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2017.08.03

今日のみ言葉【No.1582】(2017年 8月 3日)「 神とのハーモニー」

彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
(創世記3:8)

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緊急地震速報の音を聞くと嫌な感じがするのは不協和音が使われているからです。

踏切の「カーン、カーン、カーン」という警告音も不協和音の組み合わせです。

不安や警戒感を抱かせるためにあえてハーモニーさせない例です。

神と人との間でこの不快な音が鳴りっぱなしになったのが創世記第3章からです。

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アダムとエバは取ってはならないとされていた善悪を知る木の実を食べ、自分たちは罪を犯したことを知りました。

罪人(つみびと)となった人間が最初にしたことは「隠す」ということでした。

「すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」
(創世記3:7)

神様がやって来た時も、いつものように顔を合わせることができず、彼らは自分の姿を隠しました。

「人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した」
(創世記3:8)

それまでは、神と人とは心地よいハーモニーを生み出す間柄でした。

それは神が人間と会うためにやって来られた時間帯でわかります。

「日の涼しい風の吹くころ」
(創世記3:8)

とは一日の内で最も快適な時だからです。

神は最高の時に、最も良い時間を人間と過ごしたいと願っておられたのです。

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神と人間とのハーモニーは、罪という不協和音によって破られ、それ以降は不調和の関係となりました。

神のかたちに作られた人間は、自分のなすべきことが何であるかを理解し、それを果たそうとする責任感を持っています。

しかし罪とは「やるべきことができずに、やってはならないことをしてしまう」という性質です。

ですから、神の前に出た時の罪人の心には「罪責感」がまとわりつき、人は神の前から身を隠したいと願うのです。

アダムとエバにとって、目の前に現れた神はもはや今までと同じ神の姿とは見えなかったことでしょう。

そこに見えるのは、警告音を鳴り響かせた怒りの神の姿でした。

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この世では、違反をしたり、物を壊す等のことをした時、償いをしなければなりません。

罪は必ず支払いを要求しますから、「お前はまだ未払いだ!いつか必ず払わなければならない!」という警告音が鳴りっぱなしの状態なのです。

しかし、イエス・キリストの十字架は、この不協和音を消し、神と人との間に調和をもたらします。

十字架とは、私たちが払わねばならなかった賠償金をキリストが代わりに自分の命をもって払って下さった事を意味します。

「自分の罪の身代わりとなってキリストは私のために死んでくれたのだ…」

そう信じることにより、神と人間の関係は、不協和音から元の美しい和音に満ちた関係へと変わるのです。

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神と自分との間は不調和であることを隠さず、そこにイエス・キリストをお招きしましょう。

そして、神とハーモニーを奏でる今日として参りましょう。

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