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2013.08.31

今日のみ言葉【No.637】(2013年 8月31日)

そこで王は立って門のうちの座についた。
(サムエル記下19:8)

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アブサロムの反乱は平定されましたが、ダビデにとって、それは同時に息子の死でもありました。

彼の嘆きと悲しみは大きく、王としての務めを果たせない状態でした。

そこで将軍ヨアブは王に、私情に駆られてはいけない、と進言しました。

「そこで王は立って門のうちの座についた」

のです。

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わずか1行18文字の言葉ですが、彼の心情を推し量るのに余りあるものがあります。

ダビデの最大の武器は、この

「切り替えの早さ」

だったのではないかと思われます。

バテシバとの罪を預言者ナタンに指摘された時も、彼はすぐ自分の罪を認めました。

ダビデは罪を犯さない人間ではなく、方向を誤ったと気づいたら、いつまでもダラダラと

「どうしよう?」

とそのまましばらく惰性で生き続ける人ではなく、悔い改めて方向転換する人だったのです。

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そうは言ってもなかなか切り替えられなくて…、と言い訳が出てきそうです。

切り替えをよくするには3つのポイントがあります。

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【その1】切り替えのいい人を参考にする。

あんな風にすぱっと切り替えるんだ、あんな風に自分を許して差し支えないんだ、と、実例を目にすることです。

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【その2】切り替えのできない人を参考にする。

自分のことはよく分かりませんが、他人の姿ははっきりと見えるものです。

切り替えできないまま、人を恨んだり、許せない思いを引きずっているとああなるんだ…、というおぞましい実例を見させていただくことです。

切り替えるのが損ではなく、得なことだと理解することです。

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【その3】ひたすら訓練する。

「わかる」と「かわる」は別物です。

後は訓練です。

「切り替えできない私だなー。あー、何でいつもこうなんだろうなあ…」

と切り替えできない自分に気づき、

「はい、そういう私を許します。嘆くのは終わり。チャンチャン!」

とお手軽・能天気にその都度変更するのです。

軽薄・呑気が命です。

軽くなければそのどっぷり浸かった状況から上がれません。

この訓練を続けていくと、やがてダビデ王クラスの

「私情を交えないでやるべき事をやる」

という切り替えができる自分に成長していくのです。

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神の与える訓練に励む一日として参りましょう。

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2013.08.30

今日のみ言葉【No.636】(2013年 8月30日)

「わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ」。
(サムエル記下18:33)

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アブサロムの反乱は失敗に終わり、彼はヨアブの槍で胸を射貫かれ、絶命します。

その知らせを聞いて、ダビデが悲嘆の声を上げたのが今日の聖句です。

息子とはいえ、父ダビデの命を狙うアブサロムでした。

自分の命を脅かす相手が滅んだのですから、安心するはずだ、と使いの者は思ったことでしょう。

しかし、アブサロムが自分を殺そうとしていたとしても、父親にとって息子は息子なのです。

どんなに悪い子であったとしても、子供の無事をひたすらに願い、その子が死ねば、親は嘆き悲しむのです。

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ここに父なる神様が人間に抱く思いが表されています。

神はどんな人も滅びることを望まないのです。

「わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」
(エゼキエル18:32)

神の御心は、全ての人がイエス・キリストを信じ、罪赦され、永遠の命を得ることです。

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「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(ヨハネ3:16)

この御言葉を心に抱く一日として参りましょう。

2013.08.29

今日のみ言葉【No.635】(2013年 8月29日)

それは主がアブサロムに災を下そうとして、アヒトペルの良い計りごとを破ることを定められたからである。
(サムエル記下17:14)

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アブサロムの反乱に加わったアヒトペルは大変賢い参謀でした。

疲労の極にいるであろうダビデを今たたけ、と彼は進言します。

この通りにしたら、ダビデは撃ち破られ、アブサロムの天下となったことでしょう。

しかし、アブサロムはホシャイの意見も聞いてみようと思い、彼に尋ねます。

ホシャイはダビデ側のスパイでした。

彼は、手負いの熊のようなダビデだから今戦うのは危険だと主張します。

何とアブサロムとイスラエルの人々はホシャイの意見を採用します。

聖書はこう語ります。

「それは主がアブサロムに災を下そうとして、アヒトペルの良い計りごとを破ることを定められたからである。」
(サムエル記下17:14)

このようなことがあるのです。

絶体絶命、圧倒的不利の中でも、神様は働かれます。

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どんなときも、希望を持って祈ることを忘れないようにしましょう。

実はこれら一連の奇跡的出来事の前に、ダビデの祈りがあったからです。

ダビデはエルサレムを逃れる時、オリブ山の坂を

「登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。」
(サムエル記下15:30)

とあります。本当に緊急で、取るものもとりあえず出てきた、ということです。

そして部下アヒトペルの寝返りの知らせを聞いた時、ダビデはすぐ、

「主よ、どうぞアヒトペルの計略を愚かなものにしてください」
(サムエル記下15:31)

と祈りました。彼の智将としての力を知っていたからです。

するとすぐ山頂でホシャイと出会い、彼にスパイ役を頼みます。

そのホシャイが用いられ、アヒトペルの計略が撃ち破られるのです。

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「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」
(第1テサロニケ5:16-18)

