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2012.07.31

今日のみ言葉【No.365】(2012年 7月31日)

しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。
(第2コリント7:6)

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今日のみ言葉メール、今回で365号になりました。ちょうど1年分です。ご愛読ありがとうございます。

このような小さな事でも自分を励ます事は必要です。

パウロ自身がそのような生き方をしていたからです。

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今日の聖句は、テトスがコリント教会からもたらした知らせによって、パウロが大いに慰められたという彼自身の告白です。

キリスト教伝道の鉄人のような彼が、何と、

「うちしおれている」

状態にあったというのです。

しかし彼はテトスの到来によって慰められました。

実はコリントの教会の乱れた状況を憂えていたパウロは、先に彼らに書いた手紙で厳しい叱責をしていたのです。

理想的に言えば、

「神の御心に私は従ったのだから、この後、彼らがそっぽを向くも悔い改めるも、教会が解散するも存続するも、全て神の御手の中」

とゆだねることがパウロのとるべき心の態度だったのでしょう。

しかし、彼はコリントの教会のことが気になって気になってどうしようもなかったようです。

それだけ愛を注いでいたと言えますが、「厳しすぎたかな…。言い過ぎたかな…」という反省が彼の心をしおれさせていました。

それがテトスからの報告によって、コリントの人々がパウロの真意を理解し、テトスを丁重に迎え、悔い改めたということがわかり、一躍喜びに満たされたのです。

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信仰とは生き物ですから、毎日の養いが必要です。

ここまで信仰が積み重ねられたから、明日からは何もしなくてもいい…、ということにはなりません。

ちょうど毎日食事をしなければ体を維持できないように、信仰も毎日の霊の糧が必要です。

そして私たちが365日いつも元気でいるわけではないように、しばしば霊的調子を崩し、神様がいるのだかいないのだか分からないように感じる日々もあるのです。

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そのための対策は2つです。

1つ目は、小さな事でも喜びを見つけ、自分で自分を励ますことです。

神の恵みを当たり前に思わず、僅かなことにも上向きの希望を見出すように心の姿勢を鍛え続けることです。

2つ目は、常に責任を負って下さるイエス様の存在を忘れないことです。

私たちは不完全な人間であり、神の前では無きに等しい存在なのです。

その私をあえてお選びになり、神の務めが任せられています。

どんなにうまくやろうとしても、完璧を目指しても、失敗することがあります。

内容は申し分が無くても、人の誤解に出会ったりすることがあります。

しかし、最後はイエス様が責任を持って下さり、全部まとめて最善にしてくださる、という安心感に行き着くまでやり抜くことです。

天を目指して生きる地上の生涯とは、このような日々の積み重ねです。

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今日も天からの慰めと励ましをいただいて参りましょう。

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2012.07.30

今日のみ言葉【No.364】(2012年 7月30日)

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ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。
(第2コリント6:8)

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米沢興譲教会の正面玄関に

「今は恵みの時」
(第2コリント6:2)

の御言葉が彫ってある個所があります(画像参照)。

今度教会に来られた時、探してみて下さい。

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今日の聖句は、前の5章で

「わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。」
(第2コリント5:19)

とあるように、和解の務めをゆだねられた者の生き方を示しています。

それは「神の僕」として生きることですが、ほめられ好評の内にそれができればやりやすいでしょう。

しかし、

「そしられても、悪評を受けても」

やらなければならないとしたら、途中で挫折してしまうか、最初からその務めを果たすことにためらいを覚えるのではないでしょうか。

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義務として神の僕を演ずると、人生はやがて行き詰まります。

そこで今一度、

「何のためにこれをやっているのか」

という原点に立ちかえらされるのです。

聖書は明らかに、それは恵みの応答である、と語っています。

「神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた』。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」
(2節)

恵みを沢山受けることです。

特にこの場合の「恵み」とは、「神に受け入れられている」ことを表しています。

神様から何の批判もなく、責められもせず、ただただ愛される、という体験をたくさんいただくことです。

そこから湧いてくる「何かお返しをしたい」という素朴な思いが出発点であり、その積み重ねが恵みに応答する人生なのです。

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神は外の形でなく、心を見られます。心からの感謝をもって神に応答する一日として参りましょう。

2012.07.28

今日のみ言葉【No.363】(2012年 7月28日)

この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。
(第2コリント5:4)

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人間の体は約60兆個の細胞で構成され、毎日、古い細胞が壊れ、新しい細胞が作られます。

その1個々々の細胞にはあなたを特徴付ける遺伝子が書き込まれていますが、60兆個全て、間違いなく複製され続けて今があるのです。

人体とは何と精密に、そして正確に維持されているのでしょうか!

