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2017.10.31

今日のみ言葉【No.1639】(2017年10月31日)「 暗黒の夜は終わる」

金銀の器は合わせて五千四百六十九あったが、セシバザルは捕囚を連れてバビロンからエルサレムに上った時、これらのものをことごとく携えて上った。
(エズラ記1:11)

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11月4日に福島大笹生ICと米沢北ICを結ぶ無料の高速道路が開通します。

冬期間、難所の栗子峠をいくつものトンネルを通らねばならなかったのが、今度は1本のトンネルだけで雪を心配せずに走ることができます。

ただしこのトンネルは約9kmと長いので、トンネルが苦手な人にはチャレンジかもしれません。

しかし最新設備のトンネルです。

ここから必ず出られますよ、そう造ってありますよという保証があるので安心していられます。

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イスラエルの民がバビロンに捕囚されていた時期は、暗黒のトンネルの中を通らされた時でした。

神はそこに預言者の言葉という照明を与え、この長いトンネルを通ることができるようにして下さいました。

今日の聖句のエズラ記第1章11節は、トンネルを抜け出た瞬間に与えられる輝かしい太陽を見るような箇所です。

彼らはみすぼらしい格好で無一文で追い出されたのではなく、金銀が豊富に与えられ、周囲の人々の協力の中でエルサレムに帰還したことが記録されています。

苦難のトンネルには必ず終わりがあるのです。

そしてその時には思いもかけないような栄光と祝福が待っていることを聖書は語っています。

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さて私たちが味わう苦難とは、同じように照明がないトンネルのようなものです。

真っ暗闇の中を人の声を頼りに、そして自分が今まで得てきた光を大事に使って進む日々が続きます。

この苦難のトンネルの特徴は長さが定まっていないことです。

いつまでこの状態が続くのかわからず、延々と、ずっとこのまま暗闇の中で生きるのかと絶望したくなる中を、気持ちを奮い起こして歩いて行きます。

トンネルには出るための基準があるのです。

あなたが苦難の中でもがく時、いつしか本物の実力を身につけるようになっています。

そうしたらすでに出ているのです。

苦難の中、神の御言葉を聞き、希望のともしびを自分でつけられるようになった時、もうそこは暗黒のトンネルではなくなるのです。

それからは、あの暗闇の時代は何だったのかと思うほどの光の中を歩む人生が待っています。

神が私たちに苦難のトンネルを通らされる時、そこにはなにか目的があるのだと目を凝らして見てみましょう。

まず見えることはありません。

見えない中にあって、目に見えない神の御言葉に信頼する力を神は養おうとなさっているのです。

我力が奪われた時こそチャンスです。

その時が神の御手に移る絶好の瞬間だからです。

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暗黒の夜の次には必ず朝が来ます。

しっかりと今実力を磨く時として参りましょう。

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2017.10.30

今日のみ言葉【No.1638】(2017年10月30日)「 神の審判」

あなたがたは刑罰の日がきたなら、何をしようとするのか。大風が遠くから来るとき、何をしようとするのか。あなたがたはのがれていって、だれに助けを求めようとするのか。また、どこにあなたがたの富を残そうとするのか。
(イザヤ10:3)

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中高年を過ぎると男女共に出てくるのが尿トラブルです。

特に尿もれや夜間の頻尿は生活の質に直結する問題です。

人知れずそのような症状に悩む人が泌尿器科に行っても、こちらが期待するほどの懇切丁寧な対応はまず無いと思った方が良いでしょう。

なぜなら医者は命を救うことを第一としているので、優先順位はガンかどうか。そして尿が出ないと人間は死んでしまうので、その点はどうかに注意が向けられるからです。

そこで多くの人は早めに何回もトイレに行くという予防手段を講じますが、実はこれがなおさら症状を進ませるのだそうです。

正解は「できるだけ貯める」そして「お尻の穴を引き締める」です。

詳細はNHKの健康番組「ガッテン!」のサイトでお確かめください。
(http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20161019/index.html)

4週間で多くの人に効果が現れ、3か月で症状の改善が期待できます。

後は「やるか、やらないか」です。

神の審判の預言に対しても同じです。

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旧約聖書が読みにくく、とっつきにくいのは、まず私たち日本人が遠い中東の国イスラエルの歴史を知らないからです。

と同時に、今日の聖句のような恐ろしい裁きの記述が至るところに現れるので、読むのに抵抗を感じることも大いにあります。

なぜ神はこのような審判を下すのでしょうか?

善人も悪人も皆死んだら自動的に天国に行ってワイワイ仲良くやればいいのではないでしょうか?