望みがない時こそ祈るべきです。

神はあなたの祈りを尊く用い、祈りを通して働かれます。

祈りはすぐに、また、時間をかけて聞かれます。

御心が成ることを信じて絶えず祈ることを心がけましょう。

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苦しみの中の一言の祈りを神はきいてくださいます。

祈りを通して神は働かれることを覚える一日として参りましょう。

2013.08.28

今日のみ言葉【No.634】(2013年 8月28日)

彼を許してのろわせておきなさい。主が彼に命じられたのだ。
(サムエル記下16:11)

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無収入のどん底から再ブレークを果たし、今やテレビで引っ張りだこの有吉弘行さん。

かつて「猿岩石」というコンビ時代、日本レコード大賞新人賞受賞、著書はミリオンセラー、CM数本に出演…、と、絶頂期を体験しました。

しかし、人気は去り、仕事が全くなくなり、7千万円あった貯金も底をつき、

「あいつは一発屋芸人だった」

と人々がささやく中、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんだけが彼に暖かい声をかけ続けたエピソードは有名です。

落ち目の時こそ、周りの人が本当はどういう人であるのか分かると言いますが、友人たちがふるいにかけられ、真の友だけが残る時なのでしょう。

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ダビデは都落ちしていました。

その途中、二人の人に出会います。

ヂバは食料を持参し、王とその家来を力づけます。

その後、シメイが現れます。

彼はダビデ一行に石を投げつけ、

「あなたが代って王となったサウルの家の血をすべて主があなたに報いられたのだ。主は王国をあなたの子アブサロムの手に渡された。見よ、あなたは血を流す人だから、災に会うのだ」。
(サムエル記下16:8)

と呪い続けます。

たまりかねて、家来の一人が

「この死んだ犬がどうしてわが主、王をのろってよかろうか。わたしに、行って彼の首を取らせてください」

と進言します。なぜなら、シメイの言葉は的外れな言葉だったからです。

サウルはペリシテ人との戦いで戦死したのです。

しかもサウルはダビデの命をつけ狙っていましたが、ダビデはサウルを神の人として決して手を出すことはしませんでした。

事実に基づかない一方的解釈で誹謗中傷を浴びせられた時、ダビデはどのようにしたのでしょう?

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今日の聖句がその答です。

「彼を許してのろわせておきなさい。主が彼に命じられたのだ。」

誤解や批判は人生につきものだというのです。

自分の正当性を主張することが必要な場合はありますが、多くの場合、批判する人は批判すること自体が目的ですから、

「あ、なるほど、あなたの方が正しかったのですね。私が間違っていましたから、批判はやめにします」

などということにはなりません。

表面的には相手の言うなりで、無抵抗、批判にさらされたままでいることになりますが、内面は、

「おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。 主はとこしえにこのような人を捨てられないからである。」
(哀歌3:30-31)

の御言葉に支えられ、真実が明らかにされ、勝利を得るまで耐え忍ぶ力を養うのです。

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人種差別撤廃を訴えたワシントン大行進から今日で50年。

20万人を前にし、マルチン・ルーサー・キング牧師が演説した「I have a dream」は日本の中学校の英語の教科書にも載るほど有名です。

「白人に抵抗するな。白人を愛せよ。」

と説いたキング牧師は暗殺されましたが、その後のアメリカ社会はキング牧師の日を祝日として制定し、現大統領のオバマ氏は黒人です。

長い年月はかかりますが、神の御心は必ず果たされるのです。

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御言葉の力によって耐え忍び、勝利を得る時を見て参りましょう。

2013.08.27

今日のみ言葉【No.633】(2013年 8月27日)

どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。
(サムエル記下15:26)

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アブサロムは相当のイケメンだったようです。

「さて全イスラエルのうちにアブサロムのように、美しさのためほめられた人はなかった。」
(サムエル記下14:25)

足の裏から頭の頂まで傷のない身体。

美しく長い髪。

王の息子。

外見はまさに理想的男性です。

しかし内面においては、彼はまだまだ養うべき面があり、克服しなければならない面がありました

それは、自分こそ最高とする「傲慢」でした。

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表はイケメン裏は傲慢のアブサロムは、エルサレム在住の4年のうちに民の人気を集め、クーデターを起こします。

父ダビデはそれに対抗せず、何とエルサレムから逃げ出すのです。

彼は人間の我欲が強引にまかり通る現実のただ中で、

「どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。」

と、神への信仰を改めて表明し、神のなさる現実に従ったのです。

しかもそれは、

「もし主が、『わたしはおまえを喜ばない』とそう言われるのであれば、」

という但し書き付きです。

つまり、

「神にゆだねたら正義が通り、自分が助かり、自分の思いが通る…」

と思ったのではないのです。

「自分に悪しき点があれば、その罰を受け、悔い改めて参ります」

という

「どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。」

なのです。

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この点がアブサロムとダビデの決定的違いです。

両者とも罪を犯し、失敗をする人間です。

しかし、それを認めずに自分の正しさを通そうとするのか、あるいは、そこで主にゆだね、自ら悔い改めるのか…。

ここが人生の分岐点であることは言うまでもありません。

そしてその分岐点は、毎日の生活の中で突然に現れ、後になってから、

「ああ、あそこでわたしの人生は分かれたんだ…」

と知るようになるのです。

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正しい選択をするには、ダビデのように、

「どんなに失敗しても、神の愛と赦しは変わることがない」

ということを確信していることです。

神の愛と赦しを十分に味わうこと。

これが人生の秘訣です。

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今日一日も神の恵みを味わう日となりますように…。

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