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2014.09.30

今日のみ言葉【No.902】(2014年 9月30日)

人々は彼によって祝福を得、もろもろの国民は彼をさいわいなる者ととなえるように。
(詩篇72:17)

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iPhone(アイフォーン)やiPad(アイパッド)を世に送り出したスティーブ・ジョブスは、自分の子どもたちにこれらの電子機器を使うことを制限していたのだそうです。

(ニューヨーク・タイムズの記事「スティーブ・ジョブズはローテク親だった」より)
http://www.nytimes.com/2014/09/11/fashion/steve-jobs-apple-was-a-low-tech-parent.html

彼の家では夕食時、家族皆がダイニングテーブルに集まり、一斉にiPadを出して…、という風景は見られず、むしろ本や歴史について語り合う時間を持っていました。

これはあまり若い内からハイテク機器を使うことの弊害を彼が知っていたことを表します。

我が子にデジタルでなくアナログ重視の教育を施したのは、子の将来の祝福を願う親としての当然の選択だったのでしょう。

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詩篇第72篇は、前書きに

「ソロモンの歌」

とありますが、最終節に

「エッサイの子ダビデの祈は終った。」

とありますから、父ダビデが我が子ソロモンのために祈った詩篇です。

ダビデは子であるソロモンのために祝福を祈ります。

「人々は彼によって祝福を得、もろもろの国民は彼をさいわいなる者ととなえるように。」
(詩篇72:17)

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そのためのポイントが2つ、冒頭の第1節にあります。

「公平」と「義」です。

「神よ、あなたの公平を王に与え、あなたの義を王の子に与えてください。」
(詩篇72:1)

公平とは弱い者を尊重することであり、それは命を大切にすることにつながります。

義とは自分の正しさを主張することではなく、神の義を身にまとうことです。

これをなすことによって、わが子ソロモンに祝福が伴うことをダビデは理解していました。

しかしそれだけでは、「我が子のみに一身に祝福がとどまりますように…」という親の自己中心的な祈りに過ぎません。

「人々は彼によって祝福を得」
(詩篇72:17)

と祈っているように、神の祝福が我が子を通して民に、そして全世界に広がっていくことが目的なのです。

ここに親が子のために祈る意義があります。

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19世紀のロンドンでは浮浪者があふれ、その日一日を食べるだけでも大変な生活をしていました。

彼らを救うことを目的として「救世軍」という組織が出来ました。

日本でも毎年必ず年の暮れに「社会鍋」のニュースを目にするあの救世軍です。

創設者のウィリアム・ブースの活動は多くの人の共感を呼び、今や世界的なキリスト教団体となっています。

ブースはなぜこのような働きをするようになったのでしょう?

彼のお母さんが大きな力となったと言われています。

お母さんは幼いビル(ウィリアムの愛称)に向かって、毎日、

「ビル、世界中の人が、あなたを待っているのよ。」

と語っていたからです。

ウィリアム・ブースのお母さんの祈りを神は聞き届け、その子を通して神の祝福を世に行き渡らせ、日本でも山室軍平、新島八重へとつながっていったのです。

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神の祝福を祈り求めましょう。

そしてその祝福が私たちを通して世界に流れ出ていくように祈りましょう。

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2014.09.29

今日のみ言葉【No.901】(2014年 9月29日)

主なる神よ、あなたはわたしの若い時からのわたしの望み、わたしの頼みです。
(詩篇71:5)

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先日、米沢市にキャロライン・ケネディ大使が訪問され、大歓迎を受けました。

そのきっかけは、彼女の父親の故ジョン・F・ケネディ元大統領が、米沢藩主・上杉鷹山を尊敬する日本人としていた、と着任直後の講演で語ったからです。

そのエピソードとは、日本人記者たちがケネディ大統領にインタビューする機会があった時に、

「尊敬する日本人の一人にヨーザン・ウエスギがいる。」

と聞いたことです。

「ヨーザン・ウエスギ?誰のことだ?」

と、当時、米沢以外では全く無名だった上杉鷹山が脚光を浴びました。

おそらくケネディ大統領が日本のことを勉強する時、内村鑑三の『代表的日本人』を読んでいたからでしょう。

これは「少年よ、大志を抱け(ボーイズ ビー アンビシャス)」の言葉で有名な札幌農学校のクラーク博士に影響を受け、クリスチャンとなった内村鑑三が、英語で日本人を紹介した本です。

