2018.10.20

今日のみ言葉【No.1861】(2018年10月20日)「 強く、また雄々しくあれ(1)」

わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。
(ヨシュア記1:9)

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タクシー業界大手、日本交通会長の川鍋一朗氏は家業を受け継いだ3代目です。

その恵まれたキャリアから「タクシー王子」と称されることもあったそうですが、内実は1900億円の負債を抱えた会社の立て直しに相当な苦労をなさいました。

川鍋氏はあるビジネス誌のインタビューにこう語っています。

「私は3代目のオーナー社長として、ある程度の地位からスタートしましたし、おカネも自由に使うことができます。しかし同時に、3代目はしがらみのあるところからスタートしなければなりません。その意味では、3代目社長といってもプラス、マイナス両方の側面があると思います。」
https://toyokeizai.net/articles/-/194019

旧約聖書で、モーセの後を引き継いだヨシュアはいわば2代目と言えるでしょう。

彼にも2代目ならではの苦労と、プラス・マイナスの両面がありました。

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今日の聖句は励まし中の励まし、キング・オブ・励ましとも言える箇所で、あなたもどなたかへの励ましの聖句としてお使いになったことがあるでしょう。

神はどんな時に人を励まされるのでしょうか?

その答はヨシュアの状況に見ることができます。

彼にはモーセという偉大なリーダーに付き従い、身近でその実体に触れ、実地で学んだ豊富な経験がありました。

2代目指導者のヨシュアにとって、これは非常なプラス面です。

と同時に、これから先にあるであろうマイナス面も見えていました。

神の約束だから必ず成ると信じていても、どうやっても事を進めることができない挫折体験を彼は持っていたのです。

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時を遡ること40年前、ヨシュアは約束の地カナンへの偵察隊の一員として、

「そこはまことに乳と蜜の流れている地です」
(民数記13:27)

との事実を見てきました。

と同時に、

「しかし、その地に住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きく、わたしたちはそこにアナクの子孫がいるのを見ました」
(民数記13:28)

という事実も把握してきました。

豊かな土地ではあるが、無人ではなく先住民がいるということです。

現代に例えて言えば、環境は抜群に良いけれども、人間関係が難しそうな土地に引っ越すようなものです。

ヨシュアは神を信頼し、

「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」
(民数記13:30)

と進言しましたが、民全体には受け入れられず、逆にエジプトに戻ろうという話まで出る始末です。

ついに不信のイスラエルに対して神の裁きが下されました。

それは、40年間荒野で生活し、そこで訓練を受け、神の民として新たに生まれ変わることでした。

せっかくエジプトから脱出できたのに、神の約束への否定的見解を持っていた人々は皆荒野で死に、カナンの地を見ることはできませんでした。

ただ神の約束を信じたヨシュアとカレブだけが生き残り、40年の荒野の生活中に誕生し、エジプトでの奴隷時代を体験していない新しい民がカナンの地に入れたのです。

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あれから40年。

もう一度カナンの地に入るチャンスが与えられた今、ヨシュアは間違いなくひるんでいたことでしょう。

外には先住民という敵がおり、内には新しい心を持った民とは言え、いつなんどき心が変わるかも知れない弱さを持った人々を引き連れています。

モーセからの遺産というプラスの要素と、御心を行おうとしても成らなかった過去のマイナスの記憶。

アクセルを踏む自分とブレーキを踏む自分の両方がいる現実の中、立ち止まっているヨシュアに対して、神は励ましの言葉を与えたのです。

(以下、次回に続きます)

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御心を行おうとし、ひるむ時こそ、神の励ましが必要なのです。

神があなたに何を語りかけているのか、確かめる今日として参りましょう。

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2018.10.19

今日のみ言葉【No.1860】(2018年10月19日)「 悪霊の追放(2)」

「けがれた霊よ、この人から出て行け」
(マルコ5:8)

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雀が猫に襲われて危うく難を逃れた場面を目撃したことがあります。

