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2017.08.21

今日のみ言葉【No.1590】(2017年 8月21日)「 神の選びの祝福」

アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。
(創世記12:4)

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「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

これは夏目漱石の『草枕』冒頭の一文です。

この世を生きる難しさは理屈で割り切れないところにあります。

漱石が語る苦労とは、問題を理性的に処理してさっさと平穏を味わいたいのに、そうすると人間関係に角が立って逆の結果になってしまうということであり、かといって情を重んじれば今度はどんどん感情に流されてしまい、肝心の問題解決に至らないということにあります。

そして、知性と感情の次に自分の意志を貫き通そうとすれば、他者の意志とのぶつかり合いとなり、軋轢を感じながら生きることになります。

人との関わりを持たなければ生きていけないこの世とは、そもそも生きること自体が難しい世界なのです。

神から一方的祝福の契約を与えられたアブラハムとて同じです。

彼は神の命令を受けた時、これを理性的に理解し、強い意志を持って長旅に出る決心をしました。

しかし、情の部分では流されたようです。

それは甥のロトを連れて行ったところにあります。

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本来の神の命令は

「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」
(創世記12:1)

でした。

しかし彼は「親族に別れ」の部分では神に従い切れませんでした。

実はアブラハムにはハランという弟がいましたが、その子ロトを残して彼は死んでしまいます。

「ハランは父テラにさきだって、その生れた地、カルデヤのウルで死んだ」
(創世記11:28)

なぜアブラハムが甥のロトを連れて行ったのか、聖書にその理由は記されていません。

しかし、彼の心情はなんとなくでもわかるのではないでしょうか?

理性では「ロトは置いていかなければならない」。感情では「親のない子を置いていくのはかわいそうだ」。

アブラハムの情の方が優先されてしまいました。

信仰の祖と言われるアブラハムですが、最初から100%純粋な信仰を持っていたわけではありません。

アブラハムは完全な人ではなかったのです。

ロトは後に問題を起こします。

これはアブラハムの不従順が蒔いた種です。

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神はこの不完全で不従順なアブラハムを選びました。

一度でも失敗したら見捨てるというのでなく、神は何度もアブラハムが自分で招いた窮地から救い、力づけます。

神の選び、一方的祝福の契約とはそのようなものです。

私たちも神によって選ばれ、愛されています。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである」
(ヨハネ15:16)

どんなに失敗し、無駄なことをし、最短距離ではなく回り道をしたとしても、神は一度選んだあなたを見捨てません。

その神の選びの祝福に目をとめ、もう一度自分自身をやり直すのです。

神は必ず正しい道へと導いてくださいます。

一直線の最短距離だけを歩むのが人生ではありません。

角が立ち、流され、窮屈な中を、しどろもどろになりながら神が照らす道を歩んでいくのです。

そこに人間が求める祝福以上の神の偉大な祝福を得る人生が開かれるのです。

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不完全な私をそのままの姿で選んで下さった神の愛に包まれ、今日も歩み出して参りましょう。

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