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2015.12.26

今日のみ言葉【No.1204】(2015年12月26日)

この日から後、この町の名は『主そこにいます』と呼ばれる
(エゼキエル48:35)

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「映画の中でカトリックとプロテスタントを見分けるポイント」という画像がツイッターで人気を呼んでいます。

一部を紹介すると(上がカトリック、下がプロテスタント)

●司祭を
 ・神父と呼ぶ
 ・牧師と呼ぶ

●教会が
 ・ゴージャス
 ・シンプル

●手で十字を
 ・よく切る
 ・切らない

「キリスト教オンチにはありがたい」とコメントがついており、キリスト教に疎い大部分の日本人にとって便利だったせいか、現在拡散中だそうです。

「なるほど、そうだな〜」とうなづける点も多くありますが、これらはあくまで表面的な事柄です。

目に見えない神と人間との関係が本質なのです。

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エゼキエル書の最終章は、イスラエル12部族の領地の割り当てを書いています。

部族同士の反目を繰り返していた時代、南北に分裂した時代、一部の部族が失われたように見えた時代…。

人間は自分たちに与えられた「選択の自由」を、神の御心を選ぶことに使わず、自分の思いを通す方に利用しました。

その結果としての様々な歴史が聖書上にありのまま記されています。

しかしエゼキエルが最終的に見た幻は、イスラエル12部族がきちんと揃い、神が中心となって存在する国の姿です。

それは、

「主そこにいます」

という言葉によって表されます。

エゼキエル書の最終章の最終節に残された言葉。

それは、神と人が共に住む世界であり、これが最終目的地なのです。

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S子さんの息子さんが原因不明の体調不調に陥りました。

どうやら心のカゼのようなのですが、食べられなくなっているので身体面でも影響が出てきています。

あれこれ相談をすると、友人の一人から

「一口サイズの、小さい、手作りおにぎりはどうだろうか?」

とアドバイスされました。

その時、S子さんはハッと気づきました。

「私は、摂取しやすくてすぐに効果があり、本人も簡単だろうと思って、市販の栄養ゼリーばかりを与えていた…」

すぐに手作りおにぎりを用意したところ、息子さんは

「おいしい」

と手にとって食べてくれました。

それから彼の元気が回復したのは言うまでもありません。

親と子の本来の関係が、あるべき姿に戻ったからです。

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神は私たちと共にいたいと願っておられます。

神と共なる関係を目指し、今日の努力をそのところに向けて参りましょう。

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2015.12.25

今日のみ言葉【No.1203】「クリスマス特別号」(2015年12 月25日)

あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである
(ルカ2:12)

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クリスマスおめでとうございます。

旧約時代、イスラエルが待ち望んだ救い主がユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。

あれから2000年。

今までも、そしてこれからも、救い主イエス・キリストは彼を信じる者の罪をゆるし、永遠の命を保証してくださいます。

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そのキリストが地上に生まれたその時、ヨセフとマリヤにはもうすぐ生まれいづる赤ちゃんと共に泊まる宿屋がありませんでした。

御使が野宿していた羊飼に告げたことは、

「幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう」
(ルカ2:12)

という様子でした。

私たち日本人は、

「きっと木でできた飼葉おけの中に、アルプスの少女ハイジが眠ったような暖かい藁(わら)が敷き詰められた清潔なベッドだったのだろう」

と想像するかもしれません。

しかし中東のイスラエルの飼葉桶は石で出来ています。

レンガや岩をくり抜いた冷たい石に、生まれたばかりのイエス様は寝かされたのです。

この世で最も下の場所に生まれ、寝かされること。

それが大いなる神の御心でした。

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身重の身体でベツレヘムまで移動し、宿屋に泊まることもできず、初産であり、寝かせるベッドもなく、マリヤはストレスにさらされる連続だったでしょう。

赤子を寝かせるために何が最適か?

大急ぎで探した結果が石の飼葉おけだったのです。

その時のマリヤには子どもの命のために全力を尽くす気持ちだけがあり、後悔も不満も何もなかったのでしょうか?

私は、少しはあったと思います!

