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2012.05.31

今日のみ言葉【No.320】(2012年 5月31日)

すると、主がわたしに言われた、『行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』」。
(使徒22:21)

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パウロが迫害者サウロとして生きていた時代、

「そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。」
(使徒22:4)

とあるように、彼はぬぐいきれない過去を持っていました。

そのパウロに、

「行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ」

と神は語られたのです。

彼の過去の罪には一言も触れていません。

パウロは神からの赦しと人生の使命の二つを一度に得たのです。

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聖書が言う罪の赦しとはこういうものです。

私たちの過去に何の汚点もない、真っ白な者として神様は見てくださいます。

キリストの十字架の犠牲で罪の代価はすべて払われたので、膨大な借金がすべて正当に支払い完了し、もう毎月の返済に悩む必要がなくなったようなものです。

恐る恐るでもそのことを信じ、「赦された者として生きていこう」と決心して進む人には、新しい人生が開かれ、神の使命が与えられていくのです。

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アメリカ南北戦争後、リンカーンの奴隷解放宣言がなされました。

黒人奴隷の中に2種類の反応が起きました。

一つは、

「まさか。奴隷は奴隷だ」

と解放を信じず、自由の身となったはずなのに、今まで通り奴隷としての生活を送った人々です。

もう一つは、リンカーン大統領の言葉を信じた人々です。

彼らはその主人に申し出、奴隷から解放され自由の身となりました。

当然のごとく、彼らはこの良い知らせを他の黒人奴隷たちに伝えていきました。

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神の赦しと解放を信じて、今日も一歩踏み出していきましょう。

2012.05.30

今日のみ言葉【No.319】(2012年 5月30日)

パウロは彼らにあいさつをした後、神が自分の働きをとおして、異邦人の間になさった事どもを一々説明した。
(使徒21:19)

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米沢興譲教会の礼拝では毎回「証し」があります。

一般の人向けには「神を信じた人の体験談」と翻訳して説明します。

限られた時間内で自分の体験をまとめて話すのはなかなか大変です。

あれもこれも重要なことばかりに思えるからです。

そこで証しをする人には、

「神が自分を通して働いたことをお話し下さい」

とアドバイスすることにしています。

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今日の聖句でパウロが

「神が自分の働きをとおして、異邦人の間になさった事ども」

とはそのような証しです。

あくまでも神が主語となり主体となります。

決して、

「私が神を信じてこのようなことをした」

というお話しではないのです。

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私も毎回、説教をする時にこのことを思います。

メッセージのために聖書を研究し、資料を集め、例話を選び、構成を練り…、と準備をしていくのですが、最後の最後に至るのは、

「私が語るのではなく、神が自分の働きをとおして語ってくださるのだ」

という心境です。

ここに来て初めて、スーッと力が抜け、平安がやってきます。

毎回のことなので、いい加減最初から神様にお任せして平安に包まれるように学習すればよいのですが、いつの間にか我力が支配するのが現実の姿です。

そこで、ハッと気づき、悔い改めて方向転換し、再び神様にお任せし、主権を神にお渡しするのです。

神様はそこまで忍耐強く私たちを待っていて下さいます。

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我力で握っているものを手放す一日として参りましょう。

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2012.05.29

今日のみ言葉【No.318】(2012年 5月29日)

今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。
(使徒20:22)

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ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサの働きが素晴らしいことに異論はないでしょう。

何億というインドの貧しい人々の中に身を投じ、死にゆく人々が最後まで人としての尊厳を持ちながらこの世を去ることが出来るようにと活動しました。

しかし、すべての人が彼女の働きを好意的に受け止めていたわけではありませんでした。

中には公然と

「焼け石に水」「大海の一滴」

と批判する人もいたのです。

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人から何と言われようと、押し出されるようにして進んでいく。これが御霊の迫りです。

今日の聖句は、パウロが自分の身に降りかかる様々な困難や迫害を知りつつ、エルサレムへ行く決心をした個所です。

マザー・テレサしかり、黒人解放運動をしたキング牧師しかり、そしてパウロしかり。

神のために大きな犠牲をも省みず働いた人たちは、皆、この御霊の迫りによって動かされた人たちです。

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榎本保郎牧師はこのことを次のように説明しています。

「聖霊の迫りとは、それは損だ、それはつまらないことだとわかっているのに、なぜかそうせずにはいられなくさせていく力のことであると思う。」

「自分の命も、そのほかのいろいろのものも問題とさせないで、私たちをその道へと追いやっていく、そういう力ではあるまいか。」

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マザー・テレサのような働きを、義務や教えや命令だからとして行うことは出来ても、それは本物ではありません。

