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2014.11.29

今日のみ言葉【No.944】(2014年11月29日)

海はこれを見て逃げ、ヨルダンはうしろに退き、山は雄羊のように踊り、小山は小羊のように踊った。
(詩篇114:4)

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「擬人法(ぎじんほう)」という表現方法があります。

人間でないものを、あたかも人であるかのように表現する修辞法です。

簡単な例を挙げれば、

「花が笑う」

「空が教えてくれた」

などですから、私たちは既に擬人法に触れています。

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詩篇第114篇はこの擬人法を駆使した詩篇ですから、

「海はどうやって逃げるのだ?」

とか、

「山がクネクネと動いたのか?」

などと突っ込んではいけません。

それでは教養の無さを露呈するだけです。

ここは出エジプトの様子を表しています。

イスラエルの民が海の真ん中の乾いた地を通り、多くの奇跡を体験したことが描かれています。

これを生き生きと文学的に表現したのが詩篇第114篇なのです。

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彼らが神の素晴らしさを体験できた理由はただ一つ。

「イスラエルがエジプトをいで、ヤコブの家が異言の民を離れた」
(詩篇114:1)

エジプトを出る。これのみです。

今までの罪の世界、肉の世界から離れて、キリストの救いを信じる新しい世界へ出発すること。

これが神と共なる奇跡の生活へ進む第一歩です。

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しかしこれは相当大変なことなのです。

ですからキリスト教では「洗礼」をします。

水の中にザブンと入るのは、今までついていた汚れや罪をきれいな水で洗い落とすためではありません。

水の中に沈められるのは「埋葬」を意味します。

つまり、今までの古い自分に「死ぬ」のです。

そして水の中から引き上げられるのは、キリストによって与えられた「新しい命に生きる」という事を意味します。

古い自分に死ぬことによってのみ、新しい自分に生きることができるのです。

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神が新しい命を与えてくださるからこそ、古い自分に死ぬことができます。

恐れず、新しい自分へと一歩進める今日として参りましょう。

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2014.11.28

今日のみ言葉【No.943】(2014年11月28日)

日のいずるところから日の入るところまで、主のみ名はほめたたえられる。
(詩篇113:3)

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食前の感謝の祈りに関するジョークです。

厳格な神学校の教授が、将来の牧師候補生たる神学生らに質問をしました。

「食前の感謝の祈りをする際、最も心がけるべきことは何か?」

学生はこう答えました。

「短いこと」

確かにそうかもしれません(^_^;)

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詩篇第113篇と114篇は、過越の祭りの食前に歌われた詩篇です。

なるほど、その状況なので短い詩篇なのかもしれません。

しかし行数は少なくても、そのスケールの大きさは破格です。

「日のいずるところから日の入るところまで、主のみ名はほめたたえられる。」
(詩篇113:3)

すなわち、全世界、全地球的規模で

「主のみ名はほめたたえられる」

情景をイメージしているからです。

これは地域・文化・人種・言語の壁を越えて、全ての人々が神を信じ、キリストの救いに入れられる様子を高らかに宣言していると言って良いでしょう。

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「人生どこに行っても落とし穴がある。この世は危険だ。人は簡単に信用しないほうがいい。」

という処世術はもちろんあなたの身を守ります。

しかしそこにとどまり続けている人生は、自分で自分の周りに牢獄を作っているようなものではないでしょうか?

それ以上に、

「日のいずるところから日の入るところまで、主のみ名はほめたたえられる。」
(詩篇113:3)

という神の言葉に信頼し、神が用意された人との出会いがある、と信じて一歩も二歩も踏み出していく人生には、本当に神をほめたたえる時が用意されています。

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30年前の1980年代、韓国の反日感情の根深さは多くの日本人は知らされていませんでした。

観光旅行でなく教会研修で行き、しかも一般の韓国人の家庭も訪問するプログラムがある、とアナウンスされた時点で、旅行関係者から

「こういう点に特に気を付けて下さい」

と戦争による心の傷跡の存在を知らされました。

これは両国民の悲劇です。

と同時に、私の心に芽生えた思いは

「国民の3分の1がクリスチャンの国なのだから、何か神の出会いがあってもおかしくないだろう。」

という希望でした。

そこで、スーツケースの一番上にわざわざ聖書を置いておくと、チェックの係員がニコッと笑って

「アイム・ア・クリスチャン・トゥー」(私もクリスチャンですよ)

と言って、スムーズに荷物検査を終えることが出来ました。

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数年後、2度目の韓国教会研修の折、今度は出国検査の時に引っかかり、別室に連れていかれました。

ああいう時に信仰深い牧師たちは冷たいものです。

「丸山先生、大丈夫だから」

「神様が守ってくださるから」

と言って、誰も私と一緒にいてくれる人はなく、さっさと自分たちは検査を終えて行ってしまうのです!

