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2011.07.31

今日のみ言葉(2011年7月31日)【No.133】

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」
(ローマ12:15)

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アメリカでカウンセリングを学んだ時、カウンセラーは、REACT(リアクト:反応)するのではなく、RESPOND(リスポンド:対応)するのだと学び、こんな例
話を聞きました。

朝食の時、2階から先生の娘さんが降りてきて、

「ママ〜、私の靴下見つからないー!」

と、そのイントネーションから、

「ママ、あなたはダメな人ね。ちゃんとしてよ!」

と言う言外のメッセージが伝わる言い方でした。

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すると奥様は娘さんに、

「冷蔵庫の中を見てみたら?」

と言いました。

冷蔵庫の中に靴下などあるわけがありません。

今は朝食の時間なのだから、朝食を家族みんなと一緒にすませてから靴下を探しましょう、と言う意味だったのです。

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自立した、成熟した大人というものは、

REACT(言われたことにそのまま反応すること)

するのではなく、

RESPOND(言われたことに左右されず、自分をしっかり持ちながらその場に適した対応をすること)

するのだという事です。

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これを一言でまとめたのが、

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」

という今日の聖句です。

喜ぶ人に対して共に喜ぶだけが人間の反応ではありません。

「自分ばかり喜んで…」と、ねたみや怒りが湧くことがあります。

泣く人に対しても共に泣いてあげられるだけが反応ではありません。

「いつまで泣いているの!」と怒ったり、瞬間的になだめたり、様々な反応が出てきます。

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その人の位置と同じところに立ち、その人と同じ視線で見る。

そこから「対応(RESPOND)」という本当の解決策が見えてくるのではないでしょうか。

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神はあなたに反応なさいません。対応なさいます。神の対応を味わうひとときをもって参りましょう。

2011.07.30

今日のみ言葉(2011年7月30日)【No.132】

「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、あなたを恵まれるように。
願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」
(民数記6:24-26)

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今日の聖句は、礼拝の最後の祝祷でよく用いられる個所です。

主なる神があなたを祝福し守られるようにという祈りが、毎週全世界で捧げられているこ
とは何と素晴らしいことでしょうか。

「み顔をもってあなたを照し」とは、神の恵みに照らされる人々に喜びが与えられること
を言います。

恵みとは、祝福を受けることが当然ではない者に与えられる恵みのことです。

「み顔をあなたに向け」とは、怒りが過ぎ去っただけでなく、好意を示す神の御顔が向け
られることを表します。

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私たちはこの祈りで祈られ、祝福されることを祈られています。

誰かが私のために祝福を祈っている。

神が既に祝福の段取りをつけて今日一日を用意して下さる、と信じて歩むことがクリスチ
ャンの生き方です。

そのためには、どんなことが起きても、

「あら、良かったねー!」

とまず一言発声してみることです。

「それは良かった!」と言ってから、何が良かったのだろうかと良い理由を考えるのです。

神が用意して下さった祝福が必ず見つかります。

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Aさんは転んで頭を打ち、救急車で運ばれ、入院ということになりました。

ちょうど奥様は海外旅行中。私たちはすぐお見舞いに行きました。

ベッドの上のご主人は、顔をすりむいた傷がまだ生々しく、痛々しいお姿…。

私は思わず、

「これは大変だなあ…」

とつぶやいてしまいました。

しかし、かつて大きな病院で看護師として働いていた私の家内は、

「この程度で済んで良かった。本当に良かった。」

と力強くうなづきながら言うのです。

何がそんなに良かったのか、と聞くと、

「頭を打って運ばれて来る患者さんの中には、かくかくしかじか、こういう例がある。で
も、今回は命に別状はないことがはっきりしたし、奥様が急遽帰国せねばならないほどで
もないし、本当に良かった。」

と言うのです。

もちろん入院にまつわる様々な事はありますが、どんな事の中にもそこに秘められ備えら
れた祝福を見出す事ができます。

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あなたは祝福されるように祈られています。今日もその祝福と恵みは備えられています。

そのことを信じ、宝探しの一日として参りましょう。

2011.07.29

今日のみ言葉(2011年7月29日)【No.131】

「主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるので
なければ、守る者のさめているのはむなしい。
あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。
主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。」
(詩篇127:1-2)

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クリスチャンの方が家を新築される時に、キリスト教式の定礎式をします。

特徴的なことは、敷地内に聖書を埋めることです。

決して動かされることなく、変わることのない、聖書という確かな土台の上に家を建てる、
という意味なのです。

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「主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。」とは、神を抜きにし
た人の企ては空しく終わることを言っています。

「主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。」とは、神を抜き
した人間の努力は報われないと言うことです

建築や防衛という国家的なプロジェクトのみならず、私たちの個人的な購入やレジャーの
計画に至るまで、そのスタートに神の御心が据えられていなければ空しく終わるという警
告です。

ですから、何を始めるにせよ、神の御心を求め、神が願っておられることを第一にしてい
くことが、あなたの労苦を無駄に終わらせず、豊かな収穫を得ていく秘訣です。

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Aさんは家を建てる時、「この家にたくさんの人が来られ、神の愛にふれることができる
ように」と考え、それが第一となるように設計されました。

