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2017.08.31

今日のみ言葉【No.1599】(2017年 8月31日)「 困難を通しての祝福」

ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。
(出エジプト記1:8)

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Jアラートが鳴りました。

戦時中の空襲警報とはこういうものかと思うような体験でした。

このような状況は決して好ましいものではありませんが、困難や試練を通して人間は成長するということも事実です。

イスラエルはエジプトの圧制の下で民族として成長し、統一されていきました。

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アブラハムは「個人」として神の召命を受け、イサクの時代に「家族」となり、ヤコブやヨセフの時代では「部族」へと成長しました。

そして彼らはエジプトで増え広がり、共通の言語・信仰・文化様式を持つ一つの「民族」へとなりつつありました。

いろいろな出来事がありながらも、創世記ではイスラエルは順調に育っていったように見えます。

しかし、出エジプト記で状況は一変します。

「ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った」
(出エジプト記1:8)

かつてエジプトの大飢饉を救った恩人ヨセフの存在は忘れ去られ、イスラエル民族を敵視する王が現れたのです。

イスラエルには厳しい労役が課せられ、彼らは圧迫感の中で過ごさねばならなくなりました。

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私たち人間は自分にとって良いと感じられるものだけを神の祝福と考えがちです。

しかし今までの人生を振り返ってみれば、困難を通して多くの良きものを得てきたのではないでしょうか?

むしろ失敗体験を通してのほうが、強烈に正しい道に導かれたような気がします。

もちろん悪意ある人の行動を野放しにして、されるがままでいいということではありません。

出エジプト記を通して私たちが学ぶべき大事なことの一つは、神はこの上ない苦しみを通して祝福を与えることがあるということです。

そしてそれはイスラエル民族が想像もしていなかった「国家」へと彼らを形作るための一つの階段だったのです。

家族 → 部族 → 民族 → 国家

神のご計画はイスラエルを通して全世界に祝福を与えることです。

その目的のために、彼らは一つの共同体として強くまとまることが必要でした。

その手段として神はエジプトの圧制を用いられたのです。

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困難に出会うと、第1段階では「不平や愚痴」が出てきます。

言ってもどうなるものでもないとわかると、第2段階の「忍耐」のレベルに来ます。

ただひたすら耐えるのです。

さて、次の第3段階から信仰の世界に入ります。

それは「感謝する」というレベルです。

「困難や苦労は祝福の一歩手前である」

「神の大きな御計画の中でこのことが許可されて起きているのであって、やがて最善に導かれる」

そう信じて現在の苦境をしのいでいく生き方です。

同じ耐えながら生きていくことに変わりはありませんが、第3段階の「感謝」では喜びがあります。

すでにそうなったという信仰により、未来の先取りの祝福を味わいながら生きることが出来るからです。

神は試練を与えて私たちを神に近づかせるのです。

困難に直面すると、人間は自分の弱さに気づき、神に祈り、解決を求めます。

やがて99個の不満があっても1個ある感謝に気づき、それを大切な火種として力を得ていく人生を送り出すのです。

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あなたは必ずそう生きることができます。

自分のペースで今日一日を生き、一つの感謝を見つける一日として参りましょう。

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2017.08.30

今日のみ言葉【No.1598】(2017年 8月30日)「 聖書を正しく読む秘訣」

「わたしは、…、あなたを祝福し、…、あなたは祝福の基となるであろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」
(創世記12:2〜3)

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お魚をきれいに食べるとわかりますが、体の中心に太い背骨が走り、そこから細い骨がいくつも出ています。

魚の全体構造を知るには喉に引っかかるような細い骨を研究しても始まりません。

背骨から見ていくと、この小さい変わった骨は何のためにあるのかわかってきます。

聖書も同じで、背骨をしっかり捉えると大筋で間違えることはありません。

それが創世記第12章のアブラハム契約なのです。

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聖書を正しく理解するための一句は何かとまとめれば、今日の聖書個所となります。