しかし、甘やかしがどんなに人をダメにするかは、あなたもこの世の多くの例を見てお分かりのことでしょう。

神はスパッとある所で線を引き、断罪なさいます。

正義を守り、少数者の悪が多数の者の祝福を奪うことを許しません。

神の裁きには、もうそれ以上悔い改めのチャンスが残されないという否定的側面と命を守るという肯定的面があるのです。

神は愛するがゆえに裁かれます。

神の審判は必ずあること。終わりの裁きの日は必ず来ること。

それを知って今日どう生きるか。

その選択があなたの未来を決めます。

「神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう」
(ローマ11:22)

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「恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい」
(ピリピ2:12)

神の愛ゆえの裁きを受け入れ、今日も神に畏敬の念を持って慎み深く生きて参りましょう。

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2017.10.28

今日のみ言葉【No.1637】(2017年10月28日)「ここで祝福となる」

わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。
(エレミヤ29:7)

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『置かれた場所で咲きなさい』は渡辺和子先生の名著です。

本の内容紹介にはこうあります。

「時間の使い方は、そのままいのちの使い方です。自らが咲く努力を忘れてはなりません。雨の日、風の日、どうしても咲けないときは根を下へ下へと伸ばしましょう。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるように。」

今置かれた所は神から与えられた私の居場所で、ここで私が今花を咲かせることができなくとも良い、次に咲く花のために根を深く下ろすことが私の役目、と目が開かれればそこは天国の直営所となります。

バビロン捕囚の民も、今いるその土地で祝福となるようにと神から命じられていました。

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神は霊的にも倫理的にも堕落した状態にあったイスラエルの民を裁き、新たに清められた民として生まれ変わらせようとされました。

そのために、「審判の霊と滅亡の霊」という表現で表される苦しみを与えると宣言されました。

「そして主が審判の霊と滅亡の霊とをもって、シオンの娘らの汚れを洗い、エルサレムの血をその中から除き去られるとき、シオンに残る者、エルサレムにとどまる者、すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は聖なる者ととなえられる」
(イザヤ4:4)

また、

「わたしはまた、わが手をあなたに向け、あなたのかすを灰汁で溶かすように溶かし去り、あなたの混ざり物をすべて取り除く」
(イザヤ1:25)

とあるように、不純物が取り除かれた純粋な「残りの民」の存在を預言しました。

そして実際バビロン捕囚になった時、すぐに故国へ帰還することはできないからここで祝福となり、置かれた場所で咲きましょうと言った者が正しい預言者となり、いやすぐにでも帰れる、と悔い改めなしのメッセージを語り、神の御心を正しく捉えなかったものが偽預言者となりました。

神の回復の約束は必ず果たされます。

しかしその前に、苦難を通らされる時、その苦難自身が持っている目的が達成されて初めてその中を通り抜けられるのです。

イスラエルの民の場合、それは彼らが神に心を向け直し、清められることでした。

そしてその後の花咲く時代のために、今は信仰の井戸を深く掘り、後になって命の清水を豊かにまくことができるようにすることがその時代の過ごし方だったのです。

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今あなたがどんな状況の中にいようとも、天を見上げる者には神は祝福を与えてくださいます。

その祝福はあなたが望むものとは一致しないかもしれません。

しかし、置かれた場所で精一杯、あなたなりに祝福となっていこうと決心する時、神は必ずあなたが分かる方法で御手の働きを示してくださいます。

あなたの周りの平安を祈り、ここで祝福となる、と決めて一歩踏み出す一日として参りましょう。

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2017.10.27

今日のみ言葉【No.1636】(2017年10月27日)「 朝日を見る選択」

しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。
(哀歌3:21-24)

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太陽が西から昇ると思い込んでずっと西の方ばかり見ていれば、意に反して沈みゆく太陽ばかり見ることになります。

すると、

「なぜ一度も太陽は昇らないのか。なぜ自分の思い通りに人生は進まないのか」

という果てしない疑問の繰り返しの日々となります。

クルリと向きを変えて東の方を見ればよいのです。

「まさかそんなことがあるはずがない。ただの偶然だ」

と思っても、昇る太陽を毎日見るようになります。

神の言葉を受け入れ、信じて生きるとはそのような生き方です。

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旧約聖書の「哀歌」はその題名のごとく悲しい調べの詩文です。

アブラハム、モーセ、ダビデを通して登りつめた栄光から落ち、ついには国まで無くなり、人々はバビロンへ連れて行かれ、捕囚の身となりました。

哀歌は捕囚の初期に書かれたと言われています。

そしてそのヘブル語の原題は「ああ、なにゆえ」です。

まさに毎日夕焼けとその後の暗い夜空ばかり見せられる日々です。

しかし、朝日は必ずあるのだからそちらを見よと預言者は語りました。

「しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。わが魂は言う、『主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む』と」
(哀歌3:21-24)