しかし旅行社の女性のガイドさんが一緒について下さり、猛烈に韓国語で係員にまくし立ててくれました。

私が分かった言葉はただ一つ

「モクサニン」

つまり、この人は

「牧師先生」

なのだから何の問題もない、と言っていたようなのです。

30分後、そのガイドさんのお陰で疑いは晴れ、私は解放されました。

本当に神が備えられた人だと感謝しました。

無事、飛行機の席につくと、例の日本人牧師らが

「ほら、大丈夫だったでしょう」

と言ったのには正直ムッとしましたが、それはまだ私が砕かれていない証拠です。

これをありがたく

「感謝です」

と将来言えるようになれるのだから、まだまだ成長の余地はあるなあ、と思い直し、それ以上に全世界に神の人を用意されている主の御業を感謝しました。

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神の御業は行く先々、全世界に広がっていることを思い、今日も神の人との出会いに気づけるように、心を配ってまいりましょう。

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2014.11.27

今日のみ言葉【No.942】(2014年11月27日)

光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。
(詩篇112:4)

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景品で「電池のいらない6LEDランタン」なるものをいただきました。

ハンドルを回すと、なるほど、光り出しました。

これは停電の夜に重宝しそうです。

しかもソーラーパネル付きですから太陽光充電ができます。

さて今このランタンは、日当たりの良い窓辺で、ただの飾りになっています。

なぜなら、闇がやって来ないからです。

光は闇の中で見出す時にその存在とありがたさが分かります。

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人生の闇の時、先が全く見えない時は誰にでも訪れるものです。

しかし今日の聖句は、

「光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。」
(詩篇112:4)

と語ります。

どうしていいかわからない時、助けがどこからも与えられず、最悪に進むようにしか見えない時、

「彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない。」
(詩篇112:7)

とこの詩篇の記者は力強く宣言します。

なぜなら、闇の中に光が来るからです。

光が来れば、もはや闇は意味をもちません。

暗闇が問題なのではなく、光があるかどうかが問題なのです。

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拉致被害者の横田早紀江さんの本を読むと、至るところに

「祈りが支え」

であると書いてあります。

横田さんにとって、祈りを通して心の中に希望の光を灯していらっしゃるのでしょう。

新約聖書のヨハネによる福音書には、

「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」
(ヨハネ1:9)

とあります。

もうすぐ、この地上に光としてお生まれになったイエス・キリストの御降誕を祝うクリスマスがやって来ます。

私達の心に、今一度、光が灯されていることを再確認するクリスマスとなるように心して参りたいものです。

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2014.11.26

今日のみ言葉【No.941】(2014年11月26日)

主はおのれを恐れる者に食物を与え、その契約をとこしえに心にとめられる。
(詩篇111:5)

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私が生まれた昭和35年、大卒最優秀者はこぞって石炭会社に就職しました。

「炭鉱関係に就職していれば食いっぱぐれはない」と言われていたのです。

しかしその後、時代は一気に石油に移行し、石炭産業は衰退しました。

私の大学卒業時、企業から引く手あまただったのは経済学部の学生でした。

しかしその後、バブル崩壊、リーマンショック、デフレ、円高・円安等で大変な時代を生きているように見えます。

私ですか?