神様はどこでどのように私たちの労苦を用いてくださるのかわかりません。

しかしわからないからこそ、希望を持って今日一日を励むことができるのです。

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詩篇第71篇の記者は老年になって苦難を味わいます。

老人となり、体も衰え、助けも少なくなっていくその時期に不当な責めを味わうことは本当に辛く、簡単に絶望に陥ってしまいます。

しかし彼は希望を持っていました。

その理由は、

「主なる神よ、あなたはわたしの若い時からのわたしの望み、わたしの頼みです。」
(詩篇71:5)

とあるように、彼が若い時から神を知り、神に導かれ、その恵みを知っていたからです。

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」
(伝道の書12:1)

恵みの積み重ねがあり、それに支えられて老年になってからの思わぬ災に遭っても、彼は立ち続けることが出来ました。

希望こそが人生を支えるのです。

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プラス思考全盛の時代ですが、これを最初に唱えたのはアメリカのノーマン・V・ピール牧師です。

前向き思考の古典とも言われる彼の著『積極的考え方の力』の中で、心構えをネガティブなものから積極的なものへと変える方法が紹介されています。

その一つは、

「今日一日、仕事や健康、将来のことなど、何についても、落ち着いて希望を持って話すようにしなさい。」

というものです。

とにかく今日一日、希望に満ちた話をする練習をするのです。

それを今日一日だけでやめないで、1週間続けよ、とピール牧師は説きます。

するとどうなるのでしょう?

希望に満ちた話が「現実的」だと思えるようになってきます。

そして、1週間前に「現実的」だと思っていた悲観的事実が、実はそう思っていただけに過ぎないという事に気づくというのです。

望みを抱いて見る未来が現実となっていくとは、何と素晴らしいことでしょうか。

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今日も希望を見出し、何もない時は新たに作り出し、1つでも多くの希望を抱く一日として参りましょう。

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2014.09.27

今日のみ言葉【No.900】(2014年 9月27日)

神よ、みこころならばわたしをお救いください。
(詩篇70:1)

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今日の聖句の

「みこころならば」

には2つの面があります。

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(1)神の全能

みこころならどんなに不可能に見えることでも成るのです。

この詩篇は迫害の中で書かれ、緊急に神の助けを求めています。

彼は、今どのような不利な状況の中にあったとしても、神の御心ならば必ず助け出されるという希望に生きていました。

ここにどんな時にも耐え忍んで生きていける力の源泉があります。

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(2)神を第一とする

みこころならば成る、の裏の面です。

つまり、みこころでないならば成らない、ということであり、それを受け入れる信仰のことです。

かつて荒野で生活していたイスラエルは、神の臨在の象徴である「雲」に導かれて進みました。

雲が動けば進み、雲が動かなければそこにとどまる生活です。

「しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。」
(出エジプト記40:37)

榎本保郎牧師は、その著『旧約聖書一日一章』で、

「食糧はなくなる、年寄りはいる、子供もいる、こんな所にいて外敵に襲われては大変だと思ったにちがいない。」

「けれども雲が動くまでとどまっていたのである。」

と解説しておられます。

そして、

「雲が動けば動くという信仰は容易ではない。」

と、先生の信仰体験に裏打ちされた味わい深い言葉で表現されています。

神への信頼はこのようなところを通されて深められていくのです。

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神の御心を思う一日として参りましょう。

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2014.09.26

今日のみ言葉【No.899】(2014年 9月26日)

しかし主よ、わたしはあなたに祈ります。神よ、恵みの時に、あなたのいつくしみの豊かなるにより、わたしにお答えください。
(詩篇69:13)

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詩篇第69篇は、冒頭の

「神よ、わたしをお救いください。」
(詩篇69:1)

の節でもわかる通り、苦難の中での祈りの詩篇です。

しかも彼は神に忠実なるがゆえに苦しみに遭っています。

「わたしはあなたのためにそしりを負い、恥がわたしの顔をおおったのです。」
(詩篇69:13)

神に従い、正しく、御心に沿った生き方をしているのに、苦しみが絶えないのはどうしたわけでしょうか?