冬は終わり、必ず春が来る希望が語られています。

そちらに焦点を合わせて見るのです。

ちょっと考えれば分かるとおり、日の出と日の入りは毎日必ず起こります。

どちらを見るかの選択です。それが人生を変えます。

バビロン捕囚の民は朝日を見る方を選択しました。

それがその後の70年間の苦労を耐え忍ぶ力となったのです。

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W姉は夫の病気と家の問題で苦しんでいました。

心の奥底に「不安」という二文字がクッキリと刻まれ、彼女は

「私一人が頑張らなければならない」

という思い込みを持ってとにかくその日を過ごしていました。

「辛いよ、神様。切ないよ、神様」

という祈りの毎日。

彼女はディボーションに導かれ、神の御言葉にすがらざるを得ませんでした。

それがW姉にとって「東の方に向きを変えて朝日を見る選択」だったのです。

ようやく葛藤の日々が過ぎ去ろうとしていた時、彼女はふと自分からあるものが削ぎ落とされていることに気づかされました。

それはプライドでした。

プライドがあった時、人に認められないと、寂しさを感じました。

プライドがあった時、自分の思うようにならないと、辛さを感じました。

しかしその余計なものがなくなった時、彼女の心の中に

「人生最後まで成長できる。どんな状況も感謝に変えられる人生の実力者になりたい」

という希望が湧き上ってきたのです。

神はW姉の心の中に真の朝日を昇らせて下さいました。

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昇る太陽を見るとは、神は愛であると信じる選択をすることです。

顔を東に向けて、朝日を浴びる毎日として参りましょう。

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2017.10.26

今日のみ言葉【No.1635】(2017年10月26日)「 霊的地動説」

主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
(エレミヤ29:10-11)

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「地球の周りを太陽が回っている」

とする天動説を信じている人が今でもいたら、私たちは

「可哀想に…。どうかしているのではないか?」

と心配します。

その人は特に自己中心的わがままな性格ではないのですが、自分を中心に物事を見ているので太陽が地球の周りを回っているとしか思えません。

しかし私たちはコペルニクスが唱えた

「地球のほうが太陽の周りを回っている」

という地動説が真理だと知っています。

このように物の見方が180度変わることをコペルニクス的転回と言います。

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現代に生きる私たちの場合、相対性理論を唱えたアインシュタインがこのコペルニクスに当たるでしょう。

時間は一定に進む。それは誰でも同じだという常識を彼は覆し、人によって時間の進み方に違いがあり、速く動いている人の時間の進み方は遅くなると証明しました。

とてもそんなことは信じられないという人は、まだ天動説側にいる人のようなものですから

「可哀想に…。どうかしているのではないか?」

と心配される方に立っていることになります。

実際あなたはカーナビやスマホの地図機能のお世話になってはいませんか?

あれはGPS衛星の電波をキャッチして自分の位置を割り出しているのですが、地球上空を高速で回っている衛星は時間の進み方が遅くなるので、相対性理論による時間差を計算して正確な位置を出しています。

自分の感覚ではとてもそうとは感じられず、むしろその逆だと思いながらも、真理は真理として受け入れていく姿勢が正しいのです。

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バビロン捕囚の時代、イスラエルの民は自分たちの否定的境遇を説明するために

「なぜこんなことになってしまったのか?」

の解釈を様々考えました。

・イスラエルの神よりバビロンの神々のほうが強いのだ

・先祖の罰を我々が代わりに受けているのだ

・神は我々を見捨てたのだ

これに対して預言者たちは、神が人間を見捨てたのではなく人間のほうが神を見捨てたのだと説きました。

「しかしあなたがたは、『主のおこないは正しくない』と言う。イスラエルの家よ、聞け。わたしのおこないは正しくないのか。正しくないのは、あなたがたのおこないではないか」
(エゼキエル18:25)

神は決して人間を見放してはいません。

神は常に反逆する者がご自身の御手の中に帰ってくるのを待っておられるのです。

神は愛ゆえに裁かれ、民はバビロンで70年を過ごさなければなりません。

しかし、神のご計画とお約束は不変なのです。

「主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」
(エレミヤ29:10-11)

自分の感覚では、神に見捨てられた。

しかしそこにコペルニク的転回を持って来なければなりません。

自分を中心としてものを見る見方から、神を中心としてものを見る見方へ強制的にチェンジするのです。

なぜなら、自己中心では今の現実も未来も正しく捉えられないからです。

神は私を見捨てず、平安と将来と希望を与えるご計画を果たそうとしておられる。

これが霊的地動説であり、霊的相対性理論なのです。

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自分が動かなくてすむように回そうとする人生から、自分が神に振り回される人生へ。

実はそこに祝福が備えられた道があるのです。

今日も想定外の出来事に振り回されるかもしれません。

しかしそこに神の不変のご計画があることを信じ、振り回される中に御心を見出す一日として参りましょう。

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※御言葉メールをまとめた書籍『365日 生きていていい!』(税込1500円)は好評発売中です。

ご希望の方は、米沢興譲教会テープ伝道委員会までお問い合わせください。

メール:tapeinfo@kojochurch.com
電 話:0238-23-6439
FAX:0238-23-6440

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