものであり、その命をどう使うかは人間に任されていることをお伝えしました。

不登校の生徒さんから

「私はどう生きたらいいんだろう?」

と尋ねられると、

「そうだね。あなたはどう生きたいの?」

と問いなおすことを何度も何度も繰り返し、こちらから模範解答を誘導することはしません。

あなたはどう生きるか、と問われる中、その人自身が自分と神との関係の中で、練りに練った上で出された答が本物の答えなのです。

「まだあやふやだけど、私は自分の命をこう使う」

と決断し、学校に戻った人もいれば戻らなかった人もいます。

教会は学校復帰支援団体ではありませんからそれでいいのです。

しかし、不登校という体験を通して、自分の命の尊さに目覚め、キリストを信じて罪をゆるしてもらおう、永遠の命をいただいて新しく生きてみようとする魂が一人でも多く現れ、その人に仕え、癒しの働きのために奉仕するのが教会の使命なのです。

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どなたかに神の愛をもたらす今日として参りましょう。

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2018.11.10

今日のみ言葉【No.1878】(2018年11月10日)「 嘆きの後の希望(1)」

しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。
(哀歌3:21-23)

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この御言葉メールのことを「源泉かけ流し温泉」だと言う人がいます。

自分は毎日読むわけではない。しかし、読む読まないに関係なく毎日御言葉が流れてくる。

そのことが人が浴槽にいるいないに関わらず、滔々と100%源泉の湯が流れ出ているかけ流し温泉にたとえられたのでしょう。

神の恵みとはそのようなものです。

その恵みを人が求める時も与えられ、受けずに流してしまう時も関係なく与えられます。

それと同じことが神の裁きについても言えます。

神が忍耐を持って待っておられる期間が終わり、裁きが始まれば、人の思いや願いとは関係なく、正しく厳格な裁きが続いていきます。

イスラエルはそれをバビロン捕囚での悲惨な出来事として味わい、その嘆きが哀歌に記されています。

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哀歌の背景にはバビロニアによるエルサレム征服があります。

その残虐な仕打ちの描写には目を覆うものがありますが、哀歌の記者は自分たちの神への不従順がこの事態を招いたのだと述べています。

「主はその計画されたことを行い、警告されたことをなし遂げ、いにしえから命じておかれたように、滅ぼして、あわれむことをせず、あなたについて敵を喜ばせ、あなたのあだの力を高められた」
(哀歌2:17)

彼の嘆きは1章からずっと3章まで続いています。

しかし、今日の聖句の所では希望が語られています。

なぜなら

「わたしはこの事を心に思い起す」
(哀歌3:21)

と、過去に体験した神の恵みの記憶があったからです。

神は我々をただ苦しめるためだけに打ちたたいているのではない。

あの恵みの神がなさっていることなのだから、この苦しみには何か必ず意味があるはずだ。

哀歌の記者の記述は一転してこうなります。

「それゆえ、わたしは望みをいだく」
(哀歌3:21)

そして、全く希望の見えない中で、

「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない」
(哀歌3:22)

という信仰の言葉が出てくるのです。

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ただし、絶望の中にいる人間がそんなに簡単にV字回復するわけはありません。

「新しい別の考えを頭に入れたら気分は明るくなる」

というのは最初と最後だけを取り上げた表現であって、現実にはその途中の膨大で長いプロセスがあります。

哀歌3章21節の希望へと至る前に、1章1節から3章20節までの嘆きの期間が必要なのです。

「つらい、苦しい。つらい、苦しい。つらい、苦しい…」

内側に閉じ込められた辛さを表に出すことを自分に許すと、初期の段階ではとめどなく出てきます。

決壊したダムのように勢いよく流れ出て、もうこれは一生続き、自分でも止められないと思うほどです。

しかし、有限な存在の人間ですから、あらかた自分の中の思いを出すと、その流れが緩やかになる時がやって来ます。

そして、うめくことに慣れ、嘆くことに疲れを覚えるようになります。

飽きてくるのです。

そうなると、嘆くためには過去の嫌な記憶をわざわざ思い起こし、気力を振り絞らなければできないようになります。

これは重労働。そしてここが底です。

嘆きの後に

「しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく」
(哀歌3:21)

の時がやって来ます。

その時から、人は希望を見つけようとし始めるのです。

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嘆きは流れ出てくるものです。

やがて希望が見えてくる時があることを信じ、今日の一日を生き抜いて参りましょう。

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