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2017.12.29

今日のみ言葉【年末年始休暇のお知らせ】

山形ジョイフルチャーチの丸山芳浩です。いつもみ言葉メールご愛読ありがとうございます。

皆様のお祈りに支えられて今年もここまで続けることが出来ました。感謝いたします。

さて、年末年始休暇をいただきます。期間は、12月30日(土)~1月8日(月)です。1月9日(火)から再開する予定です。

寒い折り、皆様お体をご自愛下さい。

なお、過去記事(バックナンバー)は全て

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今日のみ言葉【No.1678】(2017年12月29日)「 新しい時代に備える」

わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。
(ヨハネ10:16)

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オーストラリアに行った時、一番衝撃的だった出来事は、

「明日できることをなぜ今日やるのだ?」

と言われて、仕事を止められた時です。

私は一瞬何を言われているのかわかりませんでした。

なぜならそれまで日本で言われてきたことは、

「今日できることをなぜ明日やろうとするのだ!」

ということだったからです。

あれから25年。

「過労死」の英訳がそのまま「KAROSHI」と辞書に載っているほど働き過ぎの日本人の意識が変わろうとしています。

これからは、強制的に働かせられないと分かって安心した人たちが生き生きと働き出す時代がやって来ます。

そこまで行くには、意識の変革のために長期の時間が必要です。

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ユダヤ人以外の異邦人にもキリストの福音が適用されると弟子たちが真に理解するまで、同じように時間がかかりました。

実はすでにイエス様はその真理を伝えていました。

「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」
(ヨハネ10:16)

そのことを、善きサマリヤ人のたとえ話(ルカ10章)で分かりやすく話され、また実際にサマリヤの女との対話(ヨハネ4章)によって弟子たちの目に見せておられました。

このように、神はどんな人も愛し、救いはどの人にも与えられると教えられていたにもかかわらず、弟子たちの固い心はキリストのメッセージを十分には理解せず、自分たちの仲間でない異邦人・外国人も救われるという良き知らせを受け入れていなかったことが次の聖句によってわかります。

「さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった」
(使徒11:19)

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自分の身を振り返っても同じようなものです。

「あの人だけは救われない」

「どうせ言ってもわかるはずがない」

「他宗教の人は教会には来ない」

このような固定観念に縛られていると、新しい時代の波に乗ることはできません。

これらは

「どんな人も信じるだけで救われる」

「聖霊が心を照らして下されば神の真理は一瞬にして理解できる」

「魂の飢え渇きがある人ほど純粋な命の清水(キリストの福音)を受け入れるはず」

と考えを変えなければなりません。

そこに至るまでには弟子たちと同じように時間がかかります。

しかし、神は求めてくる者に与えようとされる御方です。

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」
(ルカ11:9)

「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」
(ルカ11:13)

聖霊の導きに従い、自分を変えていただこうと進んで身を委ねる人に聖霊は働いてくださるのです。

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時代は日々刻々と変わります。

神に求め、聖霊の働きにゆだね、キリストの福音に生きる新しい年として参りましょう。

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2017.12.28

今日のみ言葉【No.1677】(2017年12月28日)「 愛の横糸」

そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
(使徒2:42)

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中島みゆきさんの『糸』という歌は、世代に関係なく広くカラオケで歌われている人気の曲です。

「縦の糸はあなた 横の糸は私」

「織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない」

知人の結婚を祝うために作られた歌だそうですが、愛で結ばれた関係はやがて誰かをその愛で暖めうるという希望が感じられます。

人間が人との暖かい交流によって力づけられるのは時代に関係なく同じです。

初代教会においてはまさにそれが彼らを支えるものとなっていました。

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イエス様は人のかたちをした神ですが、人間として生きられたので、私たちと同じように人との交わりを必要とされました。

「イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた」
(ヨハネ11:5)

ベタニヤでの親しい友と過ごす時間はイエス様を元気づけたのです。

父なる神との関係を強くしさえすればよいという考え方もありますが、現実の神の御心はそれだけではないようです。

神は人間と人間との間の横の交わりを与えられ、集まれ、集え、と奨励しています。

「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」
(ヘブル10:25)