いえ、人間ならあった方が良いのです。

ストレスを感じる状況の時、悪い面だけ目につきがちですが、良い面もあります。

自分は今、つらさを味わっている、と十分に意識した上で、あえて良い面を見る方を選んでいくこと。

子育てには大変不利な状況の中、そのストレスのせいでマリヤの中には逆に生命力が湧きいで、大切な我が子との結びつきが強められていったのです。

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チャールズ・シュルツ氏によって描かれたスヌーピーの漫画は日本でも広く知られています。

今、その漫画の主人公たちの言葉が日本人の心を癒しているのだそうです。

深い信仰を持ったシュルツ氏のメッセージをスヌーピーが代弁しているからなのかもしれません。

NHKの特集によると、昨年(2014年)、働く未婚女性600人を対象に行われた調査で、最も共感されたのが、気の強い女の子ルーシーとの会話の一節です。

ルーシー
「時々、あなたがどうして犬なんかでいられるか不思議に思うのよ。」

スヌーピー
「配られたカードで勝負するしかないのさ。」

スヌーピー
「それがどんな意味であったとしても。」

「配られたカード」という石の飼葉おけを受け入れ、むしろそこに「赤ちゃんを寝かせる場所があった」と良い意味を作り出していく生き方。

これがストレス満載の現代、そして苦難が尽きない私たちの人生に対して、神が贈るクリスマスプレゼントなのです。

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救い主イエス様は、あなたの心が石のように固く、冷たくあっても、そこに宿って下さる御方です。

神からのプレゼントを心にいただき、これからの人生の方向を定めて参りましょう。

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2015.12.24

今日のみ言葉【No.1202】(2015年12月24日)

この水は東の境に流れて行き、アラバに落ち下り、その水が、よどんだ海にはいると、それは清くなる。
(エゼキエル47:8)

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年間3億人を失明の恐怖から救う抗生物質「イベルメクチン」。

今年(2015年)ノーベル医学・生理学賞を受賞した大村智先生の功績です。

その元となった微生物は、何と静岡県のゴルフ場近くの土壌から採取した土の中にあったというのは驚きです。

今や「イベルメクチン」は胆管がんの抑制にも効果があることが発見され、今後も多くの人間・動物の命を救うことでしょう。

私たちの周りには、まだ現れていないだけで、身近にそっと潜んでいる神の宝物が、あなたに見出されるのを待っているのです。

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エゼキエル書第47章では、神殿から湧き出る水が川となって死海に注がれることが記されています。

「死海」は塩分濃度が30%(海水の10倍)もあり、その名の通り、生き物が存在できない死の湖です。

しかし、エゼキエルが見た未来の時代、神殿から注がれる水によって死海が清くなり、

「この川の流れる所では、すべてのものが生きている」
(エゼキエル47:9)

という状態になるのです。

今、現在、どんなに希望が見えず、見えるのは死の湖だけであったとしても、神の可能性はゴルフ場の土の中に、あるいは、砂漠の真下に眠る原油として、今そこにあります。

「おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。」
(エゼキエル47:9)

という未来は描いて良いのです。

神は最終的勝利を約束してくださっているからです。

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今教会で活躍しているYさんと初めてお会いした時、この人ほどニヒリスティック(虚無的)な人はいるのだろうか、と思ってしまいました。

どんな慰めや励ましや肯定的言葉をかけても、彼女の中に入ると、スッと消え去り、

「ああ、そうですか」

の返答が来るのが関の山。

何の甲斐もなく、全てが無になるような、まさに虚無の世界が私にも感染しそうな感覚を味わいました。

しかし今思えば、毎回、確実に、Yさんの心の中には神のエネルギーが貯蓄されていたのです。

透明なコップならどのくらいまで入ったかわかるので、

「もう少しだな」

と頑張る気も起きるのですが、彼女の場合は中身が見えない大きな湯呑み茶碗のようなものでした。

いくら心に注いでも、内側の状態は見えませんから、諦めたほうが楽に思えだします。

しかし、湯呑み茶碗は、注ぐことをやめないでいると、ある日突然あふれ出します。

透明なコップなら、あふれるまで注いでやめることができますが、湯呑み茶碗は中身が見えないだけに、こちらもどんどん注いでいるので、あふれ出したらしばらくの間は止まりません。

周りが驚いているのを尻目に、彼女はあれよあれよという間にどんどん成長していってしまいました!

