Home > 9月, 2017

2017.09.30

今日のみ言葉【No.1614】(2017年 9月30日)「 すでにそうなっている」

見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。
(ヨシュア記6:2)

——————

ジグソーパズルに熱中できるのは、バラバラのピースが必ず完成図のようになるからです。

絶対にそうなります。

ならなければピースをどこかに紛失させた自分のせいです。

ジグソーパズルを完成させるのは自分の能力もさることながら、

「だって買ってきたものを袋を開けて今バラバラにしただけでしょ。組み合わせれば完成しますよ」

という思いだけです。

そうなることが当たり前。

すでにそのようになっている。

それがヨシュアに語られた神の言葉でした。

-*-*-*-*-*-*-

約束の地カナンを目の前にし、イスラエルの民はまずヨルダン川を渡る前に、シホンとオグの町を攻め取りました。

そしてヨルダン川を渡り、エリコの町を攻略するために向かいます。

エリコはパレスチナ地方の中央部に通ずる交通の要衝ですから、イスラエルがカナンの地に広がるためには何としてもこの町を手中に収めなければなりません。

しかし、エリコは難攻不落の堅固な町として知られていました。

神に従う決心をして始めると、簡単な問題から段々難しい応用問題へと徐々に移っていくのではなく、1つ2つの小問の後、いきなり難問に出くわすことがあるのです。

-*-*-*-*-*-*-

そのような場合、自分の力のみを見ていれば「どう考えても無理。できない」という考えしか湧いてきません。

しかし、神が行きなさいと命じたところには神の御計画があります。

主はヨシュアに対してこう言われました。

「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている」
(ヨシュア記6:2)

すでにそうなっているのだから、そういうものとして進みなさい、ということです。

ただし、神の御心の通りに従う時にそれは成就しますから、どんなに自分の考えや思いとはかけ離れていたとしても、その通りにしなければなりません。

ヨシュア記第6章には、イスラエルが神の不思議な命令を忠実に果たした結果、エリコが陥落することが記されています。

人生にはどうしても避けたいことがあります。

しかし、それにチャレンジすることが神の御心だとわかっている場合は葛藤します。

御心であると確信するならば

「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている」
(ヨシュア記6:2)

とヨシュアに語られた神が自分にも語っていると信じ、恐れに打ち勝ち、思い切って行動してみることです。

行動をした人のみが「あれはやはり神の御心だった」と言えるのです。

-*-*-*-*-*-*-

オーストラリアで教会研修をした際、移動のためにバイクを貸してくれた人がいました。

大陸を突っ走る大型バイクだったらどうしようと心配していたら、与えられたのは80ccの小型のバイクでした!

それに乗ってどうしてもある所を訪問しなければなりません。

行く途中、川の上に架っている長い橋を渡らなければならないことに気づきました。

しかもそこは高速道路の一部なので、地元の人から「風が吹くから気をつけてね」と言われていました。

風がビューっと吹く川の上の高速道路を小型バイクで走るとは…!

正直、恐い思いをしました。

行きは良い良い帰りは怖い。

帰りの道はあの橋だけは渡らないようにといろいろ道をたどってみましたが、道に迷うだけで元の地点に戻ります。

どうしてもあの橋は避けられません。

日も暮れ出し、どんどん暗くなっていきます。

意を決してこう祈りました。

「神様、御心の通りにここに来たのですから、あなたが守って下さい。無事に橋を渡ったことを信じます」

そして、「エイ!」と気合を入れ、最短距離でここしか帰る道がないというあの橋をバイクで突っ走りました。

すると、案外スルリと通るものです。

私はすぐに何事もなくホームステイ先に到着していました。

-*-*-*-*-*-*-

すでにそうなっているという神の御言葉が聞こえたなら、素直にチャレンジを始めてみましょう。

御心を求め、御心に従う今日となりますように…。

-*-*-*-*-*-*-
-*-*-*-*-*-*-

●過去記事(バックナンバー)は全て

http://mikotoba.nows.jp/

に保管されていますので、いつでもご自由にお読みいただけます。

2017.09.29

今日のみ言葉【No.1613】(2017年 9月29日)「 信仰の生きた教材」

ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちた人であった。モーセが彼の上に手を置いたからである。
(申命記34:9)

——————

内村鑑三は『後世への最大遺物』という著書の中で、後に続く人たちに対して残せるものは何かを次の4つにまとめています。

まず、(1)お金(2)事業(3)思想、です。

しかし、「金がない。仕事もパッとしない。立派な思想もない」という凡人は何を残せるのでしょうか?

