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2013.01.31

今日のみ言葉【No.496】(2013年 1月31日)

あなたはわたしのために土の祭壇を築き、その上にあなたの燔祭、酬恩祭、羊、牛をささげなければならない。わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨んで、あなたを祝福するであろう。
(出エジプト記20:24)

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父が亡くなり、私の実家に仏壇が置かれました。

その前でお線香を上げ、拝む母を見ていると、これは仏教信仰ではないことがうかがい知れます。

よそ様ではどうか分かりませんが、我が実家の仏壇は、故人を偲び、回想し、生きているかのように心の中で会話をするための特定の場なのです。

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旧約の時代、神は祭壇を築くことを命じられました。

祭壇は神と出会い、礼拝する特別な場所なので、その場所は神が指定なさいます。

祭壇が築かれると、民はそこに来て初めて、神に祈り祝福を受けるという交流をすることができたのです。

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新約の時代の今は、イエス様を信じる者全てが神の宮ですから、祈りが祭壇の場に限定されることはありません。

「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。」
(第1コリント6:19)

全世界のどこにいても神に祈ることができ、特定の方角を向かなければならないということもありません。

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しかし、ある程度、場を決めておいた方が人間にとってやりやすいことも事実です。

あなたには心を注ぎ出して全ての思いを神に明かせる場があるでしょうか?

私たちが謙遜な思いを持って出られるなら、その場所はどこでも良いのです。

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Yさんは車の中が自分の祭壇だと言います。

外回りの多い彼は、自動車を運転する前、必ず、

「事故に遭いませんように。また、事故を起こすような運転をしませんように。」

と祈ってから出発します。

運転中は一人ですし、外にも声は聞こえませんから、大声で賛美し、何でも祈るそうです。

Yさんにとっては車の中が祝福の場なのです。

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あなたがどこにいたとしても、心の祭壇を築き、神を礼拝しましょう。

神はあなたの生活に何かを起こして下さいます。

その神の祝福を見る一日として参りましょう。

2013.01.30

今日のみ言葉【No.495】(2013年 1月30日)

そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。
(出エジプト記17:7)

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人間は奇跡が起きたことを忘れます。

それよりも目の前の困難の方に心が奪われてしまうのです。

イスラエルの民は、紅海が真っ二つに裂け、海の底を歩いて渡った奇跡を体験していました。

しかし、荒野で水が無いという切実な問題の前に、ほんの数ヶ月前の奇跡の体験は吹っ飛んで、モーセに対して不平を言い、

「彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」

とモーセが神に訴えたほど、怒りと不満をぶつけました。

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忍耐と寛容の神は、モーセに、

「あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」

と命じ、荒野で岩から水を湧かせて下さいました。

そこでその地名はメリバ(「論争」の意)、マッサ(「試み」の意)となったのです。

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「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」

と神を試みることは、悪魔がイエス様にそのようにせよと誘惑したほど犯しやすい罪です。

私たちはふと、

「神がいるならなぜこのような試練が続くのか?」

「奇跡を起こし続けてくれるはずではないのか?」

「神様、あなたがここにいるなら、なぜ今すぐ何か事を起こしてくれないのですか?」

と考える時があります。

これが神を試す、ということの実際です。

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神は常に人間に全てのことを明らかにして事をお進めになるというわけではありません。

しかしそれは神が人間から離れて事をなさるということでもありません。

神様には最善のご計画があるのです。

そのことを信じ、神を試す誘惑にさらされたら、神を信頼するほうにエネルギーを費やして参りましょう。

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イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
(マタイ4:7)

イエス様でさえも神を試す誘惑を味わわれたことを心にとめましょう。

そのイエス様は私たちの心の動きを完全に理解し、弱さを憐れみ、愛して下さる方であることを信じて参りましょう。

2013.01.29

今日のみ言葉【No.494】(2013年 1月29日)

主が強い手をもって、あなたがたをここから導き出されるからである。
(出エジプト記13:3)

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大ベストセラー『五体不満足』の著者、乙武洋匡さんが、

「乙武さんは、親を恨んだことありますか?」

という質問を受けました。

彼の答えは、

「一度もない。感謝しかない。 」

すると、自分は虐待を受けたのだという質問者が、

「一度も親を恨んだことがないなど、私から見ると、むしろ不自然だ。」

と食い下がってきました。

乙武さんはサラリと、

「育ってきた過程が幸せに満ちていたかの違いでしょ。」

「幸せで満たしてくれたのは両親。だから、感謝しかない。」

と答えられ、最後に、

「稀有な感性を持った両親に育てられ、いまこうして満たされた人生を送れているからこそ、今度はこうした人々に対する理解を深め、多様性を認めることのできる寛容な社会の構築に少しでも尽力していきたい。それが、少なからず育ててくれた両親への恩返しにもなると思うから。」

