今日のみ言葉【No.1881】(2018年11月14日)「 神の守りを宣言する」

主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
(詩篇91:4-5)

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「あなたのことは好きだけど、あなたとはもう一緒にいないほうがいいと思うの」

と彼女から言われて

「ガチでへこんでいる」

と言う男子学生の相談を受けました。

つまり失恋したのです。

それは大変だったね、つらい中をよく話してくれた、と慰め励ましながら話を聞かせていただきました。

災いは突然やって来るものです。

私たちはその時、どうすればいいのでしょうか?

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まず、災いが来てもいいように備えておくことです。

人生の大波・津波の防波堤は、御言葉に信頼し、神の守りを宣言することです。

人に災いをもたらそうとするサタンは、旧約聖書ヨブ記でこんな愚痴をこぼしています。

「あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか」
(ヨブ記1:10)

神様が垣根を設けていたので、サタンはヨブに手を出せなかったのです。

今日の御言葉が信仰の防波堤です。

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない」
(詩篇91:4-5)

親鳥が雛を羽で覆い守るように、神は私たちを覆うので、その下にいる人間は災いを避けることが出来ます。

また、大盾は現在で言うなら機動隊の盾を思い浮かべていただけると良いでしょう。

あの盾で身を隠し、敵の火の矢を防ぐことが出来るのです。

「その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう」
(エペソ6:16)

そして、夜の恐ろしい物、昼に飛んでくる矢とは、不意に襲ってくる不安や心配です。

私たちは神に信頼を寄せる時、これらの災いから守られます。

私たちがすべきことは、御言葉を宣言し、神の守りを告白することです。

これがサタンを容易には寄せつけない垣根作りとなるのです。

クリスチャンの国際弁護士佐々木満男氏は、このような話を聞き、それ以来、就寝時には詩篇第91篇の一部を唱えてから寝るようになったそうです。

「第二次世界大戦の頃のことです。イギリス軍にウイットゼイ大佐という人物がいました。彼の率いる連隊は全員が毎日朝晩、この詩篇第91篇を朗読して神に安全を祈ったそうです。彼の連隊は5年間激戦地で戦いつづけました。他のほとんどの連隊は全滅したり、多数の死者を出していました。ところが彼の連隊だけは一人の死者も出なかったのです。」
(https://www.christiantoday.co.jp/articles/5338/20100630/news.htm)

神の守りがあると積極的に口に出して告白する作業が、あなたを守る心の垣根となるのです。

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ただし、それさえやっていれば絶対安心かというとそうではありません。

神様ご自身がその垣根を取り払う時があると聖書は言っているからです。

サタンが神に訴え出た後、神はサタンにこう言います。

「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」
(ヨブ記1:12)

神が垣根を取り払って、サタンに許可を出したのです。

ヨブが張り巡らし、また神ご自身が備えられたはずの垣根でしたが、一つ、二つと神は外され、それに乗じてサタンはヨブに次々と災いをもたらしました。

ですから、いくら祈り、どんなに聖書を読み、御言葉の宣言をし、神の守りを告白しても、災いから完全に解放される人生はありません。

この人生の真実を知ると、

「神の約束は嘘か?神は私を見捨てたか!」

などと混乱することはありません。

どんな人も災いと思えるような出来事に遭います。

ヨブ記を読んでわかるように、あえて神様は私たちに災いが来るのを許可されることがあるからです。

しかし、その背後には必ず意味があります。

その意味を見出そうとしてもわからないのでヨブは苦しみましたが、自分にはその意味が分からなくても、神は自分よりも遥かに大いなる御方で、自分には理解できない大いなる御計画があるのだと知り、ヨブはストンと腑に落ち、納得するのです。

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古来から信仰者はヨブのような試練に出会い、その人なりの納得の仕方でその試練を糧とし、さらなる信仰の深みへと進んでいきました。

大阪で英語講師をしていたJ.V.Martin宣教師は、たまたま東京で関東大震災に遭遇しました。

Martinは被災者が身を寄せあう明治学院のグラウンドで、夕闇に浮かぶ十字架を発見しました。

それはどうやら蚊帳(かや)の中で光るろうそくの光だったようです。

大災害のただ中にもキリストが共におられるという感動から生まれたのが「とおきくにや」(聖歌397番)です。

また、長崎の原爆投下で被爆したカトリック信者の永井隆医師は、

「その犠牲を贖罪の燔祭(ホロコースト)であるとさえ解釈した。それによって戦争を終わらしめ、『一億玉砕』から日本人を救ったからだと言う。長崎は、明治維新に至るまでキリシタン弾圧の殉教の地である。彼は医者であったが、かくの如く「現実」を神学的に捉えた。」
(http://shinozaki-baptist.jp/modules/kyuyaku/index.php?content_id=542)

という考えに行き着きました。

人は皆それぞれ、納得できるまでには様々な経路を通り、苦しみながら自分の答えを出し、その答がそれからの人生を支えていくのです。

神の慰めは皆違います。

他者が慰められたからといって、それがあなたにも慰めとなるかというと、そうは言い切れません。

また逆も同じです。

あなたが完璧だと思う答が他者に対しても有効な答となるとは限らないのです。

ですから神に向かって祈り、私にしか当てはまらないオーダーメイドの答を神からなんとしても引き出さねばならないのです。

神はそのようにして、祈りの交わりの中へと私たちを導いてくださっていることを知りましょう。

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さて、先ほどの失恋した学生さんの話に戻りましょう。

このような場合、

「きっとまた良い人と巡り会える時が来るさ。元気出せよ!」

と、こちら側の答えを押し付けてもあまり意味がありません。

人にはその人なりの論理回路があり、自分にピタッと当てはまった答を見出した時に初めて動き出せるからです。

そこで、その男子学生に、

「君は今までどんなことをしてイライラを解消し、リラックスしてるの?」

と尋ねると、

「友達と話している時です」

と言った瞬間、はたとひらめいたようです。

「そうか、俺、やっぱり、誰かといっぱい話さなきゃいけないんですね」

自分なりの答を見出したのです。

私が

「そうか、信頼できる友人に頼んでたくさん話を聞いてもらうことなんだね」

と確かめると、彼は笑顔で

「はい、そうです。先生、またよろしくお願いします」

と言って、友達の輪の中に入って行きました。

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神の守りがあることを口に出して宣言しましょう。

それがあなたの一日を守ります。

神の防波堤が崩れたように思う時は、あなたにしか与えられていない神の答を見出す時です。

さらなる信仰の深みへと邁進して行きましょう。

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