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2011.04.30

今日のみ言葉(2011年4月30日)【No.41】

「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」
(ヨブ記1:21)

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旧約聖書のヨブという人物に次々と災いが臨みました。彼の財産は奪われ、家族は天災の犠牲者となりました。しかしそれらはヨブのせいではなく、サタンの働きを神が制限し、許可した結果でした。彼はその後、以前以上の繁栄を取り戻しましたが、災いの理由は終生知らされることはありませんでした。知る必要がなかったからです。

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ヨブは当初、「自分はこの災いを招くような悪いことは一切していない」「自分のどこが間違っているのか」「私は正しい」という主張を繰り返していました。

しかし、ヨブ記の最後でつむじ風の中から神が現れ、大自然の創造の業を語ります。ヨブにとっては知らないことばかりでした。そこで彼は悟るのです。自分の知るところはほんの一部であり、何も知らないに等しい。しかし、神はすべてをご存知でいらっしゃる。この災いにも私の知らない理由があるのだ…、と。ヨブは自分以上の偉大な存在があることを認め、その方に人生を委ねました。自分の正しさを主張するのをやめ、神の正しさを受け入れたのです。今日の御言葉はそのことを表しています。

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大災害を経験し、それを乗り越えた先達の言葉は貴重です。私たちには今理解できなくても、その正しさは保証済みだからです。

2001年アメリカ同時多発テロ時にニューヨーク市長だったジュリアーニ氏は、テロ数日後、犠牲者の遺族たちに「どう振る舞えばよいのか」と率直に尋ねました。「いつも通りで」というのが答えでした。そこで彼は「ふだんの生活に戻ろう」と市民らに訴えました。ブロードウェイの俳優には「劇場に戻れ」、レストランには「開店せよ」、さらに「野球を再開しろ」、と言ったのです。普段の生活に戻るということは、日本の私たちにとっても大変重要です。

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彼はテロという災害を実際に経験し、その渦中にいた者として、日本人とその指導者たちに対してこう語ります。「テロでニューヨークの一部は破壊され、多くの人が亡くなった。でも、大半は生きのびた。できることはたくさんあるのに、体は大丈夫なのに、心が言うことを聞かない。だから前を向かせることが大事だ。」(日経新聞4月27日付)
前を向くことまで、とても気が回らないという方もおられることでしょう。過去に引きずられる力を感じ、立ち止まって普段の生活を行うだけでも精一杯の方もおられるでしょう。しかし、一歩でも前の方に向かうことによって私たちが支えられていくことを、ジュリアーニ前市長は教えています。なぜなら彼は同じく被災者であり、かつ、そこから立ち上がった経験者だからです。

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理由はわからなくても、神の判断こそが確かだ、と自分以上の存在を信じ、前へ向かって歩み出す一日として参りましょう。

2011.04.29

今日のみ言葉(2011年4月29日)【No.40】

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」
(ヘブル人への手紙11:2)

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シドニーマラソンは2000年のシドニーオリンピックを記念して始められた大会です。その地で女子マラソン金メダルに輝いた高橋尚子さんが昨年ゲスト参加し、日本人出場者らを応援なさいました。
高橋さんに伴走され、一緒にゴールした64才の男性ランナーは、「太ももがけいれんしていたけど、頑張っちゃった。最高だよ」と興奮気味に話していたそうです。
自分と一緒に走ってくれる人がこのコースの金メダリストであるとは、何という豪華な、そしてこれ以上ない確かな存在だったことでしょう。

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「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエス」とは、この高橋尚子さんのようなものです。
完成者とは金メダリストのことです。信仰の道を走りきり、トップとなってゴールインしたことをいいます。

信仰のマラソンでも、ゴールにたどり着くまでに様々な困難を体験します。神に信頼を置こうとすればするほど、不安が湧いてくるのです。

「本当に大丈夫なのだろうか?」
「これで良いのか?」

神の子イエスは私たちと同じ感情を味わいました。十字架について、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と、うめくほどの祈りをしましたが、神は答えられませんでした。

イエス・キリストは十字架から降りることをせず、父なる神を信頼し、息を引き取りました。しかし、その3日後によみがえり、信仰のマラソンのゴールをくぐり抜けたことを証しされたのです。

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この方が「信仰の導き手」となって、私たちと一緒になって走って下さるというのです。

すなわち、私たちが味わう生きることの難しさ、神を信じようとする時の忍耐、時に辛抱を通り越して「神は本当にいるのか」という不信と闘う時、既に同じコースを走り抜けた方が、「大丈夫、やれるよ」と、確かなみ言葉を持って励まし、支えて下さるのです。

私たちは、太ももがけいれんを起こしたら、「大事をとってここでやめよう」と思います。しかし、金メダリストが「大丈夫。私のペースに合わせていけばゴールに着けますよ」と、そばを一緒に走ってくれるので、安心してけいれんを起こしながら走っていけるのです。

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このイエス・キリストを今日も仰ぎ見つつ、走り抜いて参りましょう。

2011.04.28

今日のみ言葉(2011年4月28日)【No.39】

「わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。」
(詩篇139:14)

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かかりつけのお医者さんに行くと、数年前のカルテが保管されてあります。それを見ながらドクターが、「あなたの場合は強い抗生物質より、こちらの方がいいですね。胃を保護するために胃薬も出しておきましょう」と処方してくれました。私がもうすっかり忘れていることもちゃんと知っていらっしゃるのです。

