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2013.03.31

今日のみ言葉【イースター特別号】(2013年 3月31日)

ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。
(マルコ16:4)

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イースターおめでとうございます。

今日はイエス・キリストの復活をお祝いする日です。

イースターがなぜ特別なのかというと、それは父なる神が、

「キリストが十字架で死に、全人類の罪の刑罰を身代わりに負おうとした。」

「厳密な検査の結果、それで支払いは十分である。罪の借金は完済した。その証明として、かねて預言していたとおり復活させる。」

ということだからです。

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人間の限界である「死」という大きな石が

「すでにころがしてあった。」

という事実を確認するのがイースターです。

私たちは人間の限界の中でしか物事を考えられませんが、実は神の大きな支配の中で生かされていることに思いを馳せましょう。

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イースターの朝、マグダラのマリヤたちはイエス様の亡きがらに香料を塗ろうとして出発しました。

彼女らは、

「石は取りのけられてある。誰かが動かしてくれる。ハレルヤ!」

という堅い信仰を持って出向いたのではありません。

「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」
(マルコ16:3)

と心配を抱えながら歩いていったのが事実です。

100%の堅い信仰でない現在の自分であっても、一歩も二歩も踏み出してみることです。

「あの石があるからできない。」

という思いはあっても、その場に行ってみることなのです。

神がおられる世界なら心配する必要はありません。

あなたの一歩というからし種一粒の信仰を神は見てくださり、山のような大きな石を動かす御業をなしてくださいます。

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イースターは、あなたが一歩進める日です。

石があっても進んで参りましょう。

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2013.03.29

今日のみ言葉【黄泉に下る】(2013年 3月30日)

昨日に続き、十字架上の七言を味わいましょう。

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●第5の言葉
苦痛

「わたしは、かわく」
(ヨハネ19:28)

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●第6の言葉
支払い完了

「すべてが終った」
(ヨハネ19:30)

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●第7の言葉
信頼

「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」
(ルカ23:46)

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今日のみ言葉【受難日】(2013年 3月29日)

今日はイエス様が十字架につかれた受難日です。

今日と明日は十字架上の七言をかみしめながら、イエス様のお苦しみを思いましょう。

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●第1の言葉
ゆるし

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
(ルカ23:34)

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●第2の言葉
救い

「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」
(ルカ23:43)

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●第3の言葉
あわれみ

「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。 それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」
(ヨハネ19:26-27)

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●第4の言葉
神との断絶

そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

と言われた。それは

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

という意味である。
(マタイ27:46)

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2013.03.28

今日のみ言葉【No.538】(2013年 3月28日)

モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。
(申命記34:7)

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私の目はドライアイで、涙の量が減少し、涙の質が悪くなって目が乾燥する症状が出ます。

3週間目薬をつけ、2度目の受診で眼科医から、

「前回は0秒で乾燥しましたが、今回は1秒です。症状は改善されています。」

と言われ、かすんで切ない目でしたが、前途に希望が見えました(^^)。

それにしてもモーセが120歳で死を迎える時まで

「目はかすまず、気力は衰えていなかった。」

とあるのは驚きです。

よほどの剛健な体の持ち主だったのだろうと想像する他ありません。

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しかし、そのようなモーセであっても、人間ですから肉体の死の時が来ました。

イスラエルの民は

「三十日の間モーセのために泣いた」
(申命記34:8)

とありますが、それも当然だったでしょう。

次の指導者ヨシュアがどんなに素晴らしくとも、神と顔と顔を合わせて話せたのはモーセしかいなかったのです。

民が力を落としたことは容易に想像がつきます。

しかし

「モーセのために泣き悲しむ日はついに終った」

のです。

その日は、目の前に見える人間に多く頼っていたところから、目に見えない神こそ力の源泉であるとする生き方へ転換する日となりました。

頼れる人物を失うことは大きな痛手ですが、それは真に頼るべき方と共に歩み出す新たなスタートでもあるのです。

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終わりは始まりです。

永遠に共におられると約束されるお方と歩み出す一日として参りましょう。

2013.03.27

今日のみ言葉【No.537】(2013年 3月27日)

この言葉はあなたがたにとって、むなしい言葉ではない。これはあなたがたのいのちである。
(申命記32:47)

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イザヤ書にこのような言葉があります。

「天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。」
(イザヤ55:10)

雨や雪が天から降って、そのままの形で天に戻ることはあるでしょうか?

聖書は「ない」と言うのです。

天から降った雨や雪は、

「地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える」

のです。

これと同じように、

「わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。」
(イザヤ55:11)

つまり、神様の言葉、約束が発せられると、何も起きないままその言葉が神様に帰ることはないというのです。

必ず、

「わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。」

のです。

神の救いの約束は永遠に変わりません。そしてそれは必ず果たされます。

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ただし、

「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。」
(イザヤ55:8)

とあります。

人間は「良くなる」と聞かされると、右肩上がりの一直線を想像します。

昨日よりは今日、今日よりは明日、段々良くなっていく、と考えるのです。

しかし、霊的世界の戦いはそういうものではありません。

これ以上ないほどの最悪の次の瞬間、圧倒的大勝利が輝きます。

死ぬはずのない主人公が死んでしまい、物語が終わったと誰もが思った3日後に復活があります。

「天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
(イザヤ55:9)

のです。

神の言葉は「むなしい言葉」ではありません。

モーセが

「これはあなたがたのいのちである。」

と最後に言い残したように、信じる者の内で命となり、神の御心を行わせ、この世に収穫をもたらしていくのです。

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神の約束を今一度振り返り、心新たにされて参りましょう。

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