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2017.05.28

今日のみ言葉【講演会休暇のお知らせ】

山形ジョイフルチャーチの丸山芳浩です。いつもみ言葉メールご愛読ありがとうございます。

さて、年に1度の山形市での田中信生師講演会が6月8日(木)に迫って参りました。そこで、5月29日(月)~6月10日(土)の2週間、講演会休暇をいただき、そちらに全力集中させていただきます。再開は6月12日(月)の予定です。

現在の「イエスに出会った人々」シリーズの登場人物は残り数名となりました。次のシリーズは、時間順に並んでいない旧新約聖書を時系列に並び替え、救いのストーリーとして追って行くものを予定しております。

御言葉メールの本『365日 生きていていい!』は6月8日の山形講演会で販売を開始し、予約された皆様には9日以降、送料無料で順次発送されます。もうしばらくお待ち下さい。なお、著者サインを希望された方はもう少し時間がかかります。ご了承下さい。

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※御言葉メールの申込、停止は全て自動でなされます。下記メールアドレスに件名も本文も無い空メールを送信して下さい。

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2017.05.27

今日のみ言葉【No.1540】(2017年 5月27日) 085 「ピラト」(3)

なんの罪も見いだせない。
(ヨハネ18:38,19:4,19:6)

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ピラトは人との関わりは求めませんでしたが、客観的事実を把握する能力には長けていたようです。

僅かな時間の間に、この持ち込まれた問題はユダヤ人の内輪もめであり、ユダヤ教の宗教的教義の違いが対立を生んだ結果らしいと推測しました。

つまり、ローマ帝国に関係するような問題ではないのです。

彼は即座に無罪と判断し、イエス様を釈放しようと何度か試みました。

(1)ユダヤ人への見解報告(18:38)

(2)過越の祭りでの恩赦(18:39〜40)

(3)イエスをむち打って、これで十分と民衆に示した(19:1〜5)

しかし、そのような努力をしたにもかかわらず、効果がないことがわかると、ピラトはこの裁判から手を引こうとしました

「ピラトは彼らに言った、『あなたがたが、この人を引き取って十字架につけるがよい。わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない』」
(ヨハネ19:6)

彼は3回「なんの罪も見いだせない」と言っています。

しかし、感情が論理に勝つことがあるのです。

ピラトは予想もしなかった人々の感情の勢いに、いつしか流されている自分を発見しますが、もはやどうしようもありません。

群衆の言う通り、被告イエスを十字架につけ、暴動になる前に手を打つ、という落とし所で収まるようにせざるを得ませんでした。

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正しいことが通らないで、何年、何十年、時に何百年もそのままであることが世の中にはあります。

イエス・キリストはその中を淡々と歩まれます。

悪に引きこまれ、やっていないことをやっていると言われ、自分が損をするような中で、抵抗もせず、ただひたすら誹謗中傷と悪口の中をあえて選んで行ったのは、それが自分に与えられた使命だと分かっていたからです。

そして事態はどんどん悪くなり、神の御心から遠く離れ、悪が活躍するようになると傍目からは見えますが、実はそれが神が敷かれた真っ直ぐな道であったのです。

聖書を知り、今自分が人生の通り道のどの位置にいるのかを知ることは、あなたの生き方に平安を与えます。

間違っているのではないか、迷っているのではないか、という思いは人の心を消耗させます。

しかし、辺りがどんなに真っ暗でも、今自分は確かにゴールに向かって歩いている、しかも最短距離のルートをたどっていることがわかれば、安心して悲惨な所を通って行くことができます。

なんの罪も見いだせないのだから釈放されるべきだ、というのは人間の単純な考えです。

そこに深い神の御心があり、また、自分が持つべき使命というものがあるのです。

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同じ所にいて、同じ時間を過ごしているのに、ピラトは振り回され、自分の正しさが通らずに困惑していました。

しかしイエス・キリストは、神の正しさのレールの上に乗っていることを確信し、淡々と進んでおられます。

あなたの今日はいかがでしょうか?

真っ直ぐな神の道を歩んでいるという実感を持ちながら、今日の一日をひたすら歩んでいきたいものです。

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2017.05.26

今日のみ言葉【No.1539】(2017年 5月26日) 085 「ピラト」(2)

だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける
(ヨハネ18:37)

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今やクロス(十字架)のアクセサリーは日本で大人気です。

十字架のネックレス、ペンダント、ピアス、ブレスレット、指輪…。

ほとんどの日本人は、これが古代ローマ帝国の死刑の道具であったとは意識していません。

イエス・キリストはこの十字架について死ぬために生まれ、全人類の罪の身代わりとして身を捧げられました。

しかしこのことをクロスのアクセサリーをつけている人に言っても、

「だから何?」「それとこれとは別でしょ」

という答が返ってきそうです。

これが「関わりを断つ」ということなのではないでしょうか。

ピラトはなるべく人格的関わりを避け、事実のみに重点を置く人でした。

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ピラトはイエス様と人格的関わりを持とうとはしません。

ただ単に目の前の「気が乗らないがやらなければならない業務」をできるだけ短時間で能率的に済ませ、仕事から早く解放されたいだけなのです。

ですから、

「あなたは、ユダヤ人の王であるか」(33節) → 「それでは、あなたは王なのだな」(37節)