内村はそれは(4)高尚な生涯だと言うのです。

試練の中で勇ましく高尚な生涯を送ったことを子々孫々に見せること。

これが後世への最大遺物だと彼は語ります。

モーセは次世代のリーダーとなるべきヨシュアをそばに置き、自分の生き方や行動を余す所なく見せることで神の意志を存分に彼に伝えました。

-*-*-*-*-*-*-

ヨシュアに関しては、

「若い時からモーセの従者であったヌンの子ヨシュア」
(民数記11:28)

という記述が残されてあります。

彼は早い時期からモーセに付き従い、モーセと神との関わりを間近に見てきました。

ヨシュアにとってモーセは信仰の生きた教材でした。

モーセにとってヨシュアは選ばれた後継者でした。

荒野の40年の生活が終わりを迎え、いよいよ約束の地カナンを目前にし、モーセは自分の人生の最終段階が見えてきました。

今、この時、イスラエルの民に祝福となる運命を確認させ、これから予想される様々な苦難に備えさせるため、神への信頼を強固にさせなければなりません。

「さあどうしようか?」とその時になってあわてて考えたのでは間に合いません。

荒野での40年間、ありのままの生き様を見せ、その姿から学んでいたヨシュアに託すことが最善でした。

モーセはその役目を果たし、イスラエルの民を導く使命はヨシュアに引き継がれました。

あなたが今生きているその姿がそのまま周りの人々への教材となるのです。

それは成功例だけではありません。

むしろ失敗例や、窮地に追い込まれた時に神に全てをお任せする態度が本当に役立つ生きた教材となるのです。

-*-*-*-*-*-*-

私の失敗例を一つ。

20代の頃は経験が乏しいので何でも見通しが甘くなるものです。

田中師を空港に車で送ることになった時、ガイドブックに書かれた通りの「空港まで90分」という数字を鵜呑みにしてしまいました。

しかしそれは万事順調に行った場合の理想の時間であって、途中でもしかして交通事故が起きて渋滞になるかもしれません。工事中で待ち合わせ時間が発生したり、雨が降って全体的に車の流れが遅くなる状況もあり得ます。

想定外の事態が生じても間に合うように余裕を持って出発すべきが、そうはせず、飛行機の出発予定時刻の90分前に車を出し、途中で「あれ、間に合うのか?」と気づきだしました。

焦りに焦りましたが、交通違反をするわけにはいきません。

田中先生はじっと静かに何も言わずに座っておられます。

幸い、車の流れは順調でお天気も良く、ギリギリセーフで間に合いました。

しかし飛行機を利用される方はお分かりのように、出発時刻の30分前には搭乗手続きを済ませておかなければなりません。

すると田中師は、「すいません、乗れますでしょうか?」と平身低頭、頭をペコペコさせて頼み込んだ…、のではなく、堂々と「お願いします」と搭乗券を係員に差し出しました。

空港カウンターの人は一瞬あっけにとられた様子でしたが、乗れることを信じて疑わない雰囲気に圧倒されたのか何なのか、とにかく搭乗できるようにテキパキと手続きをし、離陸直前の飛行機に何事もなかったかのように乗り込み、席につくことができました。

