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2012.06.30

今日のみ言葉【No.340】(2012年 6月30日)

キリストは彼のためにも、死なれたのである。
(ローマ14:15)

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友引の日は葬儀会場はお休み、大安の日曜日は結婚式場は混む、というのが日本です。

「日」というものを気にする人が大勢いるからです。

実際に葬儀社の方に聞いてみると、友引の日の葬儀は「極めて希なケース」でしたことがあったそうです。

喪主の方が「日」というものを全く気にしない方だったのです。

式自体は問題なく終えられましたが、参列した方々は一様に何とも言えない顔をしてお帰りになった、というお話しをお聞きしました。

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パウロが生きていた当時も同じような問題が教会内に起こっていました。

異教の祭壇に捧げられた肉は、その後、市場に出回り、売り買いされていました。

その肉をどう見るか、で人々の意見が分かれました。

「肉は肉だから」と問題なく食べる人もおり、「異教の祭壇に捧げられたのだから汚れている」と問題視する人もいました。

パウロ本人は、食物には何の問題もないという考えでした。

しかし、肉のことでキリスト教につまずく人がいるなら、自分は一生肉を食べない、と言っています。

「だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。」
(第1コリント8:13)

それが、

「信仰の弱い者を受けいれなさい。」
(ローマ14:1)

ということです。

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自分の自由を制限してまで相手の愛に生きるのは、

「キリストは彼のためにも、死なれた」

からです。

信仰がまだまだ弱く、ほんのちょっとのことでつまずきやすい人はダメだ、ということではなく、その人のためにキリストが死なれた、ということが根本にあるのです。

そこに「人への配慮」の理由があります。

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と同時に、

「しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。」
(ローマ14:4)

ということも忘れてはいけません。

キリストはその信仰の初歩の人を、やがて強くし、立たせてくださるのです。

私たちはその希望を持ち、現在を受け入れていくエネルギーを得ていくのです。

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私たち自身が、行かされ、立たせていただいていることを覚えて参りましょう。

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2012.06.29

今日のみ言葉【No.339】(2012年 6月29日)

なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。
(ローマ13:11)

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「時」という言葉はギリシャ語にいくつかありますが、ここではカイロスとホーラの2つが使われています。

「あなたがたは時を知っている」の時はカイロスで、「眠りからさめるべき時」の時はホーラです。

カイロスは何年後かにある受験や、まだ相手もいないのにきっと将来ある結婚式の日などの機会や時期のことを表します。

ホーラは一般的な時間・時刻を意味します。

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「あなたがたは時を知っている」の時は「終末の時」のことです。

聖書は、終わりの時があることを明確に告げています。

そして、地上で生きていた間にどのように過ごしたか、神の審判がどの人間にも下されるのです。

その時に、罪無しと認められ、天国に迎え入れられる人は何と幸いなことでしょうか。

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その夜明けの時が近いので、今は「眠りからさめるべき時」なのです。

まだ外は暗いけれど、パジャマを脱いで服を着、カーテンを開けて昼のような生活をしなさい、ということです。

それが、

「そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。」
(ローマ13:13)

ということです。

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当然、周囲の人とのギャップが出てきます。

「何を楽しみに生きているの?」

「もっと柔らかくならないと世の中生きていけないよ」

等の言葉を聞くこともあるでしょう。

また、

「大したものだ」

と、ほめられることもあるでしょう。

人の評価はまちまちなのです。

焦点を合わすべきところは、イエス・キリストが再び来られる終わりの時です。

それを待ち望みながら、与えられた生活をつつましく、昼のように生きていくことが真の生き方です。

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太陽が輝く時が来ると信じて、暗闇の中でも歩んで参りましょう。

2012.06.28

今日のみ言葉【No.338】(2012年 6月28日)

兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
(ローマ12:1)

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ローマ人への手紙は、11章までが神学的理論の部分で、12章からは信仰生活の実際についてのすすめが書かれてあります。

どういうことかというと、クリスチャンは

「こうすべき、ああすべき」

「○○をせよ、××してはならない」

がたっぷり載せられているということです。

このような倫理・道徳的行いは、あくまでも信仰の実であって、目的ではありません。

教会は修養団体ではないのです。

このことを十分踏まえて後半の部分を読んでいく必要があります。

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12章の冒頭の部分が今日の聖句です。

要約すれば、私たちは神のために生きるべき、と解釈して良いでしょう。

ここでの1つのポイントは、

「生きた、聖なる供え物」

というところです。

旧約聖書を見ると、供え物とは羊や牛など動物のいけにえです。

それらは全て、命を神に捧げるという意味で屠(ほふ)られます。

ですから、供え物は死んでいなければなりません。

しかしここでは、人間は神への供え物として生きていなければならない、ということを教えています。

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なぜでしょうか?