私はただ

「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」
(詩篇23:1)

の御言葉の真実を味わされ、生かされています。

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「主はおのれを恐れる者に食物を与え、」
(詩篇111:5)

とある通り、神が養ってくださるのは、神ご自身を恐れる者たちです。

ただしこれは時代劇にあるような「山の神様のたたりがあるぞ!」というような恐れではありません。

聖書に書いてある律法を守って正しく生きようとしてもそうできない自分の弱さを知っていることがまず必要です。

にもかかわらず、「そうせよ」と、とことんまで追究される義の神の存在をも知らなければなりません。

「汝の敵を愛せよ」

という神の要求を満たすことができないのに、神はそれを要求される…。

ただ神の憐れみにすがる他なく、恐る恐る神の御前に出ざるを得ない自分…。

これが「主を恐れる者」なのです。

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新約聖書でイエス様はパリサイ人と取税人の祈りの話をされています。

パリサイ人は自分の行なっている行為を誇り、

「この取税人のような人間でもないことを感謝します。」

と祈りました。

片や取税人はと言えば、

「遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』」
(ルカ18:13)

イエス様は厳かに宣言なさいます。

「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。」
(ルカ18:14)

聖書が示す正しい道とは、自分の行いでもって神の前に正当性を主張する生き方ではありません。

神が私たちの身代わりにひとり子イエス・キリストを十字架につけ、罪を帳消しにして下さり、そのことを信じる者を義として下さる。

これをまるごとそのまま信じる者、いえ、信じなければ生きていけない者が、

「主はおのれを恐れる者に食物を与え、その契約をとこしえに心にとめられる。」
(詩篇111:5)

のお約束をそのまま生きる人生を送ることが出来るのです。

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今日も神を恐れ、「食べていける」恵みを感謝する一日を送って参りましょう。

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2014.11.15

今日のみ言葉【No.940】(2014年11月15日)

主はわが主に言われる、「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。
(詩篇110:1)

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電気製品が故障した時のために保証書があります。

今はコンピュータで購入履歴も保証期間もすべて電子的に管理されていますから、そのお店のカードを通せば、無料で修理してもらえるかどうか、たちどころに分かります。

しかし、やはり紙のレシートと保証書は、自分のためにきちんと管理しておくべきです。

人は意外と電気製品に対して

「一晩寝かせれば直っているかも…」

などという非論理的な対応をするからです。

そうやって放っていて「もうダメだな」と気が済んだ頃、保証期間がちょうど終わったところだった、などという体験をするのです。

「あの時すぐ保証期間を確かめていれば…」

と後悔した経験のある人は私だけではないでしょう。

一枚の紙きれが渡された段階ではあまり意味を感じませんが、そのレシート1枚で私たちの暮らしが大きく変わることがあるのです。

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詩篇第110篇は、書かれた当時より、イエス・キリスト到来後に大きな意味が見出された詩篇です。

少し難しくなるかもしれませんが、イエス様がご自分の神性を主張された個所なのです。

マタイによる福音書の第22章41節〜46節を参照下さい。

イエス様は律法に精通しているパリサイ人たちに、

「キリストはだれの子なのか」

と尋ねました。

答は当然「ダビデの子」です。

そこでイエス様はぐっと踏み込んだ質問をされます。

「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。」
(マタイ22:43)

パリサイ人たちは答えることができませんでした。

正解は、救い主キリストは人としてはダビデの子孫ですが、同時に神なので、ダビデの主、となります。

ここにイエス・キリストの神性と人性が一つであること、人となられた神であることが示されています。

このように、

「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」
(ヨハネ13:7)

ということがあるのです。

今は意味がわかりません。

しかし、後になって

「あのお荷物のような存在は、この事のためにあったのか!」

「あの事がなかったら、今の私はあり得ない」

と知らされる時が来るのです。

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まだお母さんのお腹の中にいる赤ちゃんが、足で内側から蹴っ飛ばすことがあります。

「元気で成長している」

と周囲の人は皆喜びます。

しかし当の赤ちゃんの気持ちはどうなのでしょう?

お母さんの胎内で足は全く無用のものです。

足があるお陰でスペースが取られ、随分窮屈な思いをしているのではないでしょうか?

しかし一旦外の世界に生まれてみると、生まれる前には無用のお荷物的存在だった足の意味が初めて分かります。

これと同じことが、地上の生涯を終えた死後の世界で起こるのではないでしょうか?

私たちが生きている間、

「なぜこんなものが…」

と思うことが、実は永遠の世界では必要不可欠のもので、それ無しでは生きていけないものになっているのかもしれません。

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今わからないことは、わからないままでそっとしておくことも必要なのです。

神はやがて本当に必要なものを明らかにして下さいます。

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