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2016.05.31

今日のみ言葉【No.1297】(2016年 5月31日) 005 「東からきた博士たち」(2)

そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
(マタイ2:11)

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息子さんが交通事故に遭い、緊急で輸血が必要になったご家族がいました。

血液型が合うのはお父さんだけです。

手術の前、お父さんは医師にこう言いました。

「先生、私の血液を1リットルでも2リットルでも輸血に使ってください。全部取っても構いません。どうか息子を助けてください。」

自分にとって大事な存在である息子に、命という最も大事なものを捧げようとするまでのお父さんの思いです。

私たちは最も価値ある存在に対して、自分の一番大切なものを捧げ、その思いを表そうとします。

東からきた博士たちもそうでした。

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博士たちはたった一人の赤子に会うために、すべてを故郷に残し、時間と労力という大きな犠牲を払ってやって来ました。

そして、赤ん坊のイエス様と会ったとき、

「ひれ伏して拝み」

ました。

これは尋常なやり方ではありません。

博士らのこの行為は、彼らがイエス様を見てから王とふさわしいかどうか決めようとしていたのではなく、外見に関わらず、自分たちの王として信じていたことを表しています。

彼らが人生の全てを費やして学び、研究して出した結論が、自分たちの永遠を決める王が星に導かれた先にいる、ということでした。

人生はこの世が全てなのではありません。

死の向こう側にもうひとつの世界があり、そちらこそ本物の永遠の世界なのです。

私たちが意識し、これが全てだと思っている「この世」は、死というドアを開けた先の次の世界をどう生きるかの試験期間にしか過ぎません。

ここで救い主を見出し、永遠を天国の祝福の中で生きる恵みに預かるか、あるいは、この世で作り出した罪の負債を延々と支払わされる永遠の裁きを迎えるか、実は私たちは刻一刻と重大な岐路に立たされながら生きているのです。

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東からきた博士たちは、「この世」という時間ではなく、「永遠」という時間で人生を考えていました。

彼らが捧げた贈り物にその信仰が表されています。

黄金とは王に対する贈り物です。

乳香とは医薬品です。神と人とを結ぶ香りとして神殿で捧げられました。

没薬(もつやく)とは薬、防腐剤です。死者の葬りの時用いられました。

つまり、イエス様は王であり、神であり、そして死に対して権威を持つ御方だ、という信仰を込めた宝物だったのです。

「この方に従っていれば間違いない。たとえ今日、人生の終わりを迎えたとしても、このお方を信頼していれば天国に迎え入れられる」

その喜びにあふれて彼らは礼拝し、感謝をもって贈り物を捧げました。

永遠が保証された人は、この世の生き方が変わります。

もはや守りに入ることはありません。

常に将来に希望を見出し、前進し続け、どこで止められても感謝で終わることができる平安と喜びにあふれるのです。

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Y姉はいわゆる「できた奥様」です。

嫁の務めを果たし、仕事をこなし、子育てをきちんとし…。

しかし、3世代同居の家庭を波風なくおさめることは、自分の思いを殺すことなくしてはできません。

義父母の機嫌を損ねないように先へ先へと配慮し、いつしか操り人形のような人生を送っていることも分からず、ただただ問題を起こさない良い子となるよう、子供たちに無言の圧力をかけていることさえ気づきませんでした。

感受性の強い娘さんが、不登校という形でこの普通でない状態に抵抗を始めました。

それは今でこそそのからくりが理解できますが、その当時は地獄としか思えない状況でした。

Y姉はその中で教会に導かれ、この状況を何とか解決しなければと奔走している自分こそが問題の原因だったのだと気づかされ、唖然としました。

彼女はピタリとイエス様に照準を合わせ、はっきりと罪を認め、その自分の罪を赦して下さるイエス様を心に迎え入れ、信じました。

そして、あれほど大事にしていた自分の今までの生き方を綺麗さっぱり捨てました。

つまり、自分の人生を神様にお捧げしたのです。

その後、様々な紆余曲折はありましたが、ご一家全体が教会に集い、Y姉は謙遜に大胆に自分を表現する生き方をされておられます。

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あなたも、あなたの人生を支配され導かれる王として、また、罪と死から救って下さる救い主としてイエス様を信じませんか?