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理由がわからない不当な苦しみを受ける中で、彼は

「しかし主よ、わたしはあなたに祈ります。」

と神に顔を向けます。

この

「しかし」

が大事なターニングポイントです。

神との関わりがあるので攻撃されるのですから、いっそ神を信じる姿を隠してしまい、この世と歩調を合わせてしまえば今ある苦しみは味わわなくて済むはずです。

被害の原因となっている「神」から離れれば安楽に暮らせるはずです。

ところが、詩篇の記者はここで

「しかし」

と言うのです。

「しかし主よ、わたしはあなたに祈ります。」

この世は一時的なもの。神は永遠。

彼は

「神よ、恵みの時に、あなたのいつくしみの豊かなるにより、わたしにお答えください。」
(詩篇69:13)

と、必ず神が働いてくださり、神の恵みの時に最善がなされることを信じて、自分の人生をゆだねます。

人生の逆流の中で、「しかし」という一本の楔(くさび)を打つこと。

ここから人生の方向転換が始まっていきます。

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私事で恐縮ですが、この「今日のみ言葉メール」発行のきっかけとなったのは東日本大震災です。

なぜ神はこのような災害を起こるのを許されたのか?

なぜ神はあのような大勢の人々が一瞬にして津波に流されてしまうのを傍観していたのか?

なぜ原子力発電所の事故を防いで下さらなかったのか?

神がなさることはわからない事だらけです。

震災直後の数日間、私は恐くて被災地に救援に向かうことも出来ず、家の中で怯えて時を過ごしていました。

しかしそこで神に祈りました。

「こんな無力で弱い私でもできることは何でしょうか?」

すると私と同じように家から出られない方、ガソリン不足で教会に来ることができない方がいらっしゃることが示されました。

そのような方々に、励ましのみ言葉をメールで送ることができる。これなら一瞬で、しかもその方の家まで行かなくても届けられる。

それが「今日のみ言葉メール」の始まりでした。

積もり積もって明日で900号。

以前ある方からの問い合わせに、

「1000号過ぎたら本にしたいですね」

と言った言葉は夢の彼方のように思っていましたが、手の届くところまで来ているようです。

どうぞ本の刊行のためにお祈り下さい。

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あなたが逆境の中にいる時こそ、

「しかし主よ、わたしはあなたに祈ります」

と胸を張って祈りましょう。

神の恵みの時があります。

そこに向かって進む一歩を今日も歩ませていただきましょう。

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2014.09.25

今日のみ言葉【No.898】(2014年 9月25日)

日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である。
(詩篇68:19)

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今日の聖句に

「日々にわれらの荷を負われる」

とあるように、神は私たちの荷を毎日負って下さいます。

その神のわざを実感するために私達がすべきことは、あなたが自分で重荷を背負おうとしないで、荷を神に預けることです。

「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。」
(詩篇55:22)

ゆだねる時のポイントは、全て、一切、残らず、です。

自分の中から重荷がスッカラカンに無くなって、

「寂しいなあ」

と感じるまでにお預けします。

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すると、神様からの受領証として平安がやって来ます。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
(マタイ11:28)

心に休みが与えられるのです。

その後は何もしなくていいのでしょうか?

いいえ、ちゃんと神様からあなたが負うべき新しい荷がやって来ます。

「ダマされた!」

と思わないで下さい。続く聖書個所で、

「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
(マタイ11:30)

とあるように、イエス・キリストが新たに与える荷は軽いのです。

今までの荷と変わりはないかもしれませんが、全く新しい意味が与えられ、軽い荷として感じられます。

日々にわれらの荷を負われる主と共にその荷を負わせていただけるからです。

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日本がバブル景気に走っていた頃、クリスチャンのT医師は壁に突き当たっていました。

それは慢性の患者さんに対する医療の限界と、それに関連して生じるベッド不足の問題でした。

いくら治療しても劇的な症状の改善はみられず、長期間の経過の後、死を待つのみ。

その間、病院のベッドは占有されているので、他の治療可能な患者さんを入院させられない…。

そのジレンマと自己の力の限界に多大なストレスを感じていたのです。

そのような時、ふと、

「まったく、ただのベッド塞ぎだ…」

とつぶやいてしまった自分自身に空恐ろしさを感じたと言います。

謙遜なT医師は自分の限界を認め、神に祈り、荷を神に委ねてみました。

すると不思議な出会いがあり、ターミナルケアの道が開かれて行きました。

今までベッド塞ぎとしか見えなかった人々が、新たに神の作品として見えてきました。

神の視点が与えられたのです。

それ以降、T医師の医療活動が更に生き生きとし、その影響が周りの医療スタッフや患者さんらに及んだことは言うまでもありません。

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神は私たちに、荷を預けよ、と叫んでおられます。

神にゆだね、心に休みを得、新たなる神の軽い荷で充実した一日を送らせていただきましょう。

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