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2017.08.05

今日のみ言葉【No.1584】(2017年 8月 5日)「 人間関係作りの勘所」

「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」
(創世記3:12)

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「責任転嫁という語はもしかして聖書的かも?」と考えたことがありました。

アダムは禁断の木の実を食べた理由をエバのせいにしたので、「責任を嫁に転ずる」となったのでは?という浅はかな発想です。

しかしそれは全く想像の産物で、実際のところ、「嫁」は「よめ」ではなく「嫁(とつ)がせる」という意味で使われています。「よそに移動させる」ということです。

ですから、「責任を自分以外の誰かに移動させる。他人のところに行かせる」というのが本当の意味です。

アダムに始まったこの責任転嫁の行動は、決して人間関係を良いものとはしません。

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善悪を知る木の実を食べたアダムとエバは自分が悪いことをしたと判断できるようになりました。

神のかたちに造られている人間は道徳観念を持っているので、ここにおいて非常に重い気持ちを抱えだします。

それは罪責感です。

自分の罪の償いをしなければならないと知った人間は、この重荷に悩まされるようになりました。

「こうなったのはあなたのせいでしょ!」

と責任を問われ、まさしく自分はその通りのことをしたのだと意識している人間は、この「罪責感(guilty feeling ギルティー・フィーリング)」に耐え切れません。

何とか楽になろうとして、人間は他に身代わりを探し、犠牲者をつくり上げる方法を取りました。

それが「責任転嫁」の方法です。

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神がアダムに

「食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」
(創世記3:11)

と問いただした時、彼は

「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」
(創世記3:12)

と妻エバのせいにしました。

まさに責任転嫁です。

しかも「わたしと一緒にしてくださったあの女」という言葉から、暗に

「神様、あなたが紹介してくれたあの女なのです。あなたにも責任の一端があるのではないですか?」

とでも言いたそうな雰囲気が感じられます。

つぎに神がエバに

「あなたは、なんということをしたのです」
(創世記3:13)

と言うと、彼女は

「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」
(創世記3:13)

と、へびのせいにしました。

このように、神との調和、自分との調和を失った人間は、隣人との調和も壊し、罪の重荷の押し付け合いは人間関係を危機に陥れるのです。

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人間関係を良くする勘所は、人のせいにしないことです。

そうは言っても、相手が悪いとしか思えないのが人間です。

もしあなたがそのような状態でいるなら、どんなに素晴らしい模範解答でも心の中には入って来ません。

人間関係で膠着状態が続いているのなら、相手も自分をも責めずに、一旦神の御手に委ねてみることです。

それは具体的には、責任転嫁をせず、自責の念に悩むことをやめ、

「神のご計画の中に最善があるのだから、感謝して生きます」

と宣言し、今までの生き方を捨てて新しい生き方を選んでいくことです。

そのように見様見真似でも生きてみると、いかに自分が神を信じないで自分を絶対化して生きていたかに気づきます。

神がない人生は自分を信じて生きていくより方法がありません。

そのように生きると、どこかで自分の頼りなさに気づきます。

しかしそれでは生きていけません。

そこで自分を絶対化して、「これでいいのだ」「大丈夫なんだ」と自分で自分に信じこませます。

神無き「大丈夫」の人の特徴は、けなされるとひどく怒ることです。

いつもイライラ、ビクビクして、化けの皮が剥がされないかと恐れて生きているのが実態です。

ですから、まず神との関係を正しく持つ第一歩が必要なのです。

神とつながり、この自分で良しとされている平安の中で「最善となる」と信じることができ、だからこそ人間関係の様々な問題にも対処できるエネルギーが与えられるのです。

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まず神にゆだねてみる。

そこから新たな人生の道が開かれていきます。

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