さっさとその場から離れて飛び去ってしまえばいいものを、

「ギェギェ!」

「ジュジュジュ!」

という喉の奥から絞り出すような激しい音を出して、雀はしばらく猫の上空2mあたりを飛び回っていました。

仲間に知らせる警戒音なのでしょう。

また、鶴はめったに鳴き声を上げない鳥なのだそうですが、あの長い首が金管楽器のような働きをし、身に危険が迫った時、他の鳥を驚かすような大きな声で鳴くそうです。

これを「鶴の一声(つるのひとこえ)」と言います。

転じて、影響力のある人の一言で物事が決まってしまうという場合に使われるようになりました。

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今日の聖句はイエス様からの「鶴の一声」です。

「けがれた霊よ、この人から出て行け」
(マルコ5:8)

ゲラサ人の地方で出会った男は悪霊の支配の中に置かれていました。

支配されているということは、支配する者以外のコントロールが効かないということです。

まず、周りの人々が彼の行動を止めることができませんでした。

「彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかった」
(マルコ5:4)

さらに、自分でも自分のことをコントロールできませんでした。

「石で自分のからだを傷つけていた」
(マルコ5:5)

誰もどうしようもない。自分でも自分のことをどうすることもできない。

しかし、この男はキリストと出会って悪霊から解放されました。

なぜなら、イエス・キリストは自然界のみならず悪の諸勢力をも支配する御方だからです。

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悪霊はこの世に居場所を持って働きます。

ですから、人の中に巣食ったり、最悪でも今回の聖書箇所にあるように汚れた動物とされた豚の中にとどまります。

つまり私たちは日常の生活において悪魔の攻撃にさらされているということです。

しかも、私たちを堕落させる悪霊の数はレギオンと言われるほど多いのです。

しかし、そのような状況の中にあっても、私たちがイエス・キリストと出会い、

「けがれた霊よ、この人から出て行け」
(マルコ5:8)

という鶴の一声さえいただければ、全く癒され、健全な生活を営むことが出来るのです。

自分でも自分をどうすることもできず、悪の勢力の支配下に置かれてどうしようもない状態であっても、神の力はこれを滅ぼします。

どんなに悪が勝ち誇っていたとしても、イエス・キリストは悪は滅びるものだと告げるのです。

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悪霊につかれた人は、この話の最後で

「着物を着て、正気になってすわっており」
(マルコ5:15)

となっています。

この終わりの姿に目を向け、そのようになることを信じ、思い描き、そこを目指すのです。

そのために今日の一日があると再確認し、癒しの方向へと進んで参りましょう。

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2018.10.18

今日のみ言葉【No.1859】(2018年10月18日)「 再臨(3)」

わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
(黙示録3:11)

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「アドベントをどう説明したらいいのでしょうか?」

というご質問を受けました。

今はインターネットで検索すれば何でもすぐ答が得られる時代ですが、書いてある通りに説明して、果たして相手がわかるかどうか甚だ疑問です。

大体言っている私たち自身も理解していないことの方が多いのですから…。

やはり自分が理解し、納得できたものだけが相手に通じるのです。

そこで、しばらく話のやりとりをして、

「クリスマスを迎えるための準備期間です」

というところに落ち着きました。

救い主のご降誕をお祝いするクリスマス。

それを指折り数えて楽しみにして待つ4週間。

クリスマスが待ち望まれているように、キリストの再臨もまた待ち望まれるべきものです。

クリスマスは人間に救いを与える神の愛の表れであり、キリストの再臨はその救いを完成させる神の愛の表れだからです。

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イエス・キリストは

「わたしは、すぐに来る」
(黙示録3:11)

と言い残されましたが、まだ来られていません。

人間の「すぐ」という感覚と神の思いとは異なっているのです。

しかし、再臨は「すぐ」起きておかしくないことであり、いつ起きるのかは誰にもわかりません。

今日になるのかもしれませんし、もう2000年待つ必要があるのかもしれません。

キリストがもう一度来られるまでに私たちがするべきことは、

「あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい」
(黙示録3:11)