後で田中師の隣に座っていた人が「こんなことは見たことがない。あなたはこの航空会社の役員か、飛行機の専門のエンジニアに違いない」と話しかけて来たそうです。

神を信じるありのままの姿、誰をも責めず、神にゆだね、謙遜に大胆に生きる姿。

その生きている姿が私の生きた信仰の教材となりました。

-*-*-*-*-*-*-

今のありのままの姿でチャレンジすることが、誰かの将来のための財産となります。

精一杯、神の御心を果たす一日として参りましょう。

-*-*-*-*-*-*-

※御言葉メールの申込、停止は全て自動でなされます。下記メールアドレスに件名も本文も無い空メールを送信して下さい。

 ●御言葉メールをお申し込みになりたい方は
   → reg@mikotoba.nows.jp

 ●御言葉メールを停止したい方は
   → del@mikotoba.nows.jp

2017.09.28

今日のみ言葉【No.1612】(2017年 9月28日)「 愛する者を訓練する神」

そのとき、カレブはモーセの前で、民をしずめて言った、「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」。しかし、彼とともにのぼって行った人々は言った、「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです」。
(民数記13:30〜31)

——————

世の中は2種類の人間に分かれます。

「できる」と考える人と「できない」と考える人です。

「できる」と考える人はどうやったら出来るかと考え、「できない」と考える人はなぜできないかその理由を考えます。

同じ脳の使い方でも違うものです。

ヨシュアに率いられて約束の地カナンに入る40年前、イスラエルの民は可能思考か不可能思考のどちらを選ぶかのチャレンジを受けていました。

-*-*-*-*-*-*-

エジプトから脱出した後、神はモーセにカナンの地を偵察に行くよう命ぜられました。

「人をつかわして、わたしがイスラエルの人々に与えるカナンの地を探らせなさい。すなわち、その父祖の部族ごとに、すべて彼らのうちのつかさたる者ひとりずつをつかわしなさい」
(民数記13:2)

その結果、カナンは作物が豊かであることと強そうな先住民がいることの2つが報告されました。

そこでカレブはこう言いました。

「わたしたちはすぐにのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」
(民数記13:30)

神の約束の確かさを信頼し、主にあって「できる」と考えたのです。

しかし、神の力を体験した後であっても半信半疑の者、あるいは神の約束より自分の力を方を確かなものとして信頼する者が多数を占め、

「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません」
(民数記13:31)

という意見が採用されました。

神はどのようになさったでしょう?

神は彼らがまだアブラハムと結んだ祝福の契約を担う強さや力を身に着けていないと判断され、カナンの地ではなく、再び荒野へと送りました。

そしてそこで40年の荒野の訓練の生活をさせ、全てを否定的に見る不可能思考者の集まりから、神に信頼を置いて「できる」と考える可能思考者の群れへとイスラエルの民を変えたのです。

-*-*-*-*-*-*-

荒野の生活は、彼らを神の祝福にふさわしい者とするため、器を大きくするための訓練となりました。

その厳しい訓練の背後に神の愛があることを忘れてはなりません。

「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」
(ヘブル12:6)

祝福の基となるためにイスラエルの民も私たちも神の訓練を受ける時期を通ります。

その真っ最中は嬉しいとも何とも思いません。一刻も早くこの時が過ぎてくれれば…、と願うだけです。

しかしその厳しい時期を通してのみ与えられる平安というものがあるのです。

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる」
(ヘブル12:11)

そして私たちはさらに神を信頼する者へと変えられていくのです。

-*-*-*-*-*-*-

神に信頼を置いて生きるには訓練が必要です。

今日一日の訓練を十分いただき、また明日に向かってチャレンジして行きましょう。

-*-*-*-*-*-*-

※御言葉メールが届かない方へ

ご自分の「迷惑メール設定」を変更し、
maruyama@mikotoba.nows.jp
を受信許可に設定変更して下さいますようお願いいたします。

2017.09.27

今日のみ言葉【No.1611】(2017年 9月27日)「 すべての階のボタンは押されている」

こうして、祭司が彼らのためにあがないをするならば、彼らはゆるされるであろう。
(レビ記4:20)

——————

緊急地震速報が鳴ったら、まずすることは何でしょう?