ここに教会が存在する目的のひとつがあります。

父なる神様との縦の関係、そして、クリスチャン同士の交わりという横の関係。

この縦糸と横糸とで織りなされた布が信仰生活であり、人を暖め、力づけるものとなるのです。

初代教会のクリスチャンたちが迫害という試練にめげずに御言葉を宣べ伝えていった原動力はもちろん聖霊の力です。

それに加えて

「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた」
(使徒2:42)

という愛の交わりが彼らに力を与えていたのです。

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戦後まもなくの頃のお話です。

鉄道自殺を図ったI姉は未遂に終わり、一命を取りとめましたが身体に大きな障害を持つ身となりました。

その話を伝え聞いた教会の牧師は、I姉を訪問し、キリストの救いを説きました。

子供の頃、日曜学校に行き、楽しい思い出と共に蒔かれていた御言葉の種が芽を吹き出し、彼女はまもなく洗礼を受けてクリスチャンとなりました。

I姉は後に証しでこう語っておられます。

「死ぬことが一番良いことだと思っていたが、イエス様を信じて、死をとどめてくださって、『生きていくんだよ』とイエス様が直接私に話しかけてこられたような気持ちになった」

「イエス様からそう言われたら、『私は死ぬことできないんだなあ』と思って、今度は生きることを考えて、一生懸命になった」

牧師の訪問、そして教会員の祈りによって彼女は支えられました。

また、教会のある人はリヤカーを引いてI姉を乗せ、送り迎えしたこともあったそうです。

説教中は真剣なお顔で御言葉に耳を傾け、礼拝後はニコニコした笑顔で皆さんと話し、共に祈り祈られ、そして帰りにはおんぶしてもらって車の中に乗り込むI姉の姿が今でも思い浮かびます。

彼女は存在しているだけでキリストを証ししていました。

神への祈り、そして人との交わりによって強められたI姉は、長寿を保ち、天に凱旋されました。

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人は人との交わりによって力づけられます。

祈り祈られ、愛の交わりを持つ一日として参りましょう。

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2017.12.27

今日のみ言葉【No.1676】(2017年12月27日)「 痛みから生まれる豊かさ」

さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。
(使徒8:4)

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アメリカのロサンゼルスで生活を始めた時、意外に思ったのは、人々から

「あなたは何をしに来たのか?」

という質問を繰り返し受けたことです。

私の中では「伝道と勉強のため」とはっきりしているのですが、そこに住んでいる人たちから見れば私は「得体の知れない外国人」ですから当然です。

迫害で散らされていった初代クリスチャンたちも同じだったことでしょう。

「あなたは何をしに来たのか?」という問いに対して、彼らは自然に伝道することができたのです。

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エルサレムでの大迫害を逃れた人々は、各地でひっそりと隠れて生活していたかというとそうではありません。

「散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」
(使徒8:4)

とあるように、何事もなかったかのようにイエス・キリストの福音を宣べ伝えました。

考えてみれば、彼らは土地も財産も失った「難民」のはずです。

つまり、損失と傷を負った人たちです。

しかし、人生のマイナスはプラスに転じます。

それは、「痛み」という共通部分で人とつながりが持てるからです。

どんな人にも「痛み」の部分があります。

それが精神的苦痛にせよ肉体的ハンディにせよ、人は同じ痛みを持った人に共感し、その痛みを和らげてあげようとします。

それが人の痛みを自分の痛みとすることであり、

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」
(ローマ12:15)

という御言葉が実現する時なのです。

人間関係は人と共感する毎に深まります。

何かを失うことは、別の多くのものを得させていただけるチャンスとして神は用意しておられるのです。

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私事で恐縮ですが、自分の病気や身体のマイナス部分について書いてみます。

永久歯が出る頃、偏食だったのでカルシウム不足で私の前歯はギザギザです。

子供の頃から間違いなくうつ病でした。今もきちんとお薬を飲んでいます。

「このまま何もしなければ10年後の生存確率50%です」と言われた睡眠時無呼吸症候群の重症患者です。

腰痛持ちで、用心していても冬の初めは寝込みます。

視力0.02のド近眼の上に乱視で、最近は老眼です。

認知症も加わったのか(?)老眼用のメガネをどこに置いたのか忘れるので、格安メガネを3つ買って各部屋に置いています。

これらにプラスして私は引きこもりです。3日間家から一歩も外に出なくても問題ありません。むしろホッと安心して過ごせます。

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さて、振り返ってみると、これらのことで私の人間関係は飛躍的に広くなり、しかも浅いお付き合いでなく深いつながりを持ったものとなりました。