アブラハムとの間に神が結んだ契約が、聖書全体を貫くバックボーン(背骨)であり、これが時代を貫いて成就されていきます。

そこから派生して、魚には様々な小骨があります。

聖書で言えば、アブラハムが純粋に神の約束を信じることができずに、サラではなくハガルとの間にイシマエルという子をもうけたことや、自分の身の安全を図ってサラを妹と偽ったこと。

イサクがいけにえとなって殺される寸前だったこと。妻にリベカが選ばれたこと。ヤコブが兄エサウを出し抜いて長子の権利を得たこと。

さらに新約聖書のイエス・キリストの来臨もアブラハム契約を成就するための一つの出来事であったと言っても過言ではありません。

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そして現在の教会の時代、あなたの周りで毎日織りなされる様々な出来事がありますが、それらは魚の小骨の数々です。

それだけを追っていると、本当に喉に引っかかるような思いをすることがあるでしょう。

しかし、歴史全体を流れる太い背骨があることを覚えておくべきです。

「わたしは、…、あなたを祝福し、…、あなたは祝福の基となるであろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」
(創世記12:2〜3)

すなわち、

(1)神はあなたを一方的に祝福されます。

(2)あなたは祝福の発信基地、祝福の基(もとい)となる人生を生きます。

(3)その結果、周囲の人々に祝福が広がります。

ということです。

このアブラハム契約は聖書理解のために第一番目に覚えて置かなければならない大事な約束です。

これをしっかり押さえていれば、誤った聖書の読み方をすることはありません。

新約の時代の今、アブラハム契約はイスラエルのみならず、イエス・キリストを信じる者に受け継がれました。

「野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっている」
(ローマ11:17)

と神に接ぎ木されたと表現される私たちです。

常にイエス・キリストの十字架で罪赦されたと信じる信仰に立ち返ることが祝福を受け継ぐための鍵なのです。

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自分を見失わないためには背骨を見つけることです。

今日も祝福の基となる人生を送らせていただきましょう。

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2017.08.29

今日のみ言葉【No.1597】(2017年 8月29日)「 はばかることなく恵みの御座に近づく」

あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、ほかの神々に仕えていた
(ヨシュア記24:2)

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ジム・キャリー主演のコメディ映画「ブルース・オールマイティ」では、神様に悪態をつくブルースにモーガン・フリーマン扮する神様が現れ、

「お前に全知全能の力を与えるから私の代わりをやってみろ。私はこれからバカンスに出かける」

と言って去って行きます。

ブルースは神の力で自分の欲望を全部かなえられたところまでは良かったのですが、神様の代役ですから世界中の人々の祈りの声が聞こえてきます。

「ああして下さい」「こうして下さい」という願いが耳から離れないので、面倒くさくなった彼はコンピューターの画面で

“Yes to all(全部「はい」)”

をクリックします。

すると全ての人の祈りが同時にかなってしまうので、世の中は大混乱に陥るというワンシーンがあります。

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願いを全て叶えるという神は真の神ではないのです。

しかし人間はこれを追い求め、願いを叶えてくれる存在を作り出し、自分の願いを投影したものを拝みます。

アブラハムの父テラはそのような流れをくむ人であり、アブラハム自身もその環境の中で育ちました。

「あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、ほかの神々に仕えていた」
(ヨシュア記24:2)

神に選ばれる要素は無に等しいのに、彼は選ばれ、祝福の契約を一方的に結ばれたのです。

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クリスチャンホームに生まれたわけではなく、寺の幼稚園に行き、教会には一度も足を運んだことがなく、クリスチャンの友人はゼロ。せっかく入った大学も遊び呆けていたので落第決定の学生がいました。

その人に

「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」
(創世記12:1〜3)

という約束が与えられたとしたら、あなたはどうお考えになるでしょう?

