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2012.11.30

今日のみ言葉【No.455】(2012年11月30日)

また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。
(黙示録8:3)

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今は当たり前のように宅急便が届きますが、宅急便が普及する前は、それはそれは面倒なものでした。

大きさの規格、包装の仕方、ひもの結び方、規定の荷札、宛先の書き方…、等々。一つでも満たさないと受け付けてもらえなかった記憶があります。

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旧約の時代の祈りも同じように細かい規定がありました。

しかし新約の時代、イエス・キリストの犠牲により、イエスの名によって祈れば神様が聞いて下さる道が開かれました。

まさに電話一本で神様と通じるような世界になったのです。

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今日の聖句では、祈りを運ぶ御使が登場します。

私たちの力で祈りが神様に届くのではなく、まずイエス・キリストのお名前によるという仲介があり、祈りの天使によって初めて神様に届くのです。

神の前に出ることなどとてもできない罪人の自分が許され、神の子のイエス様のお名前のおかげで祈りが聞いてもらえる、ということを忘れてはなりません。

神の憐れみの中で愛され、選ばれ、生かされ、神様から、

「あなたの願いを祈りなさい。あなたと共に共同で事を成したいから。」

というご好意をいただいてこの世で働いているのが私たちです。

もちろん主権は神様にありますから、私たちの祈り通りに全て事が進むわけではありません。

神の前での自分の小ささを覚えつつ、何重もあった隔ての中垣を神様の方から取り除いて人間に近づいて下さる愛に感謝して生きることが人間の分というものです。

そのような神の姿に今一度自分の霊の目の焦点を合わせていきましょう。

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祈りが届く恵みに心を止める一日として参りましょう。

2012.11.29

今日のみ言葉【No.454】(2012年11月29日)

彼らは地の四方の風をひき止めて、
(黙示録7:1)

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「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さる」
(マタイ6:30)

という有名なみ言葉があります。

名もない野の草に対してそうなら、神はそれ以上に人間に良くして下さるという神の御心を表しています。

ところで、炉で焼かれるこの野の草は青草ではありません。炉に投げ入れられるのは枯れ草と決まっています。

実は、アラビア砂漠から吹いてくる熱風が一日にして野の草を枯らしてしまう時があるのです。

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今日の聖句の「彼ら」とは、地の四すみに立っている四人の御使(みつかい)です。

彼らが

「地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。」

とは、野の草のように明日の命をも知れぬ人間が、今日も神様の守りによって支えられ、生かされている状態のことを言います。

神は救われるべき人が救いに至るまで、死の風を押しとどめて下さっているのです。

世の終わりがいつになるかは分かりませんが、それまでの間、神の四人の御使いが様々な妨害を押しとどめてくれているのですから、そのことを信じ、人々が救いに導かれるようチャレンジして生きるのがクリスチャンの生き方です。

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チャレンジといっても、大それた立派なことをする必要はありません。

証しをすればよいのです。

あなた自身の人生の体験、今こうなって生きているストーリー…、それはテレビドラマ以上のドラマとして人々に響きます。

淡々と、飾り気なく話す方が、意図しない迫力がにじみ出ます。

嘘偽りのない真実を話すことから、人と人との心の交流が生まれます。

聞く耳のある人にだけ聞いてもらえばよい、と、あまり重荷を感じずに、聞いてくれる人にだけ話せばよいでしょう。

あなたの証しはリンゴの種のように小さいかも知れませんが、その一粒の種から、将来、数えられないほどの実がなっていくのです。

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今日も神の守りがあることを信じて一歩進んで参りましょう。

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●「今日のみ言葉メール」の過去記事は全て下記サイトに保存されています。
http://mikotoba.nows.jp

2012.11.28

今日のみ言葉【No.453】(2012年11月28日)

もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。
(黙示録6:11)

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今日の聖句は、のんびりと休んでいるように、という文脈で使われているのではありません。

黙示録は世の終わりの時代の様子を告げています。

そこでは戦争があり、飢饉があり、多くの人々が命を失う有様が黙示録特有の表現で描写されています。

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10節で、

「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。

と、迫害されて天に召されていた聖徒たちが叫びます。

それに対する神の答えとして、

「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」

とあるのです。

神の国が来るまでには、神様の秤(はかり)があるようです。

殉教者の血が流され、人間の苦しみがあり、信仰を守るための戦いがあるのは神のご計画のゆえです。

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海外ではクリスチャンであるが故に殺されたり、教会が襲撃を受けるという事件が現実に起きています。

現在の日本ではそのようなことは起こりませんが、信仰的に何の落ち度もないのに、苦難が次々とやってくるクリスチャンの方を目にすることがあります。

信仰あふれる人ほど祝福されるはずなのに…、と人間の思いではそう考えます。

しかし、今日の聖句では、殉教者の血がある一定のところまで満ちなければならないことを教えているのです。

だからといって苦難を何でも甘んじて黙って受けよ、ということではありません。改善できる努力は大いにしましょう。

しかし、

・信仰を持っているが故に人々から受ける誤解や偏見
・聖書の約束を信じてもその通りにならなかった体験
・かなわない祈り

がある中で、それでも信仰を守ろうとして生きる時、私たちはこの黙示録の戦いを共に戦っているのです。

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今日一日の苦労には意味があるものと信じ、歩んで参りましょう。

2012.11.27

今日のみ言葉【No.452】(2012年11月27日)

わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
(黙示録5:1)

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ヨハネの黙示録には象徴という表現が多く用いられています。

たとえば、「7」という数字は完全を表し、「小羊」はイエス・キリストを表します。

「海」は絶えず揺れ動く異邦人世界を、「地」は動かないのでイスラエルを意味します。

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今日の聖句の巻物には

「その内側にも外側にも字が書いてあって」

とありますから、神のメッセージがたくさんあるということです。

但し、七つの封印で封じてあったと書いてあります。

巻物は完全に閉じられていて、誰もそれを読むことができず、解き明かしができないでいる、という状態です。

神の言葉が目の前にあっても理解できないということです。

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聖書が分からない時、それを解く鍵が5節にあります。

「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」

つまり、イエス・キリストを中心にして聖書を読む時、み言葉が開けてくるのです。

これは全ての聖書箇所が完全に理解できるということではありません。

いまだに聖書学者たちが頭を痛め、議論している難解な箇所は確かにあります。

しかし、救い主イエス様の存在を念頭に聖書を読む時、聖霊が私たちの現状に即して導いてくださり、今の私に必要な理解を与えてくださるのです。

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イエス様を中心に置き、聖霊の導きを求めつつ聖書を開いて参りましょう。

2012.11.26

今日のみ言葉【No.451】(2012年11月26日)

その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。
(黙示録4:1)

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聖書の地、イスラエルは町全体が城壁で囲まれています。

外と出入りできるのは門からしかありません。

門の内と外では全く違う風景が見られます。

外は殺風景でも、門の内には賑やかな人通りと市場が広がっていることはよくあります。

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「開いた門が天にあった」

というのは、今まで外から中を想像する他なかった天の状態が、その中に入ることができるので、神の栄光を見ることができるようになった、ということです。

門の外から想像する内側の世界とは全く違った祝福の世界が、門の内側にはあるのです。

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私たちもこの門の内側の天の世界の予告編を味わうことができます。

それは聖書の言葉を読み、そのどれか一つに従ってみることです。

別の言葉で言うと、十字架を負う、ということです。

苦労はありますが、神の慰めもそこにはあるということを体験します。

聖書の言葉は、私たち自身の生き方により、無味乾燥な言葉にも命の言葉にもなるのです。

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御言葉に一歩従う一日として参りましょう。

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