病や突然の事故におびえる人生から解放され、平安が当たり前となる日常がそこから始まります。

人生の大事な決断を考える一日となさいますように…。

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2016.05.30

今日のみ言葉【No.1296】(2016年 5月30日) 005 「東からきた博士たち」(1)

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
(マタイ2:1-2)

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毎年12月、キリスト教の幼稚園ではクリスマス降誕劇が行われます。

聖書では、黄金・乳香・没薬の贈り物を持ってきたとありますので、3人の博士に扮した園児たちが登場します。

しかし、実際はたった3人の旅人ではなさそうです。

知的で富裕で身分の高い博士たちが高価な贈り物を携えての遠距離の旅ですから、武装した軍隊付き、お世話のお供付きの100人規模の一大旅行団だったであろうと言われています。

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「東からきた博士たち」としか書いてありませんので特定の都市名はわかりませんが、

「東の方でその星を見たので」ということから、当時占星術が盛んだったバグダッドの都からやって来たのだと思われます。

バグダッドからエルサレムまで直線距離にして約900km。大体、東京ー福岡間と同じ距離です。

しかし砂漠の真ん中を通るわけには行きませんので、現在でも車で2000km以上の道のりです。

そのような長く、危険な中をはるばる旅して会いに来るまで、彼らを引きつけた魅力があったのです。

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動画サイトYoutubeにキリスト降誕のシーンがあります。

●映画「ベン・ハー」(1959年版)

https://www.youtube.com/watch?v=SWHeWUzXkeY

ちなみに「ベン・ハー」は来年2017年に新たに作られる予定です。

●予告篇

この「ベン・ハー」の作者ルー・ウォーレスは無神論者で、「キリスト教撲滅論」という本を書こうとして、イエス・キリストなど神ではないという証拠を集めるため、世界中の資料を集めまわりました。

そして、第2章を書き始めたところで、なんと彼はペンを置き、著述を中止しました。

それだけではなく、「わが主よ、わが神よ」とひざまづいて、イエス・キリストに向かって祈りはじめたのです。

キリストを否定しようとして始めた研究でしたが、調べれば調べるほど、十字架で現されたキリストの愛と祈り、そしてあれほど臆病だった弟子たちが短期間弟子をも恐れない殉教者へと変わったことに、何事かを感じざるを得ませんでした。

彼は、キリストが神であるということを否定できなくなっていたのです。

そして「キリスト教撲滅論」を書くつもりが、途中からその本は「ベン・ハー」という不朽の名作に取って代わったのです。

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命をかけてまで会いに行きたくなる魅力がイエス・キリストにはあります。

そのイエス様が、今日、私達と共にいてくださる恵みを味わいつつ、祈りと共に一日を過ごして参りましょう。

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2016.05.28

今日のみ言葉【No.1295】(2016年 5月28日) 004 「女預言者アンナ」(3)

あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
(ルカ15:4)

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私の所には仕事に使えないスマホやタブレットが余っています。

数時間しかバッテリーがもたないもの、SIMカードを認識しなくなったタブレット、過熱して突然シャットダウンしてしまうスマホ等々、捨てるに捨てられずにいます。

24時間年中無休で働いてくれているのは、ガラケーと呼ばれる昔タイプの携帯電話であることは皮肉です。

もしイエス様が来られたら、真っ先に手に取られるのはそのガラケーではなく、放ったらかしにされている困り者のスマホやタブレットたちの方でしょう。

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イエス様に最初に出会った人々は、皆、「規格外」の人たちであったことに私は驚きを隠せません。

「規格外」とは、ほめ言葉ではではなく、消極的意味合いです。

羊飼たち、シメオンとアンナという二人の老人。彼らは世の中の主流からは外れていました。

数に入らない、いてもいなくてもほとんど影響がない人々でした。

次回の「東からきた博士たち」は相当富裕な人々でしたが、彼らはユダヤ人が忌み嫌う外国人であり、しかも、

「わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」
(マタイ2:2)

というところから、占星術をしていたらしいことがわかります。

イスラエルの律法では占いは厳に禁じられています。

そのような「規格外」の人々が、イエス様と最初に出会うように招かれているということは、神の愛のご計画のゆえです。

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あなたは自分が「ダメ人間」だとは思っていませんか?

クリスチャンになっても、「私はダメクリだから…」と自分をお責めになっている方がいらっしゃいます。

様々な失敗があったり、家族とうまく行かなかったり、自分を嫌う人がいたり、教会内でも疎外感を感じたりすれば、

「波風を立てないように何もしないほうが良いのだ」

「私なんかいないほうがいい」

とまで考えが沈むことがあります。

しかし、イエス様が一番最初に会うことを選んだ人は、見捨てられた人たちであり、世の中の基準を十分に満たしている人々ではなかったのです。

「ダメだなあ」と思う人ほど神様の愛に近い。

これが真理なのです。

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イエス様の宣教の第一声は、

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」
(マルコ1:15)