Bさんは車を購入する時に、「多くの人を教会にお運びすることができるように」と考え
て車種を絞りました。

Cさんは転職する時に、「人々に神の創造の素晴らしさを味わってもらいたい」と考え、
造園業に身を転じました。

いずれの方々も、そのように神の御心を第一としたのでその後は順風満帆の人生、家内安
全・商売繁盛の安楽人生を送ったかというとそうでもありません。

やはり様々なご苦労を通られました。

しかし、神を第一とした時、「何を目的としてこのことをするのか」という人生の理念が
形成されました。

ですから、いろいろな不具合があっても、第一としたメインの目的が達成されていれば、
そこに充実感があり、「やってよかった」という思いが残るのです。

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神の御心を第一とし、そこに土台を据えて今日の一日を始めて参りましょう。

2011.07.28

今日のみ言葉(2011年7月28日)【No.130】

「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく
歩きなさい。」
(エペソ5:8)

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キリスト教は肩書き先行の宗教です。

中身が充実してクリスチャンになるのではなく、クリスチャンになってから中身が充実し
ていくのです。

恵み先行ですから、まず神の子という資格や肩書きが信じた瞬間に与えられます。

神の子、光の子としてふさわしい実力・人格を持っているかどうかは問われません。

光の子として認めるので、そのように振る舞いなさい、ということなのです。

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それは若くして社長の座を譲り受けた二代目社長のようなものです。

自分はまだまだこれからなのに、地位だけが与えられました。

部下の方が知識も実力も上です。社長としての貫禄も統率力もありません。

しかし、社長らしい服を着、社長らしく決済をし、社長らしく将来を考えるという、社長
の仕事をするのです。

ぎこちないことは言うまでもありません。

しかし不思議なことに、社長らしく振る舞っていると、だんだん、本当に社長らしくなる
のです。最後には本当の社長になります。

クリスチャンも同じです。今あなたは自分が光の子だとはとてもとても思えないかもしれ
ません。

しかし、光の子とされたと信じ、光の子らしく歩んでみるのです。

そうすれば、いつの間にか光の子となっていることに気づくことでしょう。

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この時の注意点は、無理に光の子になろうとしないことです。

ポイントは、

「以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。」

ということです。

自分から光り輝こうとしないで、主にあって光とさせていただくのです。それはまず自分
の過去の罪を神の前に明らかにすることから始まります。

そうした時、罪はイエス・キリストの十字架にあって赦され、やみは逆に神の手によって
用いられ、光り輝いていくようになるのです。

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子供たちに聖書を教える教会学校の教師ほど素晴らしい奉仕はありません。

十分な訓練と専門の教育を施されて教会学校の教師となる人は稀です。

ほとんどの人は救われて間もなく「教会学校の先生としてやってもらえないか…」と請わ
れ、「私で良ければ」と奉仕を始めます。

まだまだ発展途上のクリスチャンですから、子供たちの前に模範的クリスチャンという光
の姿を見せられるはずがありません。

ボロは出ますし、聖書知識も限られています。

その中で、自分の中にある精一杯の神様体験を話し、愛をかき集めて子供たちに分け与え
ることを通し、教会学校の先生らしくなっていくのです。

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光とされたのですから、光の子らしく歩みましょう。

2011.07.27

今日のみ言葉(2011年7月27日)【No.129】

「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたし
たちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」
(第1ヨハネ4:12)

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新約聖書が書かれた当時のギリシャ語で、愛を表す語は4つあります。

(1)ストロゲー
親子の愛。血縁関係がある間だけにある愛です。

(2)フィリア
友情。「同じ釜の飯を食う」という表現が日本語にありますが、同じ環境を過ごす中で感
ずる愛です。ですから、離れれば消えたり薄まります。

(3)エロース
人間の愛。対象となる人や物に価値が見出される時に発生する愛です。
綺麗な花だから愛しますが、枯れれば誰も愛しません。やさしい人だから愛せますが、そ
の人が冷たい態度を取るようになれば、人間の愛はエロースですからこちらも冷えて愛さ
なくなります。

(4)アガペー
神の愛。神からの一方通行の愛です。相手に価値があろうが無かろうが、神の意志で愛し
ます。
相手が冷たかろうが愛に燃えていようが関係なく、変わらずに愛し続ける愛がアガペーで
す。

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今日の聖句の、

「もしわたしたちが互に愛し合うなら」

をエロースの愛で考えると間違います。

エロースの愛は自分のために相手から奪う愛ですから、相手に感じていた素晴らしさや魅
力が無くなれば、そこで枯渇してしまいます。

エロースの愛は一時的で永続するものではありません。

どのような愛で愛するかは、10節に書かれてあります。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの
罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」
(第1ヨハネ4:10)

キリストの十字架で私たちの罪を赦して下さった神の愛を体験し、その愛で他者を愛する
ことが「互に愛し合う」ことなのです。

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アガペーの愛で人を愛するためには、エロースの愛の限界を知らなければなりません。

それはたとえば、

「こんなにあなたのことを愛しているのに、どうして私の愛が分からないの!」

と相手に怒りを感じる時です。

アガペーの愛は、相手が愛を感じていようが、その愛に感謝してくれようがくれまいが関
係なく、変わらずに愛の分からない相手を愛するのです。

この人に愛を注がなければならないと頭で分かっていてもそうできない自分の限界を知る
ことが最初のステップです。

そして、愛の足りないこの私こそが、

「それでよい。そのままのあなたを私は受け入れている。」

と、神によって愛されていることを知ることです。

ここに愛があります。

そして、ここから愛が始まるのです。

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不十分なままをとがめずに愛して下さる神の愛に気づく一日として参りましょう。

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