家にいたら、火を消す、頑丈なテーブルの下に移動する等のことが思い浮かぶでしょう。

ではエレベーターの中にいたらどうでしょう?

防災専門家の答は「すべての階のボタンを押す」です。

するとエレベーターは最寄りの階で止まってドアが開くので、閉じ込められるという事態を防ぎます。

この「すべての階のボタンを押す」ことがイスラエルにとっては贖罪のわざでした。

-*-*-*-*-*-*-

「祝福の基となるぞ!」と決心して進む時、それを妨げるものが2つあります。

人間の弱さと罪です。

人間は不完全ですから、どうしてもその行動は失敗や過失を生みます。

また、悪は現実に存在し、サタンは人間を陥れようと企んでいます。

旧約聖書中のイスラエルも、神に選ばれた契約の民とは言え、同じ状況にありました。

つまり、弱さを持ち、悪から逃げるすべを持っていなかったのです。

彼らが行動すればするほど失敗は増え、罪が増します。

「こうなるなら、あんなことをしなければ良かった…」

「知らなかったとは言え、申し訳ないことをした…」

罪は罪責感を生み出し、人はその重荷を背負うことで精一杯となるので、他人の重荷を背負うことや祝福になることには思いが及ばなくなります。

エレベーターの中に閉じ込められたようになったイスラエルは、神の祝福を他者に及ぼす機能が停止したままになってしまいました。

-*-*-*-*-*-*-

そこで神は「贖罪(しょくざい)」というわざを通して罪の赦しを授け、イスラエルを自由な身としました。

それは牛や羊等の動物のいけにえを捧げ、その命でもって罪が贖(あがな)われたとすることです。

「こうして、祭司が彼らのためにあがないをするならば、彼らはゆるされるであろう」
(レビ記4:20)

贖罪によってイスラエルは罪責感から解放され、再び祝福の基となる道を歩み出すことができるように神はして下さいました。

ただしこれはあくまで道徳的違反や過失の罪に対して当てはまるのであって、故意の罪に対しては適用されません。

動物のいけにえでは不完全だからです。

故意の罪まで全て赦される恵みのわざが達成されるためには、神の子の命という完全な犠牲が捧げられる必要がありました。

私たちはそれがすでに成された恵みの時代に生きています。

キリストの十字架が自分の罪の身代わりの死であり、そのことによって救われると信じるなら、罪の赦しが与えられ、永遠の命が得られるのです。

-*-*-*-*-*-*-

このことがはっきりと示されているのがルカによる福音書第23章39節〜43節です。

キリストの両脇に十字架につけられた二人の重罪人がいました。

彼らは過失でなく故意の罪で刑に処せられ、そのことは本人も確かに認めています。

一人はキリストを罵り続け、悔い改めることはありませんでしたが、もう一人は

「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」
(ルカ23:42)

と、イエス様が救い主であると考えを方向転換し、つまり悔い改めたのです。

その重罪人に対してキリストはこう語られました。

「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」
(ルカ23:43)

これこそ完全な罪の赦しを表した神の言葉に他なりません。

-*-*-*-*-*-*-

あなたはもはや自分を責めたり、せめてもの罪滅ぼしをしたりとの事をする必要がありません。

神の完全ないけにえが捧げられたからです。

すべての階のボタンは押され、あなたの人生のドアは開かれています。

神の約束を信じ、大胆にかつ謙遜に、祝福の基となる今日の一日を生きて参りましょう。

-*-*-*-*-*-*-

※御言葉メールをまとめた書籍『365日 生きていていい!』(税込1500円)は好評発売中です。

ご希望の方は、米沢興譲教会テープ伝道委員会までお問い合わせください。

メール:tapeinfo@kojochurch.com
電 話:0238-23-6439
FAX:0238-23-6440

2017.09.26

今日のみ言葉【No.1610】(2017年 9月26日)「 くつを脱ぐ」

あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である
(ヨシュア記5:15)