「それはおかしいのではないか」

「神の祝福を与え、重大な使命を託すなら、こんな人ではなく、もっと適した人を選ぶべきではないか」

そう思ってもおかしくありません。当然のことです。

しかしその落第学生が私なのです。

どう考えても祝福をいただく価値のない私が、上から浴びるほどの祝福を与えられ、下からこれでもかと支えられ、立たせていただいているのです。

アブラハムの運命とはこのようなものだったのです。

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ただし、そこには常に訓練が伴います。

神様は夢を与え、また、様々な環境から私たちを分離し、神に従う人生を送らせようとなさいます。

ですから、全てを叶える力のある神を信じているのに、「願いがかなう人生」にはならない時もあります。

しかし、自分が求める祝福は得られずとも、神が与える祝福に満たされた人生を歩むのです。

聖書が示す真の神から遠く離れた生き方を送っていたどころか、全く無縁の自分中心の生き方をしていた時代を忘れないことです。

全く無意味な背景から選ばれ、今を生かされている恵みに常に立ち返ること。

それがあなたの人生を正しい方向に修正する道しるべとなります。

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「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」
(ヘブル4:16)

遠慮せずに神の祝福をいただき、選ばれた者として神のご訓練の今日を過ごして参りましょう。

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2017.08.28

今日のみ言葉【No.1596】(2017年 8月28日)「 あなたのゴセンの地」

わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。
(創世記46:3)

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コクヨという文具会社には自社製品を実際に社員がこう使っているという「ライブオフィス」なるショールームがあります。

長年取り組んだ成果から言える仕事場の理想形は「すし屋のカウンター」だそうです。

「寿司ネタや道具などが整然と置かれ、職人の所作にムダがない。これがコクヨ式の目指す“究極形”となる」
(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO11591250S7A110C1000000 より)

私たちが聖書を読み、祈り、神との霊的交流をする時間にも特定の場所が必要です。

ヤコブをはじめとする初期のイスラエルにとって、それは意外にもエジプトの地ゴセンでした。

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アブラハムにとってエジプトに下ることは誤りでした。

神との関係を強くするために、彼は約束されたカナンの地にとどまることが必要だったのです。

一方、今日の聖句で示されているヤコブに対する神の御心は逆で、エジプトに下ることが神の御心です。

神はエジプトにゴセンの地というエジプト文化から隔離された土地を用意しておられたのです。

ゴセンにはエジプトの王パロ専用の牧場があり、羊飼いをするイスラエルにとっては最上の草が得られる恵まれた土地です。

しかも、エジプト人は羊飼いを自分たちより身分の低い者とみなしていましたから、積極的に交際することはありません。

つまり、ゴセンの地とはエジプトの宗教や異なった価値観に影響されることなく、純粋に自分たちの信仰を強められる最善の土地だったのです。

神との関係を強くするためには、初期の段階で「世と離れた場所」が必要です。

それはその人によって状況が異なりますが、その人ならではの場所というものがあるのです。

神との関係が強められるなら、そこがあなたのカナンでありゴセンなのです。

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現代は教会のメッセージを様々な方法で受け取ることが出来る時代です。

かつては朝早く、夜遅くに流れるラジオ放送に耳を傾けるしかありませんでした。

カセットテープが出てからはそれが一変し、いつでも聞くことが出来るようになりました。

さらに性能の良いCDやMD、そしてWalkmanやiPodで携帯性に優れるようになり、ついにはスマホでそれら全部をカバーできるようになり、しかも音声だけでなく動画でメッセージを視聴できる時代となりました。

必要なのは、あなたに合ったIT機器と、この世から離れた場所です。

車に乗った瞬間にCDからメッセージが流れるようにしているT兄にとって、車で移動している時間が神と共なる時間です。

子育てのすきま時間に、スマホからインターネットでメッセージを聞くS姉にとって、自分のアパートの一室が神のゴセンの地です。

枕元にラジカセを置いて、寝る前にカセットを聞くK姉にとって、寝室が神と共なる部屋です。

アブラハムにはアブラハムの、ヤコブにはヤコブの場所があったように、私たちも私たちに与えられた最善の場所があることを覚えておきましょう。

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あなたならではのゴセンの地を見出す一日として参りましょう。

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2017.08.26

今日のみ言葉【No.1595】(2017年 8月26日)「 自由意志で選ぶ」

アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。
(創世記13:12)

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お恥ずかしい話ですが、この夏受けた健康診断の結果、中性脂肪の値がグンと跳ね上がったので、ホームドクターから

「食事の量を減らし、3ヶ月後に血液検査をして治療方針を決めましょう」

と言われ、現在食事制限中です。

幸か不幸か、家内は元看護師なので食事の度毎に厳しいチェックが入ります。

食べたいものを食べたいだけ食べる…、ということができる時代は終わったのです!

