Home > 5月, 2011

2011.05.31

今日のみ言葉(2011年5月31日)【No.72】

「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。」
(使徒17:28)

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魚が最後に気づくのは水の存在だろうといわれています。自分の周りに当たり前にありながら、指摘されなければその存在すら意識できないもの。しかしそれがなければ生きていけないもの。それが魚にとっては水であり、人間にとっては神の存在です。
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2011.05.30

今日のみ言葉(2011年5月30日)【No.71】

「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
(創世記28:15)

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この言葉を神から語られたヤコブは、神に忠実で従順、御心を行うことに生きた人…、とは言えませんでした。弟である彼は財産相続をしたいがために、自分は兄エサウだと偽って盲目の父イサクを騙し、まんまと成功しますが、直後にそれが兄の知れるところとなりました。
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2011.05.29

今日のみ言葉(2011年5月29日)【No.70】

「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
(ヨハネ12:24)
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一粒の麦が死ぬとはどういうことでしょうか?腐ってしまうことではありません。それでは「死んで実を結ぶ」というここでの意味とはつながりません。
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2011.05.28

今日のみ言葉(2011年5月28日)【No.69】

「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。」
(創世記12:2)

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今日のみ言葉は、神からの一方的祝福を受けた人間が、それを周りに与える祝福の発信基地として生きることを語っています。
神から祝福が向けられることが始まりです。次はあなたがそれを受けることです。受ける準備は出来ているでしょうか?
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2011.05.27

今日のみ言葉(2011年5月27日)【No.68】

「それから、みんなの者に言われた、『だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。』」
(ルカ9:23)

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自分の十字架を負うとはどういうことでしょうか?

その当時、十字架につけられる罪人は刑場まで自分の十字架の木を負って行かなければなりませんでした。ですから十字架をこのまま背負っていけば、やがてこのことのために私は死ななければならない、という恐ろしいことを言っているのです。自分を捨て、相当の覚悟を持たなければ十字架を負うことは出来ないように感じます。
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