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2011.06.30

今日のみ言葉(2011年6月30日)【No.102】

「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共に
おられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。」
(詩篇23:4)

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『死ぬ瞬間』の著者、キューブラー・ロス教授は、死を告知された末期患者がたどる心の
変化を次の5段階にまとめました。

〈1〉否認
ショックをまともに受けないために、まず否認がおきます。
「そんなの嘘だ」「何かの間違いだ」

〈2〉怒り
死という現実を認めざるをえなくなると、次に怒りや恨みがこれに取って代わるようにな
ります。
「なぜ私だけこんな目に会わなければならないのか…」

〈3〉取引
生きるための取引をし始めます。
「神様、これからは真面目に生きます。もう財産はいりません。だから命だけは与えてく
ださい。」

〈4〉抑うつ
あらゆる努力が功を奏さないことが分かると、患者はうつ状態になります。

〈5〉受容
自分の人生の終わりを静かに見つめることのできる受容の段階に入ります。

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私は牧師として多くの方の死のお供をさせていただきました。否認・怒り・取引の段階ま
では人間的な慰めや励ましも支えとはなります。

しかし、4番目の抑うつの段階からは、人間の言葉は届かないことを感じます。私の言葉
がその方の心に入らないだけでなく、その前に途中で下にスーッと落ちてしまう感じがし
ます。

神の言葉のみがその方の心に入るというのが実感です。

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今日の聖句、

「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共に
おられるからです。」

を病床で読ませていただく時に、どなたからも聞く言葉は、

「ありがとうございました」

という感謝の言葉です。

死を目前にして社交辞令はありません。

神が最後の最後まで共にいて下さり、死の瞬間にもしっかりと手をつないで下さり、天国
へ導いて下さるという希望が「死を受容する」支えとなるのだと私は確信しています。

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神はあなたと共に歩んで下さいます。その恵みを心に味わう一日として参りましょう。

2011.06.29

今日のみ言葉(2011年6月29日)【No.101】

「わたしはいにしえの日を思い出し、あなたが行われたすべての事を考え、あなたのみ手
のわざを思います。」
(詩篇143:5)

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東日本大震災で各携帯電話会社から提供されていた災害用伝言板が、明日6月30日で終了
するそうです。

4カ月近い運用期間を経て利用件数も少なくなったから、という理由ですが、一つの節目
を迎えたような気がします。

2011年の半分が過ぎようとしているこの時、今年なされた神のみわざを思い出すちょうど
良い時なのではないでしょうか。

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今日の聖句は過去に行われた神のみわざを思い起こすことを勧めています。

その理由は旧約聖書の出エジプト記を読むとわかります。

モーセに導かれ荒野で生活したイスラエルの民は何度も不平を言いました。

水がない、食べるものがない…。その度毎に神は民の必要を満たされ、神が共におられる
ことを奇跡を通して示されます。

ところが、イスラエルの民はそのことから学びませんでした。その後、同じように水がな
い状況に出会うと、

「神様が今度も助けて下さる」

とは思わずに、

「これでは死んでしまう。どうしてくれる!」

と指導者モーセと争い出すのです。

人間は目の前に必要なものが見えないとパニックを起こしやすい存在だからです。

目の前に見えるものがないと、あの時もこの時も神が助けて下さったという恵みが吹っ飛
んでしまうほど人間は弱い存在です。

だからこそ、自分の人生に神様がなして下さったみわざを思い起こすことが必要不可欠な
のです。

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山形市で田中信生師の講演会を開催し、今年で21回目が終わったばかりです。21年間続け
られました。

不思議なことに、講演会の1〜2週間前には必ず予想外のトラブルが起きます。また、講演
会とは全く関係のない相談の電話が急に増えます。

そして講演会が祝福の内に閉じ、トラブルや相談に応じる時間ができると、ぴたりと電話
が鳴らなくなります。

毎年このパターンが続くので、私はこう思うようになりました。

「ああ、サタンが講演会の祝福を得させまいとして今から妨害しているんだな。それほど
今回も祝福は大きいのだな。」

ですから、トラブルが起きれば起きるほど、そして電話の相談に時間が割かれ、講演会の
準備に充てる時間が無くなってプレッシャーがかかればかかるほど、

「あの時もそうだった。この後、祝福は波のように押し寄せる。」

と笑顔が湧いてくるのです。

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あの時もこの時も与えられた神の恵みを心に覚える一日を過ごしましょう。