命の水は注ぎ続けることが肝心なのだと学んだ時でした。

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神の命の水があなたにも今日注がれています。

死海が命の海に変わる日が備えられていることを信じ、今日も一歩を歩み出しましょう。

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2015.12.22

今日のみ言葉【No.1201】(2015年12月22日)

国の民が、祝い日に主の前に出る時、礼拝のため、北の門の道からはいる者は、南の門の道から出て行き、南の門の道からはいる者は、北の門の道から出て行け。そのはいった門の道からは、帰ってはならない。まっすぐに進んで、出て行かなければならない。
(エゼキエル46:9)

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イスラエル聖地旅行に行った時、幸運にも嘆きの壁の隣の黄金のモスクへ入場することができました。

基本的にそこはイスラム教の学びと礼拝の場所ですので、それ以外の目的の人はいてはいけないことになっています。

また、テロの危険性を排除するため、観光客がうろうろ長時間そこにとどまっていることはできません。

記念写真をささっと撮り終わると、係員から「早く退場しなさい」とばかりに促され、別の門から外へ出て行きました。

ですから、一度見た風景は二度と見ることはできません。

次々と新しい場面を見、そしてそこを去る。

それが岩のドームでの思い出です。

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エゼキエルが示された新しい時代の礼拝では、民は入って来た門に後戻りすることは許されていません。

北の門から入った者は必ず南の門から外へ出ていかなければなりません。逆に南の門から入った人は北の門から出なければなりません。

「そのはいった門の道からは、帰ってはならない」

のです。必ず

「まっすぐに進んで、出て行かなければならない」

のです。

不思議な決まりですが、神の前に礼拝するとは、入ってきた時の自分とは違う、新しい自分となって出ていく、ということなのでしょう。

新しい自分になるためには、後戻りさせようとする勢力を振りきって、まっすぐに進んで、あの門から出るのだとピタリと目標を見定めて歩み切ることが鍵です。

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2015年、日本で開催されたサッカークラブW杯では、バルセロナが異次元の強さを見せて世界一となりました。

メッシ(Messi)、スアレス(Suarez)、ネイマール(Neymar)のMSNトリオが絡み合ったプレーは人々を魅了しました。

変幻自在のドリブルでコース変更をし、難なく相手ゴールに迫るメッシ選手。

また、相手デフェンダーの反則スレスレの妨害をものともせず、気がつけば一直線コースのドリブルで進むネイマール選手。

どちらも目指しているのはゴールネットです。

ゴールを見据えている限り、迷いはありません。

全力が集中できるのは、ゴールセッティングができている時だけです。

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今日という一日に入ったあなたは、最後にどの門から出られますか?

神様が示された最良の祝福の門を見据え、まっすぐにその門から出る歩みをして参りましょう。

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2015.12.21

今日のみ言葉【No.1200】(2015年12月21日)

地の一部を聖なる地所として主にささげよ。
(エゼキエル45:1)

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オーストラリアの教会の青年会のキャンプに参加した時のことです。

「キャンプ場は野鳥のサンクチュアリーの中にあるからいろんな鳥が見られるよ」

と教えられました。

「サンクチュアリー?(sanctuary)」

私の頭の中の単語帳では「聖域」としか言葉が登録されていません。

「野鳥の聖域?」

行ってみて分かりました。オーストラリア自生の鳥のための自然保護区だったのです。

色とりどりの野鳥たちが木々の間を飛び回り、ようやく撮った写真は、今も私のアルバムを彩っています。

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エゼキエル書第45章では、新しい時代の神の民がどう生きるかが記されています。

「地の一部を聖なる地所として主にささげよ。」
(エゼキエル45:1)

あなたのご近所で、敷地の一部に古くから「祠(ほこら)」があるお家はありませんか?

何だか分からないけどたたりを恐れてお祭りをする、などという考えと聖書とは無関係です。

以下の「無傷の雄牛の子」「種を入れぬパン」のように、神のために純粋なものを、他と区別して取っておき、それを捧げなさい、ということです。

「正月の元日に、あなたは無傷の雄牛の子を取って聖所を清めよ。」
(エゼキエル45:18)

「正月の十四日に、あなたがたは過越の祭を祝え。七日の間、種を入れぬパンを食べよ。」
(エゼキエル45:21)

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私たちにとっては、聖書を読み、神の言葉をいただき、祈る、ディボーションの時がそれにあたるのではないでしょうか。

一日の内の一番良い時間を神に捧げると、あなたが周りの人を動かさなくても、周りの人があなたのために回ってくれます。

1週間の内の1日、安息日として神を礼拝し、その日を捧げると、不思議なことに、行かなくてもいいところには行かずに済み、神の守りとは現実にはこういうものか、と実感します。

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あなたの「聖地」とは何ですか?

それを今日も神に捧げる一日として参りましょう。

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