です。

神の愛はあなたが手を伸ばせば届く距離にあります。

もうその時代が到来したのです。

ですから、「ダメだなあ」と思う心を改めて、つまり「悔い改めて」、「私こそ愛される存在なのだ」と「福音を信ぜよ」と言われるイエス様の言葉に従って生き方を変えることが、イエス様との出会いの扉を開きます。

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この私だからこそイエス様は会って下さる。

そう信じて、新しい一歩を踏み出して参りましょう。

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2016.05.27

今日のみ言葉【No.1294】(2016年 5月27日) 004 「女預言者アンナ」(2)

この幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。
(ルカ2:38)

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「平均寿命」とは別に、最近は「健康寿命」という言葉が注目を集めています。

2014年の厚生労働省の発表によると、男性が71.19歳、女性が74.21歳だそうです。

つまり、日本人の平均としてこの年齢まではさほど健康上の問題がなく、まずまず日常生活を送れるということです。

さて、健康寿命と平均寿命の差は、男性で9.02年、女性で12.40年。

ということは、そこから先の期間は介護など人の手助けが必要となる可能性が高くなるということです。

たとえ寝たきり生活となったとしても、最後まで人間らしい生き方をしたと言って天国へ旅立って行きたいものです。

女預言者アンナに見る「老いの過ごし方」は、イエス様に出会った人の晩年の輝きある生き方を示しています。

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「亀の甲より年の功」ということわざがありますが、年を経た老人の役割で最も大事なことは、正しい方向を指し示すことです。

高齢に達し、多くの経験をふまえているからこそ、何が正しく本当のことなのか、また、永遠に変わらない真理を見抜くことが出来ます。

真理をとらえる能力。

これを発揮することが老いたる者の最大の務めなのではないでしょうか。
 
特に女預言者アンナの場合、キリストを指し示すことでその役目を十分に果たしました。

アンナは、

「この幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。」
(ルカ2:38)

とあります。

たとえ肉体的には衰えても、世の光である救い主イエスをいつも変わらぬ確かさで指し示す人は、どんな時でも輝やいているのです。

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教会に来るおばあちゃんたちは、一体何歳になったのか見た目ではわかりません。

ある時から年をとるのが止まったような感じに見えます。

「感謝、感謝」と口ずさみながら、ニコニコ笑って教会での交わりをしておられます。

そのそばで話を聞き、「孫がどうのこうの…」「病院で検査してどうのこうの…」という話題で、ようやくこの方々は高齢者なのだと気づくほどです。

そして若い人たちに自分の救いの体験談や、イエス様の話をする時には、キリッと引き締まった顔でお話しされます。

女預言者アンナは今もあちこちに生きているのだなあ、と思わされる毎日です。

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「真理」を指し示すことを心がけながら、今日の一日、神様に導かれて歩んで参りましょう。

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2016.05.26

今日のみ言葉【No.1293】(2016年 5月26日) 004 「女預言者アンナ」(1)

また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。
(ルカ2:36-37)

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2013年のデータで、日本は平均寿命83歳の世界第2位の長寿国です。

下位はほとんどアフリカで、50歳に満たない国が数カ国あります。

しかし明治の終わりの日本の平均寿命も大体50歳位でした。

医学の進歩で長く生きていられるようになったのです。

イエス様の時代、84歳まで生きていた女預言者アンナは、その点、驚異的な長寿ということができるでしょう。

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彼女はどんな生き方をしていたのでしょう?

「むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、その後やもめぐらしをし」

とありますから、たとえば17歳で結婚したとすれば、その7年後の24歳から84歳までの60年間、未亡人として一人暮らしをしていたことになります。

彼女は肉体的にも精神的にも自立していたのです。

アンナを支える土台となっていたのが、次のような生活です。

「宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。」
(ルカ2:37)

(1)宮を離れない

今で言えば、毎日教会に来るということでしょう。

これは身体を動かすということでもあり、また、人と出会うことで社会的つながりを失わないことでもあります。

(2)断食と祈り

年をとれば食が細くなりますが、あえて食べずに、食事の時間を神への祈りに捧げ、肉の力が衰えたところで霊の力を増し加える作業を彼女は繰り返していました。

このような霊的生活が備えとなって、他の人の目には普通の赤ん坊としか見えなかったイエス様が、彼女の目には待望の救い主だと見えたのです。

アンナは

「非常に年をとっていた」
(ルカ2:36)

にもかかわらず、自分のほうから

「近寄ってきて」
(ルカ2:38)

とあります。

救い主に出会えた喜びは、肉体の衰えを乗り越えさせ、老いた身体を動かすほどのものだったのです。

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60年の一人暮らしの寂しさが、一瞬にして喜びに変えられる出会い。

それがキリストとの出会いです。

私たちにもその出会いが準備されていることを思い、出会いを逃さない確かな歩みを続けて参りましょう。

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