※「今日のみ言葉メール」を皆様にお送りして、昨日でちょうど100回目でした。
100回分をまとめたMSワード形式のファイルがあります。
バックナンバーを読みたいというご希望をお持ちの方はご連絡下さい。
ファイルを添付してメールで送信いたします。
費用は無料ですのでお気軽にお申し付け下さい。

2011.06.28

今日のみ言葉(2011年6月28日)【No.100】

「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負わ
れ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの
年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必
ず負い、持ち運び、かつ救う。」
(イザヤ46:3-4)

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今日の聖句はイスラエルがバビロニアに補囚された時に、預言者イザヤによって語られた
個所です。

「残ったすべての者」とは捕らわれ、生き残った者をいいます。財産も、友人も、住み慣
れた土地も、プライドも、全てを失い、異国の地で敗者側として生きているイスラエルの
民のことです。

この民の目の前をバビロニアの巨大な偶像神が荷車に積まれ、勝利者として通っていきま
す。

しかし聖書は、それらの偶像は人によって運ばれ何の力もないものであり、人を支えてい
るようでいて実は人によって支えられているものだ、と言います。

真の神は人間を背負い、運ぶ神です。

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神に背負われて生きるということは、人間は何もしなくても神が全て身の回りのことを面
倒見てくれるということではありません。

人間と神との正しい関係は、人間が神に依存して生きる、ということなのです。

もちろん人は経済的にも人格的にも自立して生きるべき存在です。

しかし、こと神との関係に至っては、依存して生きる、すなわち、神の存在無くして人間
は生きることはできないのだと意識する、と言うことです。

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電気製品を考えると理解の助けになるかもしれません。

コードがコンセントにつながれていれば動きます。コンセントから抜かれていればピクリ
とも動きません。

機種によっては内蔵の充電池で何の変化もなく動いているように見えるかもしれません。
しかしそれも数時間で終わります。

電気製品は電源とつながっているからこそ機能を十分に果たせるのです。

人間も神とつながっていて初めて、神にデザインされた通りに機能することができます。

この神に生かされ運ばれている自分であることを認め、信じ続けていく時に、恐れながら
も一歩踏み出していく力が与えられるのです。

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神の確かな保証を心に刻みましょう。

2011.06.27

今日のみ言葉(2011年6月27日)【No.99】

「イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一
つ一つの言で生きるものである』と書いてある。」
(マタイ4:4)

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イエス・キリストは公生涯に入る直前、40日間の断食をしました。その直後、悪魔がやっ
てきてこう言いました。

「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」
(マタイ4:3)

直接的には、これは空腹の人間を誘惑する言葉です。

と同時に、

「結局、神様とか信仰とかと言っても、食べるようにできなければ何にもなりはしないで
しょう。」

「神様の力を頂いているんだったら、さっさとその力を出して食糧問題を解決するのが先
なのではないですか?」

「礼拝だ、祈りだとかを大切にするのはいいですが、それは個人の好みの問題ではないで
しょうか?全人類のためを思えば、そんなことよりまず食物が与えらることですよ。それ
が本当の愛ではないですか?」

「信仰を第一にするとおっしゃるあなたは、貧困にあえぐ人を見ないようにしている偽善
者なのでは?」

という、現代でもどこかで聞く激しい挑戦と誘惑の言葉なのです。

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これに対して、イエス・キリストは、

「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものであ
る」

という神の言葉で悪魔を撃退しました。

つまり、人間は食べ物だけで生きているのではなく、実は神の言葉によって生きるのだ、
と言うことです。

平均寿命世界トップクラスの現代の日本がこの聖句を証明しています。

食べ物に窮するどころか飽食の時代が続く日本で、

「私ほど不幸な人間はいない」

と思って暮らしている人たちが山ほどいらっしゃいます。

食料のない時代には「食べるものさえあれば生きていける」としか見えませんが、食料が
保証されると、人間はそれだけでは生きてはいけないのだということが見えてきたのです。