と矢継ぎ早に質問をし、自分が既に持っているシナリオに合わせようとします。

「被告イエスは自分をユダヤ人の王と自称しただけであって、被告にはその能力もローマに対する反逆の意図も見られない。よって無罪。釈放する」

それは彼にとって一番安全な結論である「何の問題もなし」というものです。

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ユダヤ人、そしてイエス・キリストとの関わりを避けたピラトに対して、イエス様は彼に粘り強く真理を選び取ることを勧めています。

それが

「だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」
(ヨハネ18:37)

というピラトに対する呼びかけです。

人間という生きたものに触れるのを避けるのなら、無生物で客観的な「真理」に触れてみたらどうか、というイエス様からの申し出です。

ピラトを神の救いへと導こうとされているのです。

これは

「あなたは正しさを追求して審理をしている。客観的事実、真理を求めているのではないか。それなら、私の声に耳を傾けてみないか」

という意図が込められているイエス様の言葉なのです。

しかしピラトは真理を選ぼうとはせず、自分の身の安全をとろうとしました。

「真理とは何か」
(ヨハネ18:38)

彼はイエス・キリストの言葉を突っぱねてしまいました。

しかし、そのような人であっても、イエス様は最後の最後までその人の救いのことを気にかけておられるのです。

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イエス・キリストはどんな人でも救おうとされるお方です。

その粘り強い愛の中で養われている今日であることを新たに確認し、一歩一歩進んで参りましょう。

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お申し込みの方法は、下記フォームを参考にして、「米沢興譲教会テープ伝道委員会」まで、電話・ファックス・郵便・メール等でご連絡下さい。

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米沢興譲教会 テープ伝道委員会
(電話)0238-23-6439
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2017.05.25

今日のみ言葉【No.1538】(2017年 5月25日) 085 「ピラト」(1)

イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」。
(ヨハネ18:34)

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ラスベガスのカジノは有名です。

昔のスロットマシンはジャックポットと呼ばれる大当たりの確率が約10648分の1でした。

現代はビデオスロットとなり、その確立は大幅に減って1億3700万分の1。

しかしお客さんは減りません。

それは、絵柄が揃いそうで揃わないというシーンが多発するように設定されているからなのです。

「もう少しで大当たりだった」というシーンで、人間の脳内では「大当たりしたときとほとんど同じ反応」が発生することが研究の結果分かっています。

しかも、プレイヤーは「負けた」というより「勝った」と感じるのだそうです。

全く巧妙な設計です。

総督ピラトはユダヤ人たちの巧妙なやり方によって、イエス様を尋問することとなりました。

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ピラトからは、このみすぼらしいなりをしたイエスというユダヤ人の男を早く釈放し、面倒なことから逃れたいという雰囲気がありありと伝わってきます。

注目すべきことは、33節の「あなたは、ユダヤ人の王であるか」というピラトの質問に対して、イエス様はすぐ答えていないということです。

ポンと飛んで36節でイエス様は「わたしの国はこの世のものではない」と答えています。

33節→36節という流れなら会話が成り立ちます。

ピラト「あなたは、ユダヤ人の王であるか」
イエス「わたしの国はこの世のものではない」

ピラトの質問に答える前、逆にイエス様の方から34節で彼にこう尋ねています。

「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」
(ヨハネ18:34)

実はこれはイエス様のピラトに対する愛の質問です。

イエス様はピラトを一人の人間として気遣っておられるのです。

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イエス・キリストにとって、相手が総督であろうが誰であろうが、一人の人間であることに変わりありません。

この人も救われるべき魂です。

もしピラトが、自分の考えとして「あなたはユダヤ人の王なのですか」と質問しているのだとしたら、イエス様は直ちに彼を神に導くように話されたことでしょう。

しかし、人から聞いたこととして「あなたはユダヤ人の王だそうですね」と関わりを持とうとしないのなら、それに対しては別の対応をなさいます。

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ピラトの反応は

「わたしはユダヤ人なのか」
(ヨハネ18:35)

というものでした。

つまり、「私はユダヤ人ですか?とんでもない、違いますよ。関り合いにしないでくれ」という意味なのです。

そして

「あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」
(ヨハネ18:35)

と続け、「ユダヤ人の間の争いには関わりたくないが役目なのでしょうがない。早く答えろ」と自分の考えを明確に表しました。

これを確認してイエス様は

「わたしの国はこの世のものではない」
(ヨハネ18:36)