ということです。

それは、キリストを信じることによって得られた永遠の命・天国への希望を奪われることのないよう、自分の持っている信仰を堅く守って生活するということです。

それは必ずしもこの世で成功者となることを意味しません。

「あの人は信仰がしっかりしているから経済がうまく回っているのだ」

という考え方は持たないほうが良いのです。

信仰の確かさと収入の多さに相関関係はないからです。

信仰を堅く守って生活するとは、神の御心の方向を向き、その方向に向かって生きようとしているかどうかです。

その生きる姿勢を神は評価され、終わりの日、再臨の日に報酬を受けるのです。

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あるお父さんの話です。

子供たちが兄弟げんかをしているのを見たので、お父さんは子ども部屋に行き、叱り、泣いている子を慰めたり励ましたりしました。

そして、散らかっているおもちゃを片付けるようにと後片付けを命じました。

子供たちは泣き止み、自分たちで片付けようとしますが、どうしてもきちんとはできません。

お父さんは頃合いを見計らって、もう一度子供たちの部屋に行き、これはここ、あれはそこ、と一緒に片付け、部屋をきれいにしました。

父なる神様がキリストをもう一度地上に遣わすとはこのようなことなのです。

救いの完成。

その神の愛の表れが再臨です。

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再臨を待ち望む思いを持ち、御心に励む今日として参りましょう。

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2018.10.17

今日のみ言葉【No.1858】(2018年10月17日)「 神の慰め(2)」

それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。
(第2コリント1:5)

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お客様のご家族を一晩泊めたことがあります。

家とは違う環境を敏感に察知したのでしょうか、赤ちゃんが夜泣きをしています。

お母さんが一生懸命あやしておられるのがわかります。

そんなことが2度ほどあり、翌朝、私はお母さんに

「昨日の夜は赤ちゃん大変でしたねえ」

と、いたわったつもりで言ったところ、

「え、何がですか?」

という返事に、こちらのほうが驚きました。

とぼけて知らんぷりしているのではありません。

赤ちゃんは泣くのが当たり前で、それはいつものことだから記憶にも残らなかったということです。

眠れなくて大変だったのではないか、という私の想像は全くの的外れであり、お母さんにとっては、かわいい赤ちゃんのために一生懸命お世話をする愛の時間だったのです。

一つの出来事を、問題と取るか、喜びと取るか、何でもない普通のこととして受け取るか。

それは「愛」ということが鍵となります。

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神の御心を行おうとし、キリストの福音を伝えるために何がしかの行動を起こすと、そこで必ず問題に出会います。

実際にパウロが経験したのはこういうことでした。

「幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった」
(第2コリント11:26-27)

彼はこのような苦難が

「降りかかってきて大変迷惑だった」

とか

「御心を行っているのになぜこんなことが起こるのだろうか。神の守りは無いのか」

とも言っていません。

パウロはそれを

「キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれている」
(第2コリント1:5)

と、まるで満天に輝く星空のような美しさとして表現しています。

苦難を味わう度毎に、神からの慰めも満ちあふれているのを彼は実感していたのです。

「わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである」
(第2コリント1:5)

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そう言うパウロはキリスト教の大迫害者でいた過去があります。