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パンに代表される食物は命を支えるために「必要」なものです。しかし、それさえあれば
「十分」というわけではありません。

聖書を通して示される神の言葉によって、人は生きる指針を得ます。

そして、今まで生きることに執着していた人が、逆に「食べられなくなってもいい」と思
う程までに自分の命を注いでいける「使命」を見出していくのです。

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この典型的例がキリストの直弟子たちです。

彼らはイエス・キリストと出会ってからも、自分たちの中で誰が一番偉いか、を論議する
ほどこの世で生きることに執着していました。

ですから、イエス様が捕らえられた時、皆自分の命欲しさに先生を見捨てて逃げ出し、家
の中に隠れて引きこもってしまったのも無理はありません。

しかし、死に打ち勝ち、復活されたキリストと出会った後、彼らはこの福音のために命を
捨てて全世界に伝道します。

マタイによる福音書の最終節

「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」

この言葉によって彼らは命与えられ、「使命」という言葉通りにその命を使っていったの
です。

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神の言葉があなたにいのちを与えます。その命を大切に使わせていただく一日として参り
ましょう

2011.06.26

今日のみ言葉(2011年6月26日)【No.98】

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっ
ており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶよう
になる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」
(ヨハネ15:5)

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聖書で言う「死」とは、全てが無くなって終わり、ということではありません。

死とは「分離」を表します。命の源から「切れる」ということです。

どんなに美しく生けた花ても、既に鋏が入れられ根元から分離されているので、
聖書的概念では死んだ状態です。時間がたてば実を結ぶことなく枯れます。

人間関係で交流が無くなったり、夫婦や親子の間で会話が無くなったり、関係が
切れていれば、それは死んでいる状態です。

そのままでは命がないので、現状以上に良くなることがありません。枯れ衰える
のを待つばかりです。

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聖書は、死んでしまったらもう終わり、とは考えません。分離された結果が死な
ので、もう一度命につなぎ直せば生きると考えるのです。

神と人間をつなぎ直して命ある関係にするためには、その関係を切った「罪」を
取り除けばよいのです。それを自分の命を代償にしてなして下さった方がイエ
ス・キリストです。

罪は償うことによって無くなります。

車の運転で違反をしたら交通反則金を払います。払わなければその罪はいつまで
も残りますが、払ってしまえば罪はなくなります。

十字架の死は人間の罪をキリストが代わりに払って下さったということです。

そのことを信じるだけで人は無罪と認められ、神と人間の切れていた関係が再び
つながれます。

それから先は神の命が流れ込み、豊かな収穫のある人生を生きていけるのです。

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エンゼルマークで有名な森永製菓の創業者、森永太一郎はクリスチャンです。

彼は若い時に単身渡米し、菓子職人の修行をしました。その苦労の最中、親切なクリスチャンの老夫婦に出会い、洗礼を受け、日本に帰ります。

34歳で帰国後、洋菓子と一緒に福音を日本中の人に知ってもらおうと屋台の屋根に「キリスト・イエス罪人を救わんために世に来たりたまえり」という聖句を書いた看板を打ち付け、「ヤソの菓子屋さん」と人々から呼ばれるほどになりました。

やがてあの箱入りキャラメルが大ヒットします。それによって彼の神に対する態度はジェットコースターのように上がり下りしました。

「社業が飛躍的に伸びていく中、彼の信仰は一時冷え切ってしまいました。しかし、苦労を共にした妻の死を契機に改めて信仰に立ち帰ります。1923年、関東大震災の時には在庫品を全部無料で被災者に配りました。幹部が無謀だと反対すると『これは神様とお客様にお返しするのです』と答えたといいます。社長の職を退いた後は、『我は罪人の頭なり』と題して、全国の諸教会で力強く伝道をして回りました。」
(日本キリスト教団荒川教会HP キリスト教人物小伝(06)より,http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christian06.htm)

人間はどんなところからでも神に立ち返れば、その関係は復活し、実を結ぶ人生を送ることができるのです。

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神につながる人生は豊かな実を結ぶ人生です。今日も神との関係を新たにし、つ
ながりを確認してまいりましょう。

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