とお答えになられたのです。

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イエス・キリストは常に愛の御方です。

この愛に出会い、目の前にし、すっぽりと包まれているのに、ピラトは何も感じません。

感じないどころか、自分の仕事の邪魔になると判断し、その愛を拒み、キリストの関わりを拒否しようとします。

しかし、そのような人も、変わらずに神の愛の中にいることを覚えましょう。

その愛の中に、今日、私たちもいるのです。

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2017.05.24

今日のみ言葉【No.1537】(2017年 5月24日) 084 「ピラトとユダヤ人」(3)

これは、ご自身がどんな死にかたをしようとしているかを示すために言われたイエスの言葉が、成就するためである。
(ヨハネ18:32)

そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。
(マタイ20:19)

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私の鼻の頭には、先日火傷をした跡がまだ残っています。あと1ヶ月もすれば消えるでしょう。

この1ヶ月間、私と会う方々は様々な反応を見せて下さいました。

いきなり、

「先生、ずいぶん小さくなりましたよ。大丈夫ですよ」

と、私自身が全然気にしていないのに、わざわざ教えてくださる方がおられました。

また、一般のお店などで感じたのは、急に事務的対応になることです。

おそらくその方は私の顔を見て、

「何か事情がおありなのだろう。驚いた表情など見せてはいけない」

と瞬間的に考え、身構えるのでしょう。非常に冷静客観的な態度を見せられます。

人の本音とは普段現れないものですが、ある瞬間、フッと現れます。

ピラトやユダヤ人たちの場合、イエス・キリストが現れたことによって、彼らの本音とその正体が表に出てきました。

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自己の保身のために真理よりも妥協を選ぶピラト。

自分たちの利益を確保するために、人を抹殺することを正当化するユダヤ人たち。

自分の野望や思いを果たすために、真理や自分の信条まで曲げて突っ走ろうとする人間の罪がここにあります。

私たちをそのような罪から救うために、イエス・キリストは従順に十字架につき、私たちが受けるべき刑罰を負って下さったのです。

大事なことは、ピラトやアンナスに代表される人々のためにもイエス・キリストは十字架につかれたということです。

「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう」
(ローマ5:10)

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今は「救いの時代」なのです。

「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」
(第2コリント6:2)

イエス・キリストが十字架につき、復活され、天に昇り、そして聖霊がくだって「教会の時代」が始まりました。

この「教会の時代」は恵みの時です。

イエス・キリストを信じるだけで罪のすべてが赦され、永遠の命が与えられ、肉体の死後、天国に行くことが約束されています。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」
(ヨハネ3:16)

この恵みの時は、やがて来るキリストの再臨の時に終了します。

全世界のクリスチャン(つまり教会)が一瞬にして天に引き上げられることが聖書に預言されています。

「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」
(第1テサロニケ4:16〜17)

聖霊もこの時地上から去ります。聖霊の宮であるクリスチャンが地上にいなくなるからです。

ですからこの恵みの時代にイエス・キリストの福音を知った者がするべきことは、ただひたすら自分をゆるすことです。

自分を責めている暇などありません。

ピラトやアンナスでさえも、もしイエス・キリストを自分の罪からの救い主であると告白し、信じたなら、彼らも無条件に救われたのです。

自分の身を痛めつける者たちのためにもキリストは十字架につかれ、彼らを愛し、その命を捧げられました。

この事実に常に立ち返り、罪の刑罰を身代わりに負って下さったキリストの事実に基づき、嫌でも自分をゆるそうと努めることがクリスチャンのなすべき選択です。

心を鬼にしてでも自分をゆるしてください。

全く気持ちが乗らず、義務感からしているな、と感じたとしても、まず自分をゆるすことです。

今は恵みの時代だからです。

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自分を責めることが習慣となって、自分をゆるすこととはどういうことかわからない人は、先輩クリスチャンや教会のリーダー、牧師たちが「しくじり」をした時にどうしているかを参考にしてみるとよいでしょう。

あまり大きな失敗ではなく、「しくじり」と言える程度のものが良いでしょう。

必ず独特の本音がにじみ出たフレーズを発せられます。

以下に私が集めたコレクションの一部を紹介しましょう。

●N先生:「うん、まあ、そういうこともある」
●H先生:「しゃーない、しゃーない」
●A先生:「ん?あ、そう(笑)」

この方々は自分をゆるす達人です。

全くアッという間にゆるし、切り替えて次の仕事に移るので、私などは

「もう少し自分を痛めつけたり責めたり、悔い改めの表情を見せてくれないのかなあ」

と思ってしまうほどです。

しかし、恵みを100%受けて生きるとはこういうことなのかと学ばされます。

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イエス・キリストは、人間の罪と真っ向から対決し、罪を負うお方です。

この方がもたらした恵みの時代を精一杯、全力で生きる今日として参りましょう。

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