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この体を聖書では「幕屋(まくや)」と呼んでいます。

幕屋とはテントのことです。

これほど素晴らしい体がテントにしか過ぎない、と表現されているのは、肉体が命の一時的な宿り場だからです。

天に永遠の住まいがあり、地上では肉体というテントに仮住まいしている、というのが聖書のメッセージです。

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やがてこの肉体という幕屋は壊れます。

人間の体はどんなに努力しても老化し、病に倒れ、やがて死を迎えるのです。

しかし死は、

「死ぬべきものがいのちにのまれてしまう」

時です。

救いを確信する者にとっては、テントからしっかりした建物に移れる時なので、その意味でむしろ喜ばしい出来事として受け止められます。

さらに、地上での生涯を送る今、永遠の住まいを考えながら生きることが出来るので、地上の損得だけが人生の判断基準とはなりません。

自ずと生き方は変わっていきます。

そこにキリストを信じて生きる人生の素晴らしさがあります。

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現在から未来を見るのでなく、永遠の未来から現在を見て生きる一日として参りましょう。

2012.07.27

今日のみ言葉【No.362】(2012年 7月27日)

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
(第2コリント4:7)

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私はよくふてくされます。

アサーション(自己表現)の本を読んで分かりました。これは「非主張的攻撃型」というものです。

直接的な攻撃はしないものの、相手に嫌な思いを抱かせて自分の要求を通そうとする方法なのだそうです。

そうする理由はズバリ、

「他者と向き合うことを恐れているから」

と書いてありました。当たりです。

自分が望むことを言ったら拒否されるかもしれない、と恐れ、口には出しませんが表情で表し、心に恨みをため込みます。

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こういう私はまさしく「土の器」です。

どう見てもみすぼらしいものです。

しかし、その中にキリストという宝が入れられているので、他人様の前に出られるのです。

器が素晴らしいのではなく、器の中の宝が素晴らしいからです。

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今日の聖句は、そのような土の器だからこそ神の力が現れる、と語っています。

これは驚くべき事ですが、神の意図がそこに隠されています。

考えてみれば、元々優秀な人が素晴らしいことを語っても人の目には当然と映りますが、私のようにひねくれた人間が素晴らしいことをすれば、

「何かある」

とわかります。

背後にいらっしゃる神様の姿が現れてくるのです。

それが

「その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。」

という意味です。

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弱さに徹することです。

神はその弱さに宝を注ぎ込んでくださるからです。

あなたは今まで自分の弱さを見せずに、強さで覆い被せようとしていたかも知れません。

しかし、キリストの救いを知った瞬間から、弱さを誇って良いのです。

なぜなら、神はその弱さから、あなたのものでない神の測り知れない力を現そうとなさっておられるからです。

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土の器に宝を盛っていただく一日として参りましょう。

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2012.07.26

今日のみ言葉【No.361】(2012年 7月26日)

そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。
(第2コリント3:3)

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パウロのように

「信じるだけで救われる」

という恵みの福音を伝えていくと、2つの悩みにぶつかります。

1つ目は、恵みだけ受け取って、キリストの犠牲に応答しようとしない人が現れることです。

2つ目は、真面目に律法を守らなければ恵みはいただけない、と律法の世界に逆戻りする人です。

前者はコリントの教会、後者はガラテヤの教会でした。

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そのコリントの教会の人々へ、パウロは、

「あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙」

だと書いています。

パウロが伝えた福音が本物か偽物かは、コリント教会の人々を見れば分かります、ということなのです。

教会の人々にとっては、何というチャレンジでしょうか!

しかしそこには、心血注いで彼らを養い、彼らの将来に希望を持っているパウロの愛が見えます。

人は誰かからの希望の光をいただき、その希望を支えにして立ち上がっていけるものなのです。

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T牧師の息子さんは高校受験を前にし、悩んでいました。

模擬試験の結果で希望校に入るには難しいと判定が出たからです。

がっかりした彼は、その思いを塾の先生に打ち明け、何とかならないかと相談しました。

すると、

「入れるよ」

といういとも簡単な答が返ってきたのです。

「但し1日5時間勉強すれば」

と先生は続けて言ったのですが、彼の心の中には、

「入れるんだ!毎日5時間勉強すれば!」

という希望が広がり、目の輝きが変わってきました。

合格できるという希望に支えられ、毎日5時間勉強を続けた努力が実り、彼は希望校に合格することが出来ました。

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人は自分では立ち上がれなくても、誰かから与えられる希望を支えにして、立ち上がらせていただけるのです。

今日、あなたは自分自身に失望しているかもしれません。

今日一日を何とかやり過ごせればそれでいい…、どうせ大したことはできない…、とお思いかも知れません。

しかし神はあなたに希望を抱き続け、見守っておられます。

今日の平凡な一日の積み重ねが、やがて将来、神の大きな働きを担う土台となるように、神は備えておられるのです。

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神様は私たちに失望されることはありません。希望をいただいていることを信じて一日を歩んで参りましょう。

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