とまとめられました。

乙武さんの生きる力は、ご両親によって養われたのです。

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今日の聖句は、神は力ある方であることを語っています。

特にこの一文は13章の中で3度繰り返されています。

それだけ「主の強い手」をモーセは強調しました。

力ない奴隷の身でありながら大国エジプトから脱出するには、神の強い力が無ければできませんでした。

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私たちも現実の束縛の中に置かれています。

病、体力の制限。

言うに言えない立場。

こじれた人間関係…。

しかし、モーセと同じ神が私たちと共におられることを覚えましょう。

「主が強い手をもって、あなたがたをここから導き出されるからである。」

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そのためには神の御心に従うことが必要です。

それはちょうどお医者さんの指示に従うことと同じです。

インフルエンザに感染しない、また、させないためには、

(1) うがい
(2) 手洗い
(3) マスク着用

が基本です。

この3つを行っていればほとんどの場合大丈夫です。

私たちが当然のこととしてこの指示通りの生活をするように、神の指示に従うのです。

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ウィルス除去のために、うがい・手洗いをしますが、霊的面では悔い改めの祈りです。

罪を意識してもしなくても、毎日、霊的にリフレッシュされる時を持っていきましょう。

そのための御言葉は、詩篇139:23-24です。

「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。」

聖霊の光に照らされ、心を探っていただくと、今日一日の中で気にもとめなかった事が次々と示されます。

その一つ一つに悔い改めの祈りをし、キリストの十字架の赦しによって心を洗っていただくのです。

この繰り返しの生活があなたの霊的成長を助けます。

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日々悔い改め、主が強い手をもって導き出される時に備えて参りましょう。

2013.01.28

今日のみ言葉【No.493】(2013年 1月28日)

わたしは、こんどは、もろもろの災を、あなたと、あなたの家来と、あなたの民にくだし、わたしに並ぶものが全地にないことを知らせるであろう。
(出エジプト記9:14)

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エジプトはピラミッドやスフィンクス等の巨大建造物で有名です。

また、多くの神々の像が発掘され、博物館でその栄華を偲ぶことができます。

そのような環境で育った王パロが、奴隷となったイスラエル人たちが信じる神こそ真の神であるなどとは考えることもできませんでした。

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神は王であろうと誰であろうと、御心に従うことを求めます。

それに逆らうパロに対して、神は十の災害を下されたことが出エジプト記に詳しく記されています。

それは、

「わたしに並ぶものが全地にないことを知らせる」

ためでした。

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神が災いを起こしたのは、その強大な力でエジプトの王をいじめるためではありません。

「わたしに並ぶものが全地にない」

という真理を知らせ、証明するためでした。

そのことを早めに受け入れていれば、エジプトの損害は小さかったかも知れません。

しかしパロのかたくなな心は最後の最後までイスラエル民族を解放することを拒み、その結果、多くの代償を払ってこの真理を受け入れざるを得なくなったのです。

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事実を受け入れ、そこから教訓を学び、真理に自分を従わせていく。

自分のやり方を手放すことは難しいことですが、そこが一番のポイントのようです。

なぜなら、手放した後、人間はやり抜くことができるからです。

「手放してしまったらどうなるだろう…」

という恐れが最も大きなストレスだった、と後から知ることになるでしょう。

手放してしまった後の現実に味わうストレスは案外小さいものなのです。

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真理に従う、と決心して今日一日を過ごして参りましょう。

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2013.01.26

今日のみ言葉【No.492】(2013年 1月26日)

そこで、イスラエルの人々のかしらたちはパロのところに行き、叫んで言った、「あなたはなぜ、しもべどもにこんなことをなさるのですか。
(出エジプト記5:15)

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「どうせ」という言葉はあまり使わない方がよい言葉の一つです。

「どうせ」の後には必ず否定的表現が来るからです。

「どうせムリでしょ。」、「どうせ私なんか…。」

全否定されれば良い考えが浮かんでくる余地がありません。

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ところで、この言葉を使うと楽になることも事実です。

100%無理なのですから良くなる可能性はゼロ…、ということは、考える必要が無くなるからです。

ストレス満載の現在の状況を変えていくために、更に努力をしなければならないのなら、

「どうせやっても無理なんだから…」

と、心も体もマヒさせ、その状況に慣らしていく方を人間は選ぶようです。

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今日の聖句では、イスラエル人のリーダーたちでさえ自分たちのことを「しもべ」つまり「奴隷」と呼んでいます。

その一つの理由は、エジプトの王パロが彼らを奴隷として扱い始めたからです。

しかし最大の理由は、人間はいつの間にかその環境は変えられないものとして、抵抗するのをやめてしまう性質です。

暑さや寒さに順応するのは素晴らしいことですが、いじめ・体罰・セクハラ等の不当な扱いに対しては別です。

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人はどうしても安定を求め、変化を好みませんが、あなたは今、あえて変化する努力をしなければならない状況におられるのではないでしょうか?

そういう場合、行動を変えることから始めると大きなエネルギーを必要とします。

行動よりも前に意識を変えることから始めましょう。

意識を変えるには、まず言葉づかいを変えることです。

「どうせ」は禁句。自虐的言葉も心して使わないことです。

これだけでも相当な抵抗を感じます。

しかし、神様が起こそうとする変化に抵抗する代わりに、私たちを変化させないようにする状況や力に対して抵抗しましょう。

神様は良いものだけを与えようとされるお方だからです。

私たちがすべきことは、まず一歩進み出すことです。

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私たちは神に愛されている素晴らしい作品であることを心にとめて参りましょう。

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