どれをどのくらい、いつ食べるか、自分で選択して食べなければならない年齢となりました。

人間の自由意志で霊的思いと肉的思いのどちらを選ぶか。

それはアブラハムとロトに課せられた神からの試験でした。

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神に選ばれた人たちは、次に自分の自由意志で神の御心を選ぶ場面に出会います。

それは不意に行われる抜き打ち試験のようなものです。

あくまで自然に自分の意志が露わにされ、その結果によって神の祝福を受け継ぐ者が定められていきました。

アブラハムとロトの場合、あまりにも神の祝福が注がれたため、

「その地は彼らをささえて共に住ませることができなかった。彼らの財産が多かったため、共に住めなかったのである」
(創世記13:6)

という事態になりました。

そして下々の者たちの間で小競り合いが起こります。

「アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちの間に争いがあった」
(創世記13:7)

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アブラハムは争いを避けるため、次のような提案をしました。

「どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう」
(創世記13:9)

本来は連れて来るべきではなかったロトと離れる決心をしたのです。

そして、アブラハムは今後の生活のしかたを彼の自由意志に任せました。

この時が二人にとって神の試験だったのです。

神に選ばれた者として祝福の基となることを選ぶか、自分の欲望達成の方を選ぶか。

ロトの目は初めから後者の方を向いていました。

「ロトが目を上げてヨルダンの低地をあまねく見わたすと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったから、ゾアルまで主の園のように、またエジプトの地のように、すみずみまでよく潤っていた」
(創世記13:10)

彼は目に見える豊かな土地を自由意志で選びました。しかしそこには悪名高きソドムとゴモラがあったのです。

アブラハムが得たのは緑潤う低地とは反対側の山地の岩場の方です。

頼るのは神のみの地です。

霊的な人とは最初から霊的能力が優れていたのではありません。

永遠の神との霊的交わりが密接になされ、あるいは強制的にでも頼らざるを得ない状況に追い込まれ、そこで強くされた者が霊的な人となっていくのです。

その分岐点が、霊と肉のどちらを選ぶか、ということなのです。

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さて、

「私はロトの方だなあ…」

と思ったあなたは、すでに神の試験に突入しているということです。

そう思った次の瞬間に、

「だから祝福を失うんだなあ」

と嘆いてため息をついてしまえば、霊の道から外れたことになります。

その時に

「だからイエス様が十字架につかれたんだなあ」

と思うことがアブラハムの祝福を受け継ぐ道なのです。

ロトとはまさしく自分のことで、霊的なものより自分の欲が満たされる都合の良い方を選んで結局は元も子もなくしてしまう自分。

その失われた私を探しだして救うためにイエス・キリストはこの地上に来られました。

「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」
(ルカ19:10)

このイエス様にすがる恵みは旧約時代にはありませんでしたが、新約時代にはあるのです。

ですから、

「すいません、もう私の力ではできません。神様よろしくお願いします」

とイエス・キリストが自分の罪の身代わりとなって十字架で死なれたことを信じ、お任せする時、救いが与えられます。

ただしその後の人生は緑潤う地ではなく、アブラハムのように岩場であるかもしれません。

しかし、神に祈り、神に頼りながら歩む人生となることは確実です。

平安な人生、自分自身を確かに生きていると感じられる人生とはそうやって始まっていくのです。

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今日が神の試験日かもしれません。

あなたの意志でイエス・キリストの赦しを選んでいく一日として参りましょう。

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