まず、病気つながりで一瞬にして人間関係が結べるのには驚きます。

「あなたも!」

「ええ、私もです。苦労してます」

これで同じ戦いをしている味方同士ということになり、人付き合いの垣根が取れたことが数限りなくあります。

また、引きこもりなのでめったに外出はしません。

その結果、

「いつ行っても先生がおられるから安心だ」

と教会員から言われ、たまに一般向けの講師として出向く時には

「地元密着型の活動をされ、地域の発展のために貢献しておられる」

という講師紹介をされるようになりました。

あれあれ、私のほうがびっくりです。

人生のマイナスと見える部分には本当に苦しめられ、なんとかそれを無きものとしようと格闘し、疲れ果て、諦めるほかないと思うものです。

しかし、それらは神にあって無尽蔵のプラスへと変えていただけることを私は実感しています。

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神の御手に委ねる時、やがて全てが輝き出す時がやって来ます。

今日の一日のひとつひとつを神の御手にお任せして参りましょう。

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2017.12.26

今日のみ言葉【No.1675】(2017年12月26日)「 苦難を喜ぶ」

その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。
(使徒8:1)

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「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」

と詠むであろうと言われた織田信長は、有無を言わせず自分への対抗勢力を次々と打ち倒してきました。

仏寺の勢力を抑制しようとした比叡山の焼き討ちはその代表的例です。

逆にそのお陰でキリスト教の宣教師たちは厚遇されました。

京都に南蛮寺(なんばんじ)と呼ばれる礼拝堂が建設されたのはその時期です。

しかしまもなく、豊臣秀吉のバテレン追放令により迫害の時代がやってきます。

「この追放令の動機については,さまざまな説がありますが,一つには,キリシタン信者の団結が一向一揆と同様に専制権力にとって脅威となるために発せられたと言われており,これによって京都市中の宣教師は追放され,南蛮寺は破壊されました。」
(京都市歴史資料館より https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka16.html)

キリスト教の歴史に迫害はつきものです。

初代教会も大規模な迫害にさらされ、信者たちは皆エルサレムから逃げ出さねばなりませんでした。

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イエス様はその迫害を事前に予告しておられました。

「人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう」
(マタイ10:17-18)

しかし、そこには神の目的があるとも述べておられます。

「それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである」
(マタイ10:18)

歴史を見るとそのとおりになっています。

ペンテコステの日以来、爆発的に増えたクリスチャンたちたちに対して、権力者側・体制側につく人々が恐れを抱きます。

最初は懲らしめと脅し程度でしたが、そんなことでは収まらない勢いに、ついにステパノの捕縛と殉教の死という事態になります。

それを機に大迫害が起こりました。

「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った」
(使徒8:1)

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思いもよらない試練に出会うと、クリスチャンとて弱音が出ます。

「なぜこんなことが!」
「祈りはきかれないのか?」
「あぁ…、(ため息)」

何を隠そう、私の典型的3大反応です。

しかし私の家内は信仰が訓練されているので、私などとても及びもしない反応を見せます。

「祈っていたからこの程度で済んでいるのよ」
「神様は最善以外なさらないんでしょ」
「感謝します」

試練や苦難が降りかかってきたとき、素直にそれを喜ぶことなど人にはできません。

しかし、神様はこのことを通して大きな目的を達成されるのだと信仰の目を通して事態の推移を見ていくときに、神様が描く人生ドラマのあらすじが見通せるようになります。

すると、なぜその問題が起きたか理由はわからなくても、

「神の御手の中で動かされていけばよいのだ」

と、覚悟ができ、周囲の人々の言葉や動向に左右されないで達観していることができます。

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実際、

「使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った」

ということは良かったのです。

このことによってキリストの福音が散らされた人々によって広められ、ついには全世界に伝えられる基礎となったからです。

それはイエス様が言い残しておられたことの実現でした。

「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」
(使徒1:8)

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試練の時には、そこに秘められた神の目的を見出すようにしましょう。

まず

「感謝します」

と言ってみること。

その信仰の従順が次の一歩を切り開いていきます。

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