それはもうお分かりの通り、イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなり、十字架で死んで神へのいけにえとなってくださったからです。

罪はその償いをしなければ消えることはありません。

指名手配の容疑者のように、それはなかったこととしようとして背を向けても、やがて清算の時が来ます。

しかしその罪の償いをイエス・キリストが命をもってなして下さいました。

これが福音です。

もう私たちは追われることも、自分の命でもって償う必要もなくなりました。

ですから、私たちは生きた供え物、生きたいけにえとして生きなさい、ということなのです。

ここに神の私たちに対する強烈な

「生きよ!」

というメッセージがあります。

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自分にとっての「神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物」とは何か、思いめぐらし、その道を歩んで参りましょう。

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2012.06.27

今日のみ言葉【No.337】(2012年 6月27日)

神は、あらかじめ知っておられたその民を、捨てることはされなかった。
(ローマ11:2)

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昨日、消費税増税案が衆議院で可決されました。

マスコミは与党内に多数の造反者が出たことを報道しています。

増税の良し悪しは別として、身内から反対者が出た野田首相の心中はどのようなものだったろうかと思います。

同胞のユダヤ人から妨害と迫害を受けたパウロも同じような気持ちを味わったことでしょう。

しかし今日の聖句にあるように、神はユダヤ人を捨てない、という確固たる希望が彼にはありました。

旧約聖書のエリヤの記事がその根拠でした。

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預言者エリヤはバアルという異教の預言者たちと戦い、勝利を収めましたが、王妃イゼベルに命を狙われました。

彼は自らの死を願うほどに憔悴しきってしまいました。

しかし、神はエリヤにこう語られたのです。

「また、わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」。
(列王記上19:18)

エリヤには周りが全員敵だとしか見えず、希望はどこにもないと思って落胆している中、神は純粋な信仰者7千人を残してある、と告げられたのです。

エリヤは自分の見える現実を見て絶望してしまいましたが、神は人の見えない所に宝を用意しておられるのです。

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1つの否定的情報が入ると、それを千倍にも増やして

「失望を先取りしている方」

はおられませんか?

聖書を見ると、全く先行きが見えない中でも、神は必ずそこに何かを残しておられることが分かります。

全能の神がこの世界を支配しておられるからです。

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ロサンゼルス滞在中のある日曜日の朝、私は日本から来た方をホテルにお迎えに行かなければなりませんでした。

ロサンゼルスのダウンタウン(中心街)のど真ん中にあるホテルです。

アメリカ在住の方々からは、

「一人でダウンタウンに行ったら危ないよ」

と聞かされていたので、晴れ渡ったカリフォルニアの青い空の下、私の心は凍り付いて運転していました。

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悪いことに道に迷ってしまいました。

日曜日の早朝なので通りには誰もいません。

「主よ、どうしたらいいでしょう?」

と祈っていると、なぜかこのオフィス街には不似合いな、しかしハリウッド映画に出てくるようなおばさんホームレスがいました。

「銃でも持っていたらどうしよう?」

と思いましたが、勇気を出して車の中から彼女にホテルの場所を聞いてみました。

すると、この辺一帯は彼女のホームグラウンドらしく、すらすらと教えてくれました。

私は「サンキュー」と言ってチップを渡すと、

「Thank you. God bless you !」

と祝福してくれたのです。

神様は、おばさんホームレスをがらがらのビル街の中で用意していてくださったのだと感謝しました。

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神の用意された宝を見出す一日として参りましょう。

2012.06.26

今日のみ言葉【No.336】(2012年 6月26日)

わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。
(ローマ10:2)

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ユダヤ人は律法を守ることに熱心です。

本当に細かい所まで守ろうとします。

たとえば、

「あなたは子やぎを、その母の乳で煮てはならない。」
(出エジプト記23:19)

という律法を守るために、彼らは肉を食べた後、念のためにアイスクリームを食べませんでした。

しかし、どうしてもアイスクリームを食べたいユダヤ人がいて、とうとうミルクの代わりになる原料を探しだしました。

それは日本人になじみ深い「豆腐」です。

世界で初めての豆腐アイスクリームは「Tofutti(トフティ)」と名付けられ、ユダヤ人が開発したというエピソードです。

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今日の聖句でパウロは

「その熱心は深い知識によるものではない。」

と言っています。

何かに熱心で真面目に取り組むことは素晴らしいことです。

しかし、何について熱心であるかが重要なことです。

熱心であればあるほどそれに応じて神様が動いてくれる、としたら、神は人間の行為や努力によって動かされてしまう存在になってしまいます。

そうすると、教会には頑張る人しか残れません。

自分の弱さを嘆く人は、強い人から

「もっと頑張れ」

と叱咤激励され、自分の罪を受け入れることなく、ひたすら自分の弱さを直し続け、更には隠し続けることになるでしょう。

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神について知るべき深い知識とは、この私のために神の子が十字架についてくださった、ということです。

やろうと思っても出来ず、やめようと思ってもやめられない、この弱さと罪を抱える自分のためにイエス・キリストが身代わりになってくださったという福音です。

このことを信じ、キリストにゆだねていく時に、私たちは救いの中にいることを発見します。

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神の救いの中に憩うひとときを持って参りましょう。

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