——————

現在この「今日のみ言葉メール」は「救いのストーリーを時系列で語る」というシリーズに入って皆様にお届けしています。

聖書の各巻は必ずしも時間順に配置されてはいません。

たとえば、ミカはイザヤの約50年前に活躍した預言者でしたが、旧約聖書ではイザヤ書の方が先に出てきます。

ですから、ページをたどっていくたびに古い記事から新しい記事へと移っていくものだと思って読んでいると、途中で、「あれ?」と感じることが出てきます。

聖書には神の御心を伝えるための編集の意図があるのです。

背後にある大きな流れをつかみ、全体の中の一部分として今日あなたが読む聖書の箇所をとらえていくと理解に迷うことはありません。

モーセの後を継いで指導者となったヨシュアも「あれ?」と思う重大な体験をしました。

-*-*-*-*-*-*-

「ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち、こちらに向かって立っていた」
(ヨシュア記5:13)

とんでもない危機です。ヨシュアを殺そうと思ってきた人でしょうか?

しかしその人は

「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」
(ヨシュア記5:14)

と言い、

「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」
(ヨシュア記5:15)

と命じました。

日本語では「兜(かぶと)を脱ぐ」と言って降参する意味がありますが、イスラエルでくつを脱ぐということは「服従、ゆだねる」ということを意味します。

ヨシュアは言われた通りにしました。

その続きはありません。ヨシュア記第5章はそこで終わります。

神の使いは来た目的を果たしたからです。

-*-*-*-*-*-*-

この場面は、イスラエルが約束の地カナンに入った直後の出来事です。

荒野で彼らを養ったマナも降るのが終わりました。

いよいよ彼らには土地が与えられ、その土地から作物の収穫が得られるからです。

その時が人生の分かれ目なのです。

神から与えられた祝福を自分勝手に使うか、神の祝福の基として生きるために使うか。

ギラリと光る抜身の剣を持った人がヨシュアの前に現れ、

「あなたが立っている所は聖なる所である」
(ヨシュア記5:15)

と言ったのは、この重大な決断を迫るためでした。

神が自分たちに土地という祝福を与えた目的を理解し、御心の通りに使えば、イスラエルの祝福となる運命は保証され、神によって繁栄が約束されます。

なぜなら、神の大きな目的は全世界を祝福することだからです。

そのためにイスラエルは祝福の発信基地として選ばれたのです。

「さあ、ヨシュアよ、どうする?」

ヨシュアはくつを脱ぎ、神にゆだねました。

自分の思いのままに神の祝福を使うのではなく、それを他者と分かち合い、その人がさらに次の祝福の基となる生き方をするという御心に従う生き方を彼は選んだのです。

-*-*-*-*-*-*-

ヨシュアは先祖代々受け継がれた大きな流れの中で神の約束を理解し、現実の自分の一大事に過ちなく対処することができました。

私たちは抜身の剣を持った人に出会うことはないでしょうが、今日同じような場面に出会うかもしれません。

私たちの第一歩は、与えられた祝福を他者と分かち合うことです。

それはあなたがもらったギフトやプレゼントが全部没収されることではありません。

当然あなたのために使って良いのです。

お菓子でも野菜でも何でも構いません。それを無理することなく他者と分かち合い、祝福を共に味わうこと。

それが初めの一歩となるのではないでしょうか。

その一歩を踏み出した人には、神は祝福を与え、次の二歩目を示して下さることでしょう。

そうやって私たちはさらに大きな祝福を世にもたらす者として生かされていくのです。

-*-*-*-*-*-*-

神の大きな目的の中で今日のひとつの出来事が起こされます。

祝福となる運命を選択し、その一事に励んで参りましょう。

-*-*-*-*-*-*-

※御言葉メールの申込、停止は全て自動でなされます。下記メールアドレスに件名も本文も無い空メールを送信して下さい。

 ●御言葉メールをお申し込みになりたい方は
   → reg@mikotoba.nows.jp

 ●御言葉メールを停止したい方は
   → del@mikotoba.nows.jp

Next »