神の子のキリストがその命を犠牲にして私の罪のために死んでくださった、という福音の恵みに満たされ、初めて可能になることです。

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<< マザー・テレサの言葉 >>

人は不合理、非論理、利己的です。

気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、

利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、

邪魔立てする人に出会うでしょう。

気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、

おそらく次の日には忘れられるでしょう

気にすることなくし善を行い続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、

あなたを傷つけるでしょう

気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。

助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。

気にすることなく助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。

けり返されるかもしれません。

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

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あなたならではの神への応答をするひとときを持って参りましょう。

2012.05.28

今日のみ言葉【No.317】(2012年 5月28日)

人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。
(使徒19:5)

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バプテスマ(洗礼)という言葉は、バプティゾー(浸す)という語から来ています。

洗礼式で水に浸されるのは、葬りと復活を意味します。

水の中に入れられるのは、古い自分に死ぬという象徴です。

そして水から引き上げられます。新しい命に生きるという象徴です。

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今日の聖句に出てくる人々は、バプテスマのヨハネによる洗礼は受けていましたが、そこで止まっていました。

つまり、罪の悔い改めまでは行っていたのですが、聖霊の力によって新しい命に生きるということは知らなかったのです。

そこで彼らは、主イエスの名によるバプテスマを受けました。

「そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。」
(使徒19:6)

過去の罪が許されたことはこれ以上ないほどの喜びです。

しかし、それだけでは本当の解決にはならないのです。

聖霊による新しい命がなければ、また今まで通りの過去の繰り返しが始まるからです。

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Kさんはいつもうつむき加減で歩くクリスチャンでした。

彼女の口癖は、

「イエス様の十字架は私の罪のためです。イエス様は私のためにお苦しみになりました。」

というものでした。

確かに神学的にはその通りなのですが、これだけだと自分を責める方向に行きがちです。

やがて彼女は自分が十字架で止まっていたことに気がつきました。

十字架の後に復活があり、その後更に聖霊が下ったことに目が開かれたのでした。

彼女はその良き知らせを受け入れ、聖霊によって導かれる新しい生き方を歓迎しました。

数ヶ月後、背筋をシャンと伸ばし、笑顔で「ハレルヤ!」と挨拶するKさんがそこにおられました。

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神の新しい命をいただいて、「ハレルヤ!」と言いながら今日も過ごして参りましょう。

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2012.05.26

今日のみ言葉【No.316】(2012年 5月26日)

あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。
(使徒18:10)

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パウロはコリントの町で伝道を始めました。

一大商業都市で港町。コリントは決して風紀の良い町ではありませんでした。

しかし神はここで福音を宣べ伝えよと幻の中でパウロを促しました。

「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。」
(使徒18:9)

そして今日の聖句の約束をくださったのです。

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ところが、この後、

「ところが、ガリオがアカヤの総督であった時、ユダヤ人たちは一緒になってパウロを襲い、彼を法廷にひっぱって行って訴えた」
(使徒18:12)

とあります。

「だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。」

という約束を与えられながら、パウロは襲われ、捕らえられてしまいました。

まさしく「ところが」です。

現実の生活の中には、この「ところが」があるのです。

神に愛されていると言われているのに、御言葉が与えられているのに、時に病み、苦しみ、亡くなっていく…。

どうしてそうなるのか、約束が違うのではないか、という現実に私たちは直面します。

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しかし、ここに神の「ところが」があるのです。

総督ガリオの一番の優先順位は町の治安を守ることです。

彼は、この訴えは町の治安を乱す犯罪ではなく、ユダヤ人同士のもめ事だと正しく判断し、ユダヤ人らを法廷から追い払ってしまいました。

神の約束も御言葉もあったものではない、と思う最後の土壇場で、神はいろいろな人をお用いになり、約束を果たし、御言葉の確かさを示してくださるのです。

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第二次世界大戦中、ユダヤ人らはナチス・ドイツによる大量虐殺(ホロコースト)という現実を通りました。

イスラエルのホロコースト記念館を訪れた時、私は600万と言われる犠牲者の数と、写真や映像によるその証拠に圧倒された思い出があります。

しかし、この大きな出来事を体験したことにより、ユダヤ人らは「我々の国が必要だ」と強く考えるようになり、1948年、現在のイスラエルが建国されます。

世界中に散らばり、流浪の民となっていたユダヤ人らが、1900年という長い年月を経て、再び集まったのです。

「あなたの神、主はあなたを再び栄えさせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主はあなたを散らされた国々から再び集められるであろう。」
(申命記30:3)

なぜあのように多くの人々が犠牲にならねばならなかったのか、なぜ神はナチスの存在を許したのか、それはわかりません。

しかし確かなことは、一時、世界の歴史からも地理からも消えてしまったイスラエルが復活し、現在も存在しているということです。

神は人間の思いを超え、約束を成就されるお方なのです。

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神の約束を信じ、今日の一日を歩んで参りましょう。

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