彼はクリスチャンを捕らえようとして向かっていたダマスコ途上でキリストと出会い、自分が大変な誤りをしでかしていたこと、罪人中の罪人であることが示されました。

しかし、その罪がキリストの十字架で全くゆるされるという神の愛に出会ったのです。

彼の重荷は取り去られました。

神に無条件で愛されていることを知ったパウロは、その神の愛に押し出されるようにして、キリストの救いを人々に伝える愛の伝道者として立っていきます。

ですから、その後の人生で出会う患難は、夜泣きをする赤ちゃんと出会ったようなものなのです。

傍から見れば大変そうな人生でも、本人にとっては充実感あふれる人生です。

パウロは苦難に遭うたび、天から一条の光が差し込み、もう見込みがないと思う時に助けられ、神から慰められているという体験を幾度となく味わいました。

神の慰めで満ちあふれているように感じて生きる人生のポイントがここにあります。

それは、神が無条件の愛でこの私を愛しておられることを知り、罪のゆるしの福音を信じて生きることです。

この愛によって動かされる時、苦難の中に慰めを見出すのです。

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最後に、上記のことが、とてもそう思えない方に一言。

自分はお母さんの立場ではなく、赤ちゃんなのだと考えてみましょう。

嫌なことに出会う度に泣く赤ちゃんです。

それでいいのです。

赤ちゃんは泣いて世話をしてもらうことが仕事なのですから。

患難に出会う度に泣き、神はいないと叫び、その度毎に誰かにあやされ、たっぷりと愛されることが今の仕事なのです。

その愛で人は成長します。

そしてやがて、誰かを愛する立場となっていることに気づくのです。

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私はそのことを自分の体験から思います。

不思議なことに、私が飛行機に乗ると、機内に必ず赤ちゃんがいます。

毎回どこかで赤ちゃんの泣き声がするのでその存在に気付かされます。

20代の独身の時は

「うるさいなあ。お母さんは何をやっているのだろう」

と迷惑気味に思っていました。

やがて子を持つ親となってみると、

「あちらも大変だなあ」

と同情心が芽生えてきました。

今や孫を持つような年代になってみると

「何かお手伝いできることはないか」

と、応援したい気分になっています。

人の心は年齢と共に人生体験を重ね、変わっていきます。

あなたも私も、愛される側から愛する側へと、神様は成長させて下さるのです。

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神の慰めを見出し、素直にそれを受け取る今日となりますように…。

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2018.10.16

今日のみ言葉【No.1857】(2018年10月16日)「 悪霊の追放(1)」

こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
(マルコ5:1-2)

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時が読める人というのはいらっしゃるものです。

「ここが潮目だ」

とバブル経済の絶頂期で株を全部売却し、

「こんなのはアブク銭だから仕事のために使っちゃいかん」

と仲間を誘って海外で豪遊し、良い思い出を作った後、地道に仕事に励まれた人を知っています。

きちんとデータを読める知性と、経験によって磨かれた感性のなせる業でしょうが、人間にはそれに加えて霊性というものがあります。

人の霊性は、悪霊の働きにも神の霊の働きにも左右され、自分でもなぜかはわからない行動に出ることがあります。

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マルコによる福音書第5章2節に登場する「けがれた霊につかれた人」はその代表的存在です。

彼はまさに悪霊につかれた人でしたが、

「墓場から出てきて、イエスに出会った」
(マルコ5:2)

とあります。

ちなみにパレスチナ地方の墓場は、日本のように墓石が建っているのとは違い、横穴方式ですから人が住むことができました。

彼はわざわざ出てきたのです。

悪霊は人間以上にイエス様の力を知り、恐れていますから、隠れて出てこなければ良いものを、この人は

「イエスが舟からあがられるとすぐに」
(マルコ5:2)

と、それは即座の出会いであったことが記されています。

岸から遠く離れた墓場で神の霊をキャッチしたのか、あるいは、嵐を静められたイエス様一行の舟を見ていたのか、何かはわかりませんが、とにかく彼の内なる何ものかが彼自身を動かしたのです。

神の霊のあるところ、神の御心の業が起こります。

それは自然界での奇跡という現れもありますが、多くは人との出会いに現れます。

ですから、私たちは人との出会いに心を配らなければなりません。

今日出会う人が、神の霊に促されてあなたと会いに来た人かもしれないからです。

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田中先生を米沢駅に迎えに行った時のことです。

車に乗るとすぐ

「今から遠藤キンさんのところへ行く」

と先生が言われるので、私は

「教会にお戻りになられるのではなかったですか?」

と確かめると、

「いや、先にキンさんのところへ行ったほうがいいような気がする」

とおっしゃいます。

遠藤キン姉はご高齢で、いよいよ天国に行く日が近いと聞いていましたから、こういう時は「問わず従え」です。

車を走らせ、お宅に着き、部屋に入れてもらうと、おばあちゃんが寝ているお布団をぐるりと囲むようにして、ご家族と近親の方々数名が集まっておられました。

キン姉はすぐに田中先生を認めて、「信生先生、よく来て下さいました」と言う声は私も聞こえました。

二言三言、お二人の間で会話があったようです。

そして間もなく、本当に間もなく、天に向かって何かを語るかのように舌が動き、そのまま息を引き取られました。

すぐにご近所のお医者さんが呼ばれ、脈を取り、瞳孔を確認してから、

「ご臨終です」

と厳かに言われました。

この間、30分。

神様に呼ばれたとしか言うことの出来ない体験でした。

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神の霊の働きは、私たちの内なる聖霊のささやきによって知らされます。

神の静かな声を拒むことなく、神の御心に従う一日として歩んで参りましょう。

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