マッサージに行くと、過去の来院歴がすべてパソコンに入力されています。そして、
「初めて来た頃に比べて、筋肉の質が柔らかく強くなってきましたね」と実際の感覚も教えてもらえます。私が意識すらしないところを知っている人がいるのです。
これらの方々は、私のことをよく知り、私のために良きことをしてあげようとする人たちです。何と心強い存在でしょうか。

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詩篇139篇で明らかにされる神とはそのような方です。神は私たちのすべてを知り、当の本人である私たちすら知らないこともすべてご存知のお方なのです。更に、知っているだけでなく、それをもとにして私たちに良きことをしようとされるお方です。私の健康状態をすべて把握しているお医者さんの手にお任せすると安心なように、全知の神にお任せする時、私たちの人生は平安に満たされます。

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今回の地震・津波では多くの人命が失われました。いまだに連絡が取れず、友人・知人・ご家族のお名前が行方不明者名簿から外れない、という方もおられることでしょう。「なぜこんなことが起きたのか?」、「なぜあの人が亡くならなければならなかったのか?」…。わからないことだらけです。しかし、わかることがあります。それは、
(1) 命は神のものです。
人間はどんなに努力しても自分の命を僅かでも延ばすことは出来ません。この世を去る時は神様がお決めになるという厳粛な事実を私たちは見せられています。
(2) 神はすべてを知っておられます。
人間にはなぜだかわからないことも、神は答えを持っておられ、始めから終わりまでのすべてを知っておられます。
(3) 神は良きことをなそうとしておられます。
すべてを知っておられる神は、生きている私たちに良きことをなそうという計画を持っておられます。今は私たちには見えないし、明らかになっていないだけです。

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聖路加病院の日野原重明先生は、京都大学医学部の2年生になる直前に結核にかかり、1年間の療養生活をせざるを得ませんでした。当然、留年となり、医学生として1年遅れを取りました。先生は当時のことを振り返って、こう語られます。あの1年がなかったら、私は病む人の心はわからなかっただろう。病気になった人の心の内は、体験しなければわからない」「私は留年して大損したと思っていたが、医者にとってこれほど得なことはなかった」「あの1年は失ったんじゃない、いや、神の恩寵だったんだ」日野原先生が患者の気持ちがわかるようになったのは、あの結核の療養体験があったからでした。

神は、いのちの与え主であり、あなたのすべてを知り、あなたへの良き計画を持っておられる方です。神の成される業に今日もお任せしていきましょう。

2011.04.27

今日のみ言葉(2011年4月27日)【No.38】

「万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。」
(ローマ書11:36)

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今日の聖句は、「神がすべての第一原因である」という聖書の基本的考え方を表しています。

これはイスラエルの民にとっては当たり前すぎることなので意識すらしないのですが、聖書に触れたことのない日本人にとっては新たな発見です。

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旧約聖書の出エジプト記で、エジプトの王パロはイスラエルの民の脱出を拒みます。

その理由を、「主はパロの心をかたくなにされたので」と聖書は記しています。

神がパロの心を操作したのではなく、むしろ彼の意のままに任せたのです。パロはモーセを通して伝えられた神の御心に従わず、自分の欲望を通し、イスラエルの民を奴隷のままにつなぎました。彼は自分で自分の心をかたくなにしたのです。

しかし、聖書では「神が第一原因」としますから、

「パロがその心をかたくなにしたのは、神が彼の心を自由にさせて取り締まらなかったからだ」

と考えます。従って、

「主はパロの心をかたくなにされた」

という表現になるのです。

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神のご支配には、地震や津波といった有無を言わせぬ強力な支配もありますが、

「あなたの自由に任せる。あなたが選んでごらん」

と、人間の自由意志で選択させ、ご自分は決して表に現れようとしない時があります。私たちもエジプトの王パロと同じお取り扱いを受けるのです。

堅く沈黙を守られるのは、あなたが神の顔色をうかがって物事を決めないようにするためです。それほど尊い自由をあなたに与え、あなたの意思を尊重し、あなたと共に歩こうとされるお方が聖書の神なのです。

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すべてを御支配される神様の御手の自由の中で、御心を尋ね求めて参りましょう。

2011.04.26

今日のみ言葉(2011年4月26日)【No.37】

「このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。」
(イザヤ書55:11)

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今日の聖句の中心は、「わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない」というところです。神が発せられた言葉はむなしく帰らない、とは、その言葉は必ず何らかの変化をもたらすということです。神の言葉が語られた所では、「結局何も変わらなかった」ということは決してありません。必ず神の御心がなされ、神も人も共に喜ぶ結果が生まれるのです。

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これはフィンランドの首都ヘルシンキの教会でのお話です。

「町の真ん中にも教会が必要だ。是非造りたい」と、彼らは祈り始めました。しかし、法律で土地の用途の変更は禁止されており、教会建設はあきらめざるを得ないという意見が大勢を占め始めました。

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その時、ある人々が「もっと祈って父なる神様に知恵を求めよう」と祈り始めました。聖書の中に、

「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるでろう。」(ヤコブの手紙1:5)とあるからです。

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すると、二人の建築家が、「ヘルシンキの町のど真ん中に、大きな岩盤が地表に露出して放置されたままの土地がある。この岩をくりぬいて礼拝堂を造りたい」というアイディアを出してきました。

岩盤の原型はそのままとなるため、市はこの計画を許可し、1969年、銅板製のドーム型の天井をつけたテンペリアウキオ教会(別名「岩の教会」)は完成しました。

今や日曜日の礼拝だけでなく、週日は世界中から観光客が訪れるフィンランドの名所となっています。

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神の言葉がむなしく帰ることはありません。今日もそのみ言葉に